第6話

「聞く」と「食べる」は良く似てる


 その昔、「いつの日か、やれ音楽やら文学やらで必ず成功してみせる」と本気で夢を見ていた若かりし頃の事、僕には師匠と仰いでいた人物がいた。自作したオーディオやCDやレコード(主にクラシック)や大量の本やらに囲まれ、独身貴族を貫き、自由気ままな人生を大いに楽しんでいる人物であった。彼は菜食主義者だった。しかも、食べる回数は一日に一回というライフスタイルを維持してもいた。

 それは彼の家にお呼ばれしたとある日の出来事であった。彼はつと、彼独自の一見奇妙にも思える価値観を淡々と語り始めたのであった。

「僕は、食べるという事を恥ずかしい事だと思っているんだ…」

 えっ? そんな事を言ってたら何も食べられないじゃん、…直ちに僕はそう思った。当然である。もちろんそれは、これを読んでいるあなた自身もまた同様であろう。しかし僕はこうも思ったのであった。「でも、そんな事は先刻承知の上で、彼は"恥ずかしい"と言っているのだろうし、まずはともあれ彼の主張を拝聴しよう」、と。

「…食べるという事は、他の生命を犠牲にする、という事でもあるんだ…」

 確かに、食べる前に口にする「いただきます」という言葉は、「命をいただく」という事を意味している。今さら言うまでもない事だ。

「…それでも食べない事には自分の命を繋ぐ事ができないし、僕が一日に一食と言うライフスタイルを貫いているのは、だからなんだよ。ところでトニー君はどうだ? 君は食べる事が好きか?」

 きっと彼は最終的にこう問いたくて僕に尋ねたのだろう、僕はそう思いながらこう答えた。

「はい好きです」

「そうか。しかしトニー君は偉いね。人の言い分を遮らずにキチンと最後まで聞くなんて。この話をするといつも決まってみんな口を挟むんだよ、"そんな事を言っていたら何も食べられないじゃないか"って」

「正直なところ、それは僕も思いました。でもそんな事は先刻承知の上でそう言っているんだろうと思って、とりあえず最後まで聞こうと判断したんです」

 事実、僕は今までに何度か、「知っている人に菜食主義な人がいてこう言っているんだ」、と彼の主張の受け売りをした事があった。しかし、やはり皆、彼の言っていたように、必ずと言ってもいいぐらい口を挟むのである。「そんな事を言っていたら何も食えないじゃん」、と。それだけならまだしも、「だったら食うな!」と話を終わらせようとする人もままいるぐらいなのだ。

 彼は更にこう言うのであった。

「今のトニー君のように、人の言い分をキチンとちゃんと最後まで、『文学的に聞く』という事のできる人って、昔に比べて少なくなって来ているような気がしてならないんだよな」、と。

 確かに、それが本であれば、最後のページがその本の終わりである以上、当然ながらそこまで読んで初めてその本を読破したという事になるわけだが、これが人の言い分だとなかなかそうはいかない。本というマテリアルであれば、どこが最後なのかを視覚的に理解できるが、言葉の場合、どこがその人の言い分の「最後」であるのかを理解するのは難しい。

 なお、彼はその時「文学的に聞く」という言い方をしていたが、それから数年後、この「文学的に聞く」といった事象をより正確にかつ明快に伝えられる言葉を僕は心理学の本で偶然学ぶ事となった。その本によると、「相手が頭の中でイメージしている話の道筋を壊すような聞き方は悪い聞き方で、イメージしている人の話の道筋を壊さないように聞くのが上手な聞き方」なのだそうだ。当然である。物事には必ず、「足し算・引き算・かけ算・わり算」といった風に順序があり、その順序を無視したら分かる物も分からなくなる。まして算数を教えている真っ最中に、粘土をこねて動物を作り出したり革のクリームをグローブに塗って磨き始めたりする生徒がいたらいったい先生はどう思うであろう。

 同様に、相手の言い分はまだ終わっていないのに、

「食べるという事は恥ずかしい事だと思っ…」

「じゃあ食うな!」

 と遮って話を強制的に終了させたら相手は不快になるのは当然である。これこそが、まさに「頭の中でイメージしている話の道筋を壊す」という行為そのものなのである。

 この菜食主義者の方とはまた別の人物で、関西出身の先輩がいた。全ての関西人がそうだとは言わないが、この人がもう本当にせっかちで、人の話を最後まで聞かないのである、…つまり、前述した、「頭の中でイメージしている話の道筋を壊す」という事をしまくる人だったのである。

 それはまだ引っ越したばかりで、家具の配置がまだ完全に決まっていなかった時の事であった。部屋の模様替えを手伝って欲しくてその先輩に来てもらったのだが、その説明、すなわち、「頭の中でイメージしている話の道筋」を壊しまくられたのである。

「Aをaに、Bをbに、そしてCをcに運びたいんです。そのためには一旦これをこうしてからこうしたいんです」

 僕はその時、事前に脳内でシュミレーションしていたとおりの説明をしようとしていた。「足し算・引き算・かけ算・わり算」といった風に、すでに順序を決めていたのだ。なぜならそのシュミレーションどおりの手順で行けば、手数が少なく短時間で終わる、という事をすでに考えに考え抜いていたからであった。しかし彼はそれを最後まで聞かずにまるで関係のない事を言い出したのである、…すなわち、粘土をこねたりグローブを磨いたりとといった事をやり始めたのである。

「Xはどないすんねん?」

「Xはどうもしません。そのままです。あの、1から順々と説明するんで、まずは最後まで聞いてくれませんか?」

「おーそうか、済まへん済まへん」

「まず、Aをaに、Bをbに…」

「Yはどないすんねん」

「Yもどうもしません、そのままです、それから、口を挟むのをやめてくれませんか? さっきも言ったとおり1から順々と説明するんで、まずは最後まで聞いてくれませんか?」

「おーそうか済まへん済まへん」

「まず、Aをaに、Bをbに、そしてCを…」

「Xはどないすんねん?」

「それはさっき言いました。それからこうも言いました、口を挟むのをやめてください。1から順々と説明するんで、まずはちゃんと最後まで聞いてください」

「おーそうか、済まへん済まへん」

「ちなみにその"おーそうか、済まへん済まへん"って台詞も、つい今さっき聞いてますよ。んで、その上で説明をさせてもらいますね。まず、Aをaに、Bをbに…」

「Yはどないすんねん」

 ちなみにこの関西人の先輩は、親が日本でもっとも有名なとあるカルト教団の信者で、彼自身も熱心な信者であった。そして、彼はそのカルト教団が創設した私立の学校を小・中・高・大と卒業していて、教団内ではいわゆるエリートのように思われてもいたのだ。しかし僕は失礼ながら、彼の事を頭が良いと思った事はただの一度もなかった。一度、きっとまた口を挟むに違いない、と事前に脳内シュミレーションしていた僕は、その辺にあった割り箸の入っていた紙の袋に、横書きでとある川柳を書いてから彼に臨んだ事があった。すると案の定、彼は口を挟んできたのであった。それゆえ僕は、これまた事前にシュミレーションしていた作戦どおり、彼にこう話してみた。

「いいですか、犬だって…」

「何で犬なんや?」

 そう、これはこれで、きっとそう言って口を挟むに決まっていると最初からシュミレーションしていた僕は、例の川柳を書いた紙をポケットから取り出して見せた。


 待ちますよ? 待てと言われりゃ 犬だって


 すると彼はあからさまに不服そうな顔をして見せたので、僕はさらにこう言い切って見せた。

「もし自分の事を犬よりも頭が良いと証明したいのなら、英語で1って何て言うか答えてみてください」

 しかし彼は答えられなかったのである。「ONE」と答えられずして、何故エリートと言えるのであろう? 大いに疑問である。それともそのカルト教団の創設した私立の学校では、公立では当然のごとく教えられている英語はもちろん、「急がば回れ」という諺さえ教育していないのであろうか? やはり人間は学歴ではないのである。

 彼のその犬も食わないようなせっかちぶりは、食事の時も全く同様であった。それは一緒にファミレスへ行った時の事である。僕が二口目のパスタをフォークに巻いていた時、突然彼はこう言い出したのであった。

「なあ、早よ食えや」

 へっ? と思いながら彼の皿を見た。なんと、すでにそこは真っ平に均されていたのだった。こっちはまだ最初の一口目をモグモグ咀嚼している最中にこれである。これではまるで人間ブルドーザーだ。それだけではない、食事の間、彼はひたすら急かし続けたである。「早よ食え・早よ食え・早よ食え・早よ食え」、と。恐らく彼には、「ゆっくり落ち着いて、良く噛んで、味わって食べる」と言う当たり前の概念がないのであろう。「とっとと食べて次の目的地に行く事」しか頭にないのであろう。そうこうするうちにウェイトレスがグラスに水を入れにやってきたので、僕は素直に礼を言った。

「ありがとうございます」

「ごゆっくりどうぞ」

「なあ早よ食えや」

 これには流石にイラッとしてしまい、思わず僕はこう言ってしまったのであった。

「もし俺が女だったとして、アンタとの二回目のデートはないと思います」

 デリカシーのない彼も、これには流石に傷心したらしく、

「何でや?」

 あからさまに嫌そうな顔をして見せた。

「身も蓋もない話で恐縮ですけど、大人の男女が食事の後に行く場所と言ったら、普通はラブホですよね?」

 それはそれはたいへん珍しい事に、彼は口を挟まずに最後まで聞いたのであった。

「せやな」

「"早よ食え早よ食え"、それって要するに、"早よラブホ行こで"って言っているのと同じですよ? んで、行ったら行ったらで乾いているのに挿れちゃうんでしょ? そんな男と夜を共に過ごしたいと思う女性が一体どこにいると言うんです?」

 後になって知ったのだが、実はこの時、彼は失恋した直後だったのだそうだ。それが理由で「実はあの時かなり傷ついたんや」と数日後そう聞かされたのだが、そもそもデリカシーの欠片すら感じられない彼が、果たしてその時本当に「傷ついていた」のであろうか? 大いに疑問である。そう思いたくなるぐらい、彼のその後の言動にはあまり変化が見られなかった。なぜなら僕が最後の一口を口に入れるなり、「ほな行くで!」、と言っていきなり立ち上がったからであった。

 考えなくても分かるはずだ。彼のような食べ方では、例えばサラダの上のトウモロコシなど、恐らくはそのままの形で「下」から出てくるに違いないし、そんな食べ方でトウモロコシの栄養素が、自分の血となり肉となるわけがないのだ、という事が…。食べている時に次の目的地へ行く事を考えるのは、かえって時間の無駄だ、食べる時は食べる事だけに集中した方が元が取れるのだ。人の話を聞く、という行為も同様である。「Aをaに、Bをbに、そしてCを…」と説明を受けている真っ最中に、XやYについて質問するのはかえって時間の無駄だ。聞く時は聞く、食べる時は食べる、その事にだけ集中した方が効率が良いのだ。しかしこのあまりにも当たり前すぎる事がまるで理解できていない人があまりにも多すぎる事に、僕は一抹の懸念を感じているのである。

 もっとひどいのにこんな奴がいた。

 その頃僕は「夜のお仕事」をしていた。そのお店では1日に二回、仕事が始まる前と終わった後に、まかない飯が出る事になっていた。その食事のたびごとに、毎回決まって同じ事を言う馬鹿がいたのだ。

「ねえ、それ食べないの?」

 毎回・毎回、誰よりも先に食べ終えると、卑しくも他人の皿をチェックし、そしてそう聞いてくるのである。そしてそのたびごとに、

「だから、いらないと思ったらこっちから言うから、いちいち聞いて来ないで!」

 と言うと、その馬鹿は決まって、「またコイツ怒ってる」と言わんばかりの嫌そうな顔をするのである。鶏が先か卵が先かと思われるかも知れない。しかし僕だって最初から怒っていたわけではない。毎回・毎回・一日二回、全く同じ事を言われ続けるが故に嫌気が差していたからこそ腹を立てていたのだ。ある日、何度言っても「ねえそれ食べないの?」と聞いてくる事をやめないの彼に対し、僕は先回りして、

「食事の前に言っておくね。"ねえそれ食べないの?"っていちいち聞いてこないでくれる? いらないと思ったらその時はそう言うから」

 と事前に言った事もあったが駄目だったし、

「もしまた聞いてきたら、たとえいらないと思ったとしてもあげないからね」

 と言っても駄目だった。

「それ、食べないのならちょうだいよ!」

「だから最初に言ったじゃない。たとえいらないと思ったとしてもあげないからね、って」

 と言うと逆ギレし出した事さえあった。馬鹿は死ななきゃ治らない、とはよく言った物である。

 それだけではない。その一日分の二食のメニューがレトルトのカレーとハンバーグだったりすると、やはり彼は決まってこう言うのであった。

「ハンバーグカレーにしようよ!」

 まるで子どものように、それはそれは嬉しそうに言うのである。

「だから、いっぺんに二つ食っちまったら、仕事が終わった後に食う物がなくなるだろ!」

 と言うと、これまたやはり「コイツまた怒ってる!」と言わんばかりの嫌そうな顔をするのである。「ハンバーグカレー」といういかにも子どもの好きそうな下卑た食べ物が、彼の頭のレベルを象徴しているとも言えよう。


 この馬鹿どもにとって食べ物とは、ただ上から下へと垂れ流す物なのだろう。そして、人の話という物もまた、右から左へと聞き流す物なのだろう。こんな下劣な者どもに、「食べる事を恥ずかしいと思う」などというきわめて哲学的な話などまるきり理解できないであろうし、そもそも食べ物の有り難さなど分かるはずもなかろう。だからといって、何も僕は、「だからあなたも一日一食にしなさい」とか、「菜食主義者になりなさい」などと言うつもりは毛頭ない。たった一言、こう言いたいだけなのである。

 …「聞く」と「食べる」は良く似てる、と。

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嫌われたっていいじゃない! 如月トニー @kisaragi-tony

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