瀬文:禁足地での邂逅
彼らを助け、この村に隠された「メカクシ様」の真実を解き明かすため、瀬文は前へ進んだ。禁足地は川に囲まれた中州の丘にある森のことを差していた。先ほど渡ってきた橋も、しばらくすると増水した川で水没するのだろう。
生い茂る草木をただ避けて、奥に進む。いくつか獣道がある。それに沿って歩いていくが、視界が雨と霧でよく見通せない。ただ耳を澄ませて、慎重に歩いて行く。そこで視界の端に光を捉えた。
それを目印に歩いて行くと信じられない光景が広がっていた。
その光は電球だった。木々の枝に紐を通して斜めに布がかかっておりその下に電球がひとつ、煌々と光っていた。そしてその下には縄で拘束されたタオルで猿轡をされたカップルYouTuberがずぶ濡れで座っていた。
なんだこれは?とにかくすぐに駆け寄って安否を確認する。真希は憔悴しきったようにぐったりと項垂れて気絶をしているようだった。晴臣の方は、身動きは取れないながらも、目の色を見るとギラギラと光っていた。「今助けるからな」と晴臣を拘束する縄に手をかけようとする。しかし、背後から何者かの気配を感じた。
突然、霧の中から巨大な影が現れた。瀬文は息を呑み、身構えた。影は徐々に姿を現し、まるで熊のような巨体が彼の前に立ちはだかる。じゃらり。金属の擦れる音が聞こえる。黒い毛皮に覆われ、その姿は異様な威圧感を放っていた。
「……メカクシ様か?」
熊のような巨体が突然、咆哮を上げながら突進してきた。瀬文はとっさに横に跳び、巨大な前足が地面に叩きつけられる。すぐに立ち上がり、反撃を試みるが、その圧倒的な体躯に翻弄される。姿を正確に見ようとするが、動きが早く鋭い爪が彼の肩を掠め、痛みが鋭く走った。
血が滲む中、瀬文は決してひるまず、獣に反撃を試み続けた。熊は鼻が弱点だと聞いたことがある。拳を鼻に当たるように振った。目論見通り鼻を殴ろうとした。しかし、想像していた手応えはなく、空振りをしたようだ。
土砂降りのなかもんどりうって格闘をしているため、相手の姿すら判然としない。腕と足の位置から鼻の位置を推測したが誤ったのだろう。
メカクシ様は怯むことなく、反撃に転じた。何度も激しい攻防を繰り返し、ようやく一瞬の小康状態が訪れた。
その時、瀬文は目の前の獣がただの熊ではないことに気づいた。
「……これは、毛皮をかぶった人間か?」
「待て! 話がしたいんだ!」と瀬文は必死に声を張り上げた。
しかし、その叫びは霧と雨の中に消え、目の前の獣は一瞬も躊躇うことなく再び襲いかかってきた。黒い毛皮に包まれた巨体が跳びかかる瞬間、瀬文はまたしてもギリギリのところで回避するが、その動きには限界が見えていた。
獣の前足が土をえぐり、鋭い爪が再び空を切る。瀬文は無意識に腕を掲げて防御しようとするが、その衝撃でよろけ、後ろに倒れ込んだ。頭をぶつけかけたところで反転し、すぐさま立ち上がるものの、目の前には再び獣の影。逃げる間も与えず、獣はもう一度襲いかかる。
「ぐっ……!」
瀬文は反撃のために素早く足を踏み込むが、獣の動きはさらに鋭かった。巨体に似合わぬ俊敏さで、瀬文の蹴りは空を切り、代わりに腹部に獣の前足が叩きつけられる。痛みに顔をしかめつつも、彼は転がりながらも体勢を立て直す。いつのまにか獣にカップルYouTuberとの間に割って入られたらしい。不利な位置関係に苦々しく感じながら、あとどれだけ自分が待つのかを瀬文は考えていた。
雨と霧の中で、瀬文も目の前の獣も、共に疲れ果てていたが、まだ終わらないという緊張感が漂う。
瀬文はじっと相手を見据えた。
「こいつは……やっぱり、ただの獣じゃない……!」
呼吸の乱れ、動きのリズム。明らかに人間だ。瀬文は立ち止まり、激しい鼓動を鎮めながら、声をかけた。
「……お前は、誰なんだ?」
その問いかけに返事はなかった。しかし、獣は立ち止まり、荒い息遣いをしていた。獣は電球の明かりを背に、瀬文の次の言葉を待っていた。瀬文は必死に考え、ふと頭に浮かんだ名前を叫んだ。
「
その瞬間、獣の息さえも止まった。彼は瀬文をじっと見つめる。反応を確認し、瀬文は確信を強めた。
「清美があなたを探している。あなたは……」
その時、別の足音が電球の明かりの向こうから聞こえた。瀬文が目を凝らすと、そこには一人の女性がいた。黒いローブに身を包んだその女性は、雨の中、立っていた。儚く今にも消えそうな雰囲気のある女性だ。
「
彼女は獣をそう呼んだ。瀬文は目の前の獣が人間であることに確信した。目の前にいるのは、清美の父、
「圭吾さんが、メカクシ様だったのか?」
その問いに、獣は黙りこくり、その代わりに女性が答えた。「そう……彼がメカクシ様よ」
圭吾と呼ばれた男は熊皮を接いで作られたマスクをゆっくりと外しながらその本来の顔を露わにした。顔には深いシワが刻まれており、老人のように老けて見えた。手につけていた瀬文の肌を裂いた鋭利な爪を取り外す。よく見ると、鎖帷子のようなものに毛皮をくくりつけており、この擦れるじゃらりという音が、メカクシさまが降臨したときの異様な音なんだろうと理解した。
「お前は、清美を知っているのか」圭吾は瀬文のことを郷愁のような眼差しで見た。
「ああ、彼に頼まれて両親を探しにきた」
瀬文がそう言うと女性は「あぁ……ごめんね……清美……」と声を漏らした。
「彼女は……美咲さんですね」瀬文は尋常じゃない彼女の様子からそう推測した。圭吾は肯定するように頷いた後、後ろ手に持っていたバールを掲げた。
「今日は雨が強いな……」圭吾はつぶやく。視線の先を見る川の濁流はすでに丘のふもとまで迫り、まるで森を飲み込もうとするかのように渦を巻いている。水音が絶え間なく響き、時折、流れに巻き込まれた枝や草が急流に乗ってすぐ近くを流れ去っていく。川岸の土はすでに水に浸食され、柔らかく崩れ始めており、テントを守る木々もその根元から浸水しつつあった。ほんの数メートル先、足を踏み出せばそこには濁流が迫り、逃げ場が限られていることを否応なく実感させる。
「逃げるのは難しそうだね」圭吾は瀬文に対して審判を告げるようにしかしどこか申し訳なさそうに言った。
「この人、清美を助けてくれている人なのよ。本当に、してしまうの?」美咲が圭吾にためらい混じりに声をかけるが、圭吾は静かに被りを振った。
「関係ない。どんなやつだろうと、掟を脅かすものは殺さなければならない」圭吾が「掟」と口にすると目から憐憫は消え、代わりに決意をがみなぎっていた。
「彼らは……どうなる」瀬文はカップルYouTuberの方を見て言った。
「彼らは、メカクシ様の存在を知ってしまった……だから、いずれ殺さなければならない。それは残念ながら君も同じだ」圭吾は静かに告げた。
拘束された晴臣は、身じろぎもせずただギロリと圭吾を見つめ続けていた。
瀬文は拳を握りしめ、強く問いかけた。「本当に、殺すしかないのか?これが正しいことなのか?」
圭吾は目を伏せながら、少しの沈黙を挟んでから答えた。「それが、我々に課された運命だからだ……」
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