瀬文:深谷村の少年

 瀬文純せぶみじゅんが運転する車が深谷しんたに村に近づくにつれ、景色は徐々に変わり始めた。12月の寒気に冷やされた雪の森は、まるで静かに眠るかのようだ。山々に囲まれ、外の世界から切り離されたような静けさが漂っている。助手席の白崎奈緒しらさきなおは、カメラをいじりながら窓の外を見やり、「うわ、すごいところですね」と感嘆の声を漏らす。


「瀬文さん、この千早清美ちはやきよみって子、本当に中学生なんですか?」白崎が、興味津々に尋ねた。


「……メールの内容だけじゃ、確証はない。両親が生きているかもしれないと期待してるらしいが、はっきりしない」瀬文は短く答え、ハンドルを握る手に力を込めた。


「両親の行方探しを記者に頼むなんて、変わってますよね?」


「変わってるどころか、聞いたことない」瀬文はそっけなく返した。


 白崎は外の景色に視線を戻し、少し考え込むような表情を浮かべた。「でも、なんで瀬文さんに?」


「俺が知るか」瀬文は短く答えた。少し語気が強かったかと反省し、続けた。「……まあとにかく、まずは本人に会って話を聞いてみないとな」


 その言葉に続くように、村の入口が見えてきた。小さな集落は人の気配がなく、霧が薄く漂い、どこか不気味さを感じさせる。遠くから低い雷鳴が響き、重く垂れ込める雲が村全体を覆い始めていた。まだ雨は降っていないが、空気が異様に湿っている。


 瀬文は車を村の入口に停め、白崎と共に降りた。静まり返った村の中を進むと、古びた木造の民家がぽつぽつと立ち並んでいる。錆びついたトタン屋根が、年月の経過を物語っていた。


「約束の場所は村の中央にある広場のベンチだな」瀬文はそう呟き、視線を広場に向けた。古びたベンチに、ひとりの少年がぽつんと座っていた。


「あの子が千早清美、くんですか……男の子なんですね」白崎がカメラを構えようとする。


「撮るな。まずは話を聞こう」瀬文は軽く手を挙げて制し、清美に歩み寄った。


「清美くんだな? 俺は瀬文純。メールをもらった記者だ。彼女は白崎、カメラマンだ」落ち着いた声で話しかけると、清美は少し警戒した様子で瀬文を見上げ、小さく頷いた。


「……瀬文さん、来てくれてありがとう」


「どういたしまして。まずは、君の話を聞かせてもらおうか」


 瀬文はベンチに腰を下ろし、清美と目線を合わせた。初対面の大人に話すことへの緊張を察し、瀬文は気負わず世間話を切り出した。


「君は、どうやって生活しているんだい? 両親がいないと、大変じゃないか?」


 清美は一瞬驚いたようだったが、すぐに返答した。「おじいちゃんと二人で暮らしてます。畑を手伝って、食べ物はほとんど自分たちで作ってます。学校には行ってないけど、家で勉強してます」


「そうか……それでも、両親がいないのは辛いだろうな」瀬文が優しく言うと、清美は少し目を伏せたが、その瞳には強い意志が見えた。


「父さんも母さんも、どこかにいるはずなんです。でも、村の人たちは何も教えてくれない。おじいちゃんも、ただ『両親はもうこの世にいない』って言うだけで……」


「村の誰も、君の両親について何も教えてくれないのか?」瀬文が尋ねると、清美は頷いた。


「みんな何か知ってるみたいなんですけど、話してくれないんです。村長にも言われていて……成人するまで掟を教えてもらえないって」


「その掟って、メカクシ様のことですか?」白崎が口を挟む。


 清美は軽く首を振った。「メカクシ様の話は、子供のころから教えられてます。でも、他にもたくさん掟があって、全部は大人になるまでは知らされないんです」


「君の両親は、その掟に関係してるんじゃないのか?」瀬文はそう推測する。


 白崎は不思議そうな顔をして、「でも、実の子供にさえ何も話さないなんて、ちょっと変じゃないですか? 私だったらついうっかり話しちゃいそうですけど……」


「それだけ重要な掟なんだろうな。人にはそれぞれ守りたいものがある」瀬文が応じると、清美はポケットから丁寧に畳まれた紙を取り出した。


「僕は両親が生きていると思ってます……これが毎年のように届くんです」


 瀬文は清美から手渡された紙を広げてみた。そこには整った文字で、たった一言だけが書かれていた。


『許してくれ』


「え……これって、いつから届いてるんですか?」白崎が驚いた声を上げる。


「正確にはわからないけど、たぶん赤ちゃんの頃から毎年、届いてるんだと思います。おじいちゃんに見せたけど、『気にするな』って言われました」


「両親からの手紙だと信じてるんだな?」瀬文が問うと、清美は少し迷ったあとで静かに頷いた。


「父さんも母さんも、僕を置いていなくなったけど、どこかで生きてるって気がして……」


 瀬文は手紙をしばらくじっと見つめた。本当に両親からのものなら、なぜ祖父は「気にするな」と言ったのだろうか。


 しばらく、両親の話をしたが清美が生まれたときから行方不明になっているため、名前以外、有力な情報は得られなかった。千早圭吾ちはやけいご千早美咲ちはやみさきというらしい。


 三人の間に冷たい風が吹き抜け、村の冬の厳しさが身に染みた。瀬文はしばらく考え込み、もう1つ質問を投げかけた。


「それで、どうして俺に依頼してきたんだ? 両親を探すなら、探偵とかに頼むのが普通だろう?」


 清美は少し考えた後、ゆっくり顔を上げ、はっきりと答えた。


「瀬文さんが書いた記事を、ネットで見つけたんです。一人で真実を暴いた記事で……それを読んで、すごいって思ったんです」


 瀬文は一瞬、苦い記憶が蘇る。あの記事。確かに真実は暴いたが、結果的に誰も救うことができなかった過去の出来事だ。


「それで、僕も両親の真実を知りたいんです。この村では誰も教えてくれないし、外の人も来ない。だから、瀬文さんにお願いしたんです」


 白崎が驚いたように口を挟む。「それでメールで依頼を……でも、そのくらい切羽詰まってたんだね」


「瀬文さんなら、両親がどこにいるのか、本当のことを見つけてくれるって思ったから……」


 清美の瞳には、純粋な信頼と期待が込められていた。その視線を受け、瀬文は彼の依頼を再確認し、静かに息をついた。


「……わかった。まずは村長に話を聞いてみよう」


「はい。僕が案内します」


 清美は立ち上がり、まだ頼りなさげだが、覚悟を決めたように瀬文と白崎を見上げた。


「じゃあ、行こうか」


 瀬文は冷静に状況を整理し、清美と共に歩き出した。白崎は二人の後ろを追いながら、興味津々とした表情で瀬文に耳打ちする。


「ますます謎めいてきましたね、瀬文さん」


「骨の折れる取材になりそうだ」


「でも、難しい方が面白いですしね」


 白崎は笑い、カメラを再び構えた。深谷村の不気味な静けさと、この奇妙な掟が、彼らをさらなる闇へと誘っていくようだった。

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