瀬文:新人カメラマン白崎奈緒

 瀬文純せぶみじゅんは、編集部のドアを開け、喧騒に包まれたオフィスへ足を踏み入れた。久しぶりの出社。電話の鳴り響く音、キーボードを叩く音、右往左往する記者たちのせわしない動きが、肌にじわりと重くのしかかる。本当に騒々しい。瀬文はこういう環境が苦手だった。


「おい、瀬文! こっちだ!」


 編集長の大きな声が奥のデスクから響く。瀬文は軽く手を挙げ、書類の山と忙しそうな記者たちを避けながら向かう。ぶっきらぼうな調子はいつも通りだが、今日の編集長はどこか機嫌が良さそうだった。


「ちょうどいいタイミングだな。紹介するよ。今日からお前と組むカメラマンだ」


 編集長が声をかけると、軽快な足音とともに、若い女性が現れた。肩までのボブヘアが揺れ、キリッとした目元が印象的だ。自信に満ちた姿勢と明るい笑顔が、彼女の快活さを物語っている。勢いよく瀬文の前に立ち、真っ直ぐに視線を送る。


「はじめまして! 白崎奈緒しらさきなおです。今日からカメラマンとしてご一緒させていただきます! よろしくお願いします!」


 瀬文は元気すぎる声と彼女のエネルギッシュな様子に、少したじろいだ。どうやら、相当に手強い新人がやってきたようだ。


「瀬文純だ。よろしく」


「私、大学の時からいろんな場所で写真を撮ってきたんです! バイトで風景や人物の撮影をして、それがすっごく楽しくて……あ、それで短編映像も自主制作してコンテストに出したりして、それが評価されて今の仕事に繋がったんです!」


 白崎は勢いよく話し続け、彼女の目はキラキラと輝いている。だが瀬文は、彼女の長い自己紹介にどう返答すべきか困惑しつつ、苦笑いを浮かべるしかなかった。


「なるほど……」


「それで、今回はもっと大きな現場に行けるって聞いて、もうめちゃくちゃ楽しみにしてたんです!」


 言葉を挟む隙もないまま白崎が話し続けると、編集長がニヤニヤしながら口を挟んだ。


「まあ、落ち着けよ、白崎。瀬文はそこまでおしゃべりじゃないんだからさ」


 白崎はハッと気付き、急いで頭を下げた。「すみません、つい……」


 編集長は大笑いしながら瀬文の肩をポンと叩いた。「あとは頼んだぞ。おん・じょぶ・とれーにんぐだ。しっかり教えてやれ。俺はこれで戻る」


 そう言うと、編集長は忙しそうにオフィスの奥へと消えていった。何故か振り返り、冗談めかしてファイトポーズを取る編集長に、瀬文は「何してんだか」と呆れつつ、軽くため息をついた。


「現場で学ぶ方が早いことも多いからな。早速、取材に出る準備をしてくれ」


「はい! どこに行くんですか?」白崎は再び元気に応じる。


「行くのは、東北地方の山間部にある深谷しんたに村だ」


「えっ、東北ですか?」白崎の表情が一瞬で驚きに変わった。「そんな遠くに行くんですね。そこに何があるんです?」


「メカクシ様っていう神聖な獣の伝承があるらしい。現地で詳しく話を聞くつもりだが、その村には『見てはいけない』という掟がある」


「見てはいけない……獣ですか?」白崎はさらに不思議そうに瀬文を見つめた。


「そうだ。その獣が降りてくるとき、村人たちは家に閉じこもって仮面をつけ、目を伏せる。もしも見たら、災厄に巻き込まれるらしい」


「災厄……え、じゃあそのメカクシ様の姿を見ちゃダメってことですか?」


「その通りだ。だから、あまり無茶なことはするなよ。現地の話を聞いて、状況を見てから撮影するか決めよう」


「いやいや、撮れますよ! メカクシ様の姿、絶対、カメラに収めます! 熊とかワニとかカンガルーですかね!?こんなチャンス、カメラマン冥利に尽きるじゃないですか!」


 白崎の勢いに、瀬文はまたしても苦笑いを浮かべた。どうやら、この新人は強引にことを進めるタイプらしい。


「……ま、無理して掟を破って不評を買っても困るし、まずは現地で話を聞いてからだ」


「私、絶対にメカクシ様の姿を撮りますよ!」


 瀬文は軽く肩をすくめ、「何事も一歩ずつだ」と心の中で思いながら続けた。


「取材は泊まりになるかもしれない。車で向かうから、そのつもりでしっかり準備しとけ」


「泊まりですね。了解です! 今すぐ準備できます!」白崎はカメラバッグを抱え、勢いよく準備に取り掛かろうとする。


「カメラだけじゃなく、着替えとかも必要じゃないか?」


「着替えは最低限でいいですよ! 道中で調達できますし!」


「……そうか。あと、寝袋とかも忘れるな」


「えっ、野宿ですか?」


 瀬文は頷いた。「ま、できるだけなんとかするさ。さっさと準備して出発だ」


 白崎は急いで準備を整え、瀬文も車のキーを取り出して、オフィスの出口に向かった。彼女の足取りは軽く、元気が溢れている。そのエネルギーが少しだけ羨ましくも感じたが、瀬文はうまくやっていけるか不安を抱えていた。


「じゃあ行きましょう! メカクシ様、絶対に撮ります!」


 瀬文は頭をかきながら、白崎に先導される形でオフィスを出た。ブルドーザーのような新人にどう付き合うかを考えつつ、車のエンジンをかける。

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