私の生活2

牧野三河

第1話 先日の私の生活


 あれは2日前の夕飯時。


 我が家の暴君、父が何の前置きもなく私を箸で指差し、


『隣の土地を買う。お前は身体が弱い。人を雇って農業をするのだ』


『・・・』

『・・・』


 急な話で、私も母も言葉が出ませんでした。


『もう話は通してある。そのうち隣のAさんが来る。何を作り、何人雇い、どのようにして経営をしていくのか考えておけ』


『・・・』

『・・・』


 私と母は顔を見合わせました。何の相談もなく、勝手に話を通していたとは・・・

 しばらくして『やった!』と私も母も目が輝きました。もうこの父と共に仕事をしなくて済みそうです。

 人を雇って働くのは難しいでしょうが、我が家の暴君と共に働くより全然ましです。


『どうせ何年かは赤字続きだ。良いか。人を雇って働くのは、頭を使わねばならんから・・・』


 ぶつくさと色々言っていましたが、私も母も右から左に話が抜けていきます。

 夕飯が済み、父は居間に入って行き、ものすごい音量でテレビを見ます。

 耳が遠いので、テレビの音量は大音量です。

 尚、父はそろそろ耳が遠くなってきたからと補聴器を買いましたが、一切使う事はありません。

 しかし、テレビの音はよく聞こえないのに、私達がこそこそ陰口を聞いていると、非常によく聞こえるのです。人間とは不思議なものです。


 私と母は夕食を食べ終え、そっと私の部屋で喜びました。

 母の目には、うっすらと涙が浮いていました。



----------



 そして昨日。


 私達がビニールハウスの中で作業をしていると、そっとAさんが周りを確認して、父が居ない事を確認し、中に入ってきました。

 Aさんは笑顔で私の肩に手を置き、ぐんぐんと前後に揺すりました。

 Aさんは隣の土地のビニールハウスの方なので、私達の事を良く知っています。


『やったな! もうあのお父さんと一緒に仕事をしなくて済むな!』


『はい!』


『お母さん、苦労してきたな! これからは2人でやっていけるな!』


『はい!』


 うんうん、とAさんは頷きました。


『土地は安く売ってやるから、頑張れよ! あそこはメロンでばっちり地面を作ってあるから! そのままメロンを作ってれば良いからな! 使ってる肥料とかも、全部教えてやるから! 人なんか、収穫の時だけ雇えば済むから! 他の作業は楽なもんだ! 1人でやってても昼前には終わるから! 全部教えてやるぞ!』


『はい! 頑張ります!』


 Aさんは私の肩を「ばん」と叩き、私と母に笑顔で頷いて去って行きました。


『頑張ろうね』


 母が私に言って、頷きました。


『うん。頑張ろう』


 私も母に頷きました。

 未来は明るい。

 私も母も、父から開放される事を思い、目を輝かせました。



----------



 そして、その夜。


 Aさんは土地の売買の書類を持ってやってきました。

 私と母は胸を踊らせてAさんを迎えました。

 父も玄関にやってきて、


『どうも遅くにすみません』


 と、Aさんに頭を下げました。


『いやいや。俺もそろそろ年だからね。そろそろ引退して、年金暮らししようかなって考えてたところだから。丁度良かったんだ』


 Aさんも笑顔で頷き、書類を差し出しました。

 父が書類を受け取り、老眼鏡をつけて書類を読んでいきました。

 私も母も笑顔でAさんに頭を下げました。


『この値段で良いのか』


『いいよいいよ。頑張ってくれよ』


 父が難しい顔で黙り込みました。

 何だ? と私と母とAさんは顔を見合わせました。


『こんな値段があるわけないだろう!』


 急に父が大声を上げました。

 そして、私に書類を突き付けました。


『見ろ! この値段を! こんなに安く買えるものか!』


 ええ?

 私も母もAさんも、何の事かと顔を見合わせました。

 近所のよしみもあり、安くしてくれたのです。


『こんなの詐欺に決まっている! お前さんは馬鹿なのか!』


 何故私が・・・話を進めていたのは父で、私は一切関わっていないのですが、どうやら父の中では私のせいのようです。


『ちょっと、あなた』


 まさかAさん本人を前にして、詐欺師呼ばわりをするとは。

 母が父を止めますが、スイッチが入ってしまったようです。もう止まりません。


『馬鹿だ! お前は馬鹿だ! こんなの詐欺だ! きっとあの土地には何かあるんだ! 失敗こいて土地を駄目にしたに決まっている! でなければこんな値段はありえない!』


 ああ、もう駄目だ。

 私も母も肩を落としました。


『はい。申し訳ありません』


『あなた、お客様の前でそのような声を』


『母ちゃんは黙っていろ! 良いか! 母ちゃん、この値段を見ろ! あの広さでこんな値段が・・・』


 Aさんは渋い顔で横を向いてしまいました。

 私も母も、希望が消えて肩を落としました。


『もう帰ってくれ! まさか近所にこんな奴がいるとは思わなかったぞ!』


 父はAさんに書類を突き付け、怒鳴りながら引っ込んで行きました。


『すまんね。俺がまけすぎたのが悪かったかね』


『いえ』


『Aさんは全く悪くないですから』


『また機会があったらね・・・二人共、頑張ってね』


 Aさんはそっと玄関を閉めて帰っていきました。

 詐欺師呼ばわりされても、Aさんは怒りませんでした。

 それよりも、私達に憐れみの目を向けていました。

 私も母も、しばらく何も言えずに玄関に座っていました。


『母ちゃん! 来い!』


 父の愚痴が始まります。

 母が悲しそうな顔で頷いて、居間に行きました。

 私は玄関の明かりを消して、部屋に戻りました。



----------



 そして今朝。


 きゅうり取りの手伝いの途中、休憩をしている時の事です。


『お前さんは一体何をしとるんだ』


『は? 何の事でしょうか。何か、きゅうり取りでおかしな事を』


『違うわ! 何で昨日はAさんから土地を買わんかったのだ! あんな値段で売ってくれる事はもうないぞ! 本当に馬鹿な事をしたな!』


『申し訳ありませんでした』


 Aさんを詐欺師呼ばわりして追い返した父が、よくこんな事を・・・

 父の向こうで、母が悲しげな顔で小さく首を振りました。


『まあ良いわ。どうせお前さんの馬鹿な頭じゃ、人を雇って働くなんて無理に決まっとるんだ。買わんで正解だ。その証拠に馬鹿だから買わんかったのだ』


『申し訳ありませんでした』


『は! 母ちゃん、本当に良かったなあ! こいつがAさんから土地を買っとったら大損しとった所だ。勝手に話進めて何をしとるんだ。儂が止めてなかったら、もう何年かしたらうちの貯金は全部パアだったぞ』


 勝手に話を進めていたのは父ですが、父の中ではもう私が話を進めていた事になっているようです。


『勝手な事をして、申し訳ありませんでした』


『もう勝手な事をするな。良いか』


『はい。申し訳ありませんでした』


『母ちゃんもこいつの勝手な行動を知らんかったのか。何で止めなかったんだ』


『申し訳ありませんでした』


 母がうなだれて茶を一口飲みました。

 父は私を指差して言います。


『大体、お前さんに人を雇って働かせるなんて無理に決まっとるんだ。そんな事も分からんのか。この辺では儂にしか出来んのだ。農業を良く知って。頭を使って。それで初めて人を雇って農業が出来るんだ。このくらいお前さんの頭でも分かるだろう。ああ、分からんか。分からんから話を進めとったんだからな。大体、母ちゃんも・・・』


 私も母も、文字通りのストレスマッハです。


 父の持論は

 「自分に出来ない事を他人にさせるな」

 「自分が出来る事なら他人にも出来る」

 という2つです。

 すごく無茶な昭和的を遥かに飛び越えた持論ですが、これも口だけです。


 実際の所はこうです。

 「自分に出来ない事は他人にさせる」

 「自分が出来る事を他人が出来ないと、その他人はとんでもない阿呆」

 です。


 尚、他人に何かさせる場合、時と場合によって柔軟に考え方を変えるんだ、と都合よく言います。


 そして「自分に出来ない事は他人にさせる」の場合。

 この際、やらされた他人にミスは許されません。

 ミスをした場合はとんでもない阿呆となります。


 今回は「自分が出来る事なら他人にも出来る」が通用しなかったようです。


 Aさん、今回は本当に申し訳ありませんでした。

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私の生活2 牧野三河 @mitukawa

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