花の色-2


「はあ、楽しかったねえ」


ソファに座ってニュースを見ながら、紫乃が呟いた。


「そうだな」


俺は先ほど食べた夕食の食器を洗っている。

紫乃が作って、俺が片付ける。すっかりその流れが定番になっていた。

──ソファに座る彼女の指先は、ここ数日でずいぶん手荒れが良くなった気がする。きっとこれから、もっと綺麗に治ると思う。



あれから放課後、クラスの全員で市役所に行って、それからファミレスで打ち上げ? をした。

市役所の窓口では欄外から別紙にまで及んだ証人の名前と数に驚いた顔をされたし、意外とあっさりした対応で受け取られた。


現実感の湧かない俺たちに、クラスのヤツらがみんなでお祝いだと言ってファミレスに誘ってきた。


俺がドリンクバーの割引券あるから、と言うとみんながドリンクバーを頼んだ。それから思い思いの料理を注文し、ファミレスの一画がパーティー会場のようになった。


何度もども乾杯をされるドリンクバーの傷だらけのプラスチックカップを見て──やっと実感が湧く。


……俺たち、本当に結婚したのか。


紫乃は少し離れた席で、女子たちとポテトを摘んでいる。同じコップでジュースを飲むその顔も、少し落ち着かなさそうだ。


離れた席を見ていたら、隣のヤツが俺の肩を抱いてきた。まるで酒に酔ったように浮かれた様子で俺に語りかけてくる。


「アオイに教えてやろう、人生には三つの袋ってのがあってな……お袋、堪忍袋……」


知ってるよ。最後の一つは給料袋だろ。


「玉袋だ。蹴られないように気をつけろよ」


なんでだよ。汚ねえなあ。

お前には絶対結婚式のスピーチなんか頼まねえ。

俺がそう決意していると、女子たちの席にいる紫乃と目があった。


楽しそうに笑っていた。

──放課後遊びたいって言ってたもんな。

俺はその顔に安心して、冷めたポテトを一本つまんだ。



解散して、すっかり暗くなった帰り道で、俺は紫乃に聞いた。


「不安はない?」


並ぶ足音は二人分。

秋の夕方は寒くて、だから俺たちの距離が夏よりも近いのはしょうがないことなのだ。

影が一つにくっついている。


紫乃がゆっくりと唇を開いた。


「……一個だけある」


なんだよ。言えよ。


「ひ、秘密」


いまさら秘密なんてないだろ。


「ふ、夫婦でも言いづらいことだってあるんだから!」


──なんだよ、さっそく雲行きが怪しいな。


家に帰ってから聞き出そうとしたけれど、紫乃は「料理するから!」と言って台所に逃げてしまった。


なんだよ。言ってくれなきゃ、拭えないだろう。



***



洗い物を終えた俺に、ありがとう、と紫乃は言った。


「お風呂に入る前に、ちょっと友だちに連絡とっていい?」


──電話、と言わないのか。

友だち?

俺は首を傾げつつも、いいよ、と言った。

もしかしたらさっき言っていたに関するものかもしれないので、それなら早めに解消してもらった方がいいと思った。


「ありがと。じゃあ外行ってくるね……」


「待って」


その足が玄関に向かうので、俺はすぐに引き留めた。


「話し声聞こえるの嫌なら、俺が外に出るから家の中にいて」


危ないし、寒いだろ。


「え、いや……それ、悪いし……」


「いいから」


「あ、じゃあ、ベランダにする……」


と、今度はベランダの方へ向かう。


「なら俺が出るから。どうせパソコンでもスマホでも見るもの同じだから」


家の中にいて、気にせず話してて。


「俺ベランダでスマホ触ってるから」


「う、うん……ごめんね? お願い」


俺はひらりと手を振って答えると、スマホを持ってベランダに出た。


思ったより冷たい空気が薄着の俺の身を包んだ。

うん、俺が外に出る側でよかった。

正しかった考えに安心する。


彼女の姿はカーテンの向こうに消えている。

テレビの声も、窓一枚隔てると全然聞こえないな。


窓の外から見える木々は枯れ葉になり、海は暗い。宵闇が星を引き立てる。

──もう少し寒くなる頃には、彼女の星座が見えるだろうか。


景色を見ていると俺のスマホの通知音が鳴って、眩むような画面に目を細めてその通知を見た。


──葉っぱちゃんが配信を開始しました。


なるほど。……友だちに連絡、か。

すぐに配信を見たら不自然すぎるだろうか。

そう悩んで、一瞬待つ。


配信アプリのランキングに、知った名前と絵を見つける。今夜も猫派の人間が多いらしい。

──俺は犬派なんだよなあ。

改めて実感して、俺は犬耳のキャラクターの配信ページを開いた。


『ママあ〜!! 嬉しいよお、久しぶり〜! えへへ……しばらく配信できなくてごめんね』


葉っぱちゃんの犬耳がピクピクと動く。


『ずっと話聞いててもらったから、ママには報告したくて』


……ああそうか、ママであり──友なんだな。

俺はスマホから聞こえる彼女の声に目を細める。


『あの男子と結婚しました〜! じゃじゃじゃじゃ〜ん!』


葉っぱちゃんの笑みは、決められたモーションだって分かってるのに、花のようだった。


『だからこれからはもう、配信ペースが……というか、しなくなっちゃうかもしれない。けどね、』


スピーカーから、息を吸い込む音が聞こえた。

視聴者は俺一人。

俺一人のためでもあり──彼女のためでもあった配信。


『私、ママの子でよかったよ──いっぱい話を聞いてくれて、助けてくれてありがとう。


……よかったな。

漫画ならこれで大円団だ。

ここでマキの正体を明かしてしまおうか、悩んでしまうな。


『……それでね、ママ、悩んでることがあって……相談、聞いてくれる?』


なんだよ。俺に言えばいいのに。


『ちょっと、お風呂に入る前に確認したくて……』


……雲行きが怪しいな。


『初夜に関して相談なんだけど……』


うん。よし、黙って聞こう。


『前、ママには言ったんだけど……私、毛深いから……あそこってどこまで処理すればいいのかな!?』


……そんなの十八禁すぎるだろ。


『初夜だよ!? 経験ないけど、大丈夫かな!? 不安だよ〜!』


その言葉に──俺がきみのママなんだということは、永遠に俺一人の秘密にしておこうと決めた。

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年上の同級生が配信者だということを、ママ(受肉させた絵師)の俺だけが知っている 鈴木佐藤 @suzuki_amai

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