13・期限

第23話

家に帰る途中、お昼過ぎに美沙が来てからずっと放置していた携帯を確認すると、海斗からのLINEメッセージが来ていた。


『葉月の家近くのファミレスにいる! 勉強しているから、都合いい時間におまえも来いよ』


 そんなメッセから始まり、最後は数分前の『勉強しねえのか? テスト前に余裕だな』まで、ファミレスに来いって内容のメッセが五件も来ていた。


 昨日の今日で海斗のことは何も考えられていない状態で会うのも気乗りしなかったけど、とりあえず電話をしてみた。


「なんだよおまえ、ずっと無視されているのかと思った」


 電話の向こうから、海斗の明るい声が聞こえた。


「美沙が家に来ていて、携帯放置していたの。けど、なんで家の傍のファミレスに来てんの?」


「おまえと一緒に勉強するために決まっているじゃん」


「こっちの都合もあるんだから、誘ったり相談したりしてよ」


 私は自分の部屋に着くと、電話をしながら片手で持って行く勉強道具を集めた。


「いや、さすがに昨日の今日で、図々しいかなって」


 いきなり来て待っているのは、図々しくないのか……。


 とりあえず、手近な鞄に持って行く物を詰めた。


「けど、今日は葉月は無理そうなの?」


 そう聞かれて、自分が普通に行く気満々で支度をしていることに今更ながら気付いた。少しも躊躇していないじゃん。


「美沙が帰ったから行く支度しているけど、もしかしてもう帰る?」


「いや、まだ夕方前だし、待っているから来いよ」


 海斗はあからさまに嬉しそうな声を出して、そのまま通話を切られてしまった。


 『来いよ』はいいけど、ファミレスで海斗を探すのが至難の業って事を分かっているのだろうか。


 まあ、どこに居るのか分からなかったら電話すればいいのだけど、ファミレスに入って探すと思うと少し面倒臭い。


「そこのファミレスで勉強して来るね」


 と母に告げて家を出ると、またLINEが来た。


『奥の窓側ソファ席にいる。ちなみに今日のファッション』


 という文章と一緒に、ファミレスの席に座っている海斗の自撮り写真が送信されてきた。表情は読めないけど、目も鼻も口もいつもの海斗とは全然違うような気がした。


 ファミレスに着くと、席と服装が分かったおかげですぐに海斗を見つける事が出来た。


「おっ、すぐに分かったな。良かった」


 私を見つけると、海斗が手を挙げて声を掛けた。いつもの三日月目が笑っているのが分かった。


「うん、写メがあって助かった。でも、これ顔のパーツが見た事が無い感じで……どんなによく見ても長谷川君じゃないみたいだった。どんな表情をしていたの?」


 私がさっき送られて来た写真を見せると、海斗は「やべっ」と小声で漏らした。


「ごめん、ギャグで変顔していたんだけど、葉月には分からないか」


 変顔って、つまりは変な表情をして写真を撮るってやつか。聞いても私には理解の出来ない部分だから「そうなんだ」と相槌だけ打った。


「長谷川君は昼過ぎからずっと勉強していたの?」


「まあな。他にやることも無いし」


 海斗は飽きているんだろう。私が座ってからずっとシャーペンをテーブルの上に置いてしまっている。


「昨日も出かけちゃったし、私はこれから本気で勉強するよ」


「いいよ。じゃあ、俺もまだ勉強する」


 やっぱり、もう勉強するのをやめて、ただ私を待っていたのかもしれない。そんな事も思ったけど、店員にドリンクバーだけ注文をすると勉強に集中した。



「ちょっと休まない? その集中力はすごいな」


 ノートをつつかれて、私は海斗の存在を思い出した。


 外を見るともう真っ暗だった。


「帰るの? 私はもう少し勉強していく」


「帰らねえよ。少し休憩!」


 海斗は私のノートと教科書を取り上げた。


「おまえさ、俺がただ勉強に誘っていると思っているの?」


 表情は分からないけど、明らかに呆れている口調だったから、私は海斗の目を見た。それでも、いつもの三日月目がそこにあって、笑顔だったようで少しホッとした。


「昨日の返事は……まだ用意できていないよ」


「いいよ、そっちはゆっくりで。焦って考えられたら断られるって分かっているし」


 だったら、私はずっと返事をしないかもしれない。今、こうやって会っているのが楽しくて気楽だった。そして、そのうち海斗に彼女が出来て、少しずつ距離が出来ていくのが理想的だった。

 それなら、心の扉をいきなり開いたりいきなり閉じたりする必要もなく、少しずつ開いた扉を少しずつ閉じればいいだけだから……。


 だけど、海斗の方が扉を開くか閉じるかの選択を迫って来てしまったのだから、私の好き勝手なことを言うわけにはいかなくなってしまった。


「じゃあ、いつまでに返事したらいい? 心が決まるまでって言われたら、ずっと返事しないで、長谷川君が他の子を好きになるのを待つかもしれない」


「何だそれ? ひっでえな」


 海斗はケラケラと笑ったけど、私は「酷いのはそっちだよ」と呟いた。笑い声が止んだから私の声が聞こえていたのだと思うけど、海斗はそれについては何も言わなかった。


「じゃあ、テストが終わるまではこの話は保留にしようぜ。返事は終業式までってことで。付き合うことになったら、夏休みはいっぱい一緒にいられるし、ダメでも夏休みに入ったら気まずく無いだろ」


「……分かった」


 確かに夏休みは一ヶ月以上あるから、その間に会わなかったら、また一人の生活に戻れるような気がした。


「俺、葉月と一緒に出かけるプラン、いっぱい考えるからな」


 海斗が私の頭に手を乗せて、髪をくしゃくしゃっとした。


 まるで私の心の中を見透かしたようだった。


「……うん。頭から付き合わないって考えないで、長谷川君と付き合えるかどうか……ちゃんと考えるから」


「ったりめえだ。俺だって真剣に好きだって言っているんだから、おまえも真剣に考えろ」


 海斗と一緒に居るのは楽しい。だけど、この関係がずっと続くわけじゃない……。終わる時を恐れて始めないか、終わりがあっても始めるか、という選択なのかもしれない。


「そう言えばさ。長谷川君、学校で私を好きだって公言していたんだってね」


 私はドリンクバーのホットコーヒーに口をつけて、このコーヒーは失敗したと思って口を曲げた。


「ここのコーヒー、不味いよな」


 私の顔を見て、海斗の目が三日月形になった。


「別に公言したわけじゃないんだけど。葉月をいいって言っている奴がいたら、積極的に俺が好きな子だってことはアピールした。それに俺と付き合いたいって言ってきた子に『好きな人がいる』って断った時、誰か聞かれて葉月だって答えたりはしたかな」


 そういうことか。とはいっても、もう周知の事実であるのは確かだから、付き合っても断っても噂になることは必至だな。


「そろそろ休憩終わってもいい? 中途半端に中断されて気持ち悪いんだ」


 私が手を伸ばして海斗が取った教科書とノートを取ろうとしたけど、海斗はそれを阻止した。


「葉月って本当に勉強が好きなんだな。俺、頭いいから勉強は出来るし嫌いじゃないけど、おまえを見ていたらそこまで勉強が好きかどうか分からなくなった」


「うん、勉強に没頭すると忘れられたんだよね。人の顔が分からないとか、そういうことを。勉強って一人でするものだから、人と関わらなくて済むし」


 スポーツとか習い事とか、誰かと接しなきゃいけないようなことは出来なかった。だからこそ、自分の役に立つ勉強っていう方法になってしまったんだと思う。


「ふうん」と言って、海斗はようやく教科書とノートを返してくれた。


「そうだ、数学で分からないところがあったの。長谷川君に聞こうと思っていたんだ」


 返してもらったノートを広げて見せると、海斗は急に明るい声を出して張り切って教えてくれた。




「そう言えば、おまえ何年か前の雪町駅の遺体、気にしていたよな?」


 帰り道でふいに海斗が言った。私は昼間の美沙の言葉を思い出して、胸がドキンと高鳴った。


「あの七、八歳の女の子?」


「うん。俺、あのあと思い出したんだけど、あの公開写真にあったワンピースあるじゃん? あの子が着ていたオレンジ色の花柄のやつ」


「うん……」


 あの子は一月だったのに夏服のワンピースを着ていた。


「あのワンピースを着た背格好がよく似た女の子を俺は知っていたんだ」


 私は思わず立ち止まって背の高い海斗を見上げた。


 あの女の子は美沙とは関係が無い、実在する子だったということだろうか?


「名前も知らないし、正直言って顔もよく覚えていないんだけど。夏休みに何度か一緒に遊んだんだ。近所の公園にあの子が来ていて。で、最後に会った時にあのワンピースを着ていた」


 三年前……中一の海斗が夏休みに公園で七、八歳の少女と遊んでいたの? ちょっと想像がつかない。実は近所では子ども好きのお兄さんとか……?


 私は話の主旨とは違うところが引っ掛かりながら、海斗の話に耳を傾けていた。


「あのワンピースを着ていた日のあの子は、ずっと会いたかった人に会いに行くんだって、とっても楽しみにしていたんだ。ただ、その後はその子と会うことは無かった。夏休みが終わる前に、その子が住んでいると言っていた家に行ってみた。そこは確かにその子の家だったみたいだけど、既に引っ越していたんだ」


「……家にも行ってみたの? それって、本当に三年前の話?」


 どうしても引っ掛かって海斗の顔を覗き込むと、海斗は三日月の目になって口元も緩めて笑っていたようだ。


「普段は鈍いくせに、こういうことには鋭いんだな、おまえ。三年前じゃないんだ。俺が小学校一年生の頃の話だから、もう九年も前の話だな。その子も同い年だった」


 海斗はケラケラと声を上げて笑った。


「だから、あの事件とは無関係なのは知っているんだけど、どうしてもあれはあの子だったと思えて仕方が無いんだ。だって、あのワンピースはお母さんの手作りだって言っていたんだ。それとそっくりなんだよ」


 もしかしたら、それは小一の頃の美沙なんだろうか……。その美沙をあの母親が三年前の、つまり当時から言えば六年後の一月に連れて行ったとか。

 だけど、美沙の母親は酷い状態だったから、当時は母親がそんな服を作ってくれるはずも無い。


 ワンピースが似ているだけで、年齢も違う他人だと考えるのが常識だと思う。美沙の母親が過去や未来へ自由に行けるとか、そんなSFみたいな話を前提に考えてしまったことに、私は自分を笑いたかった。


「あの子は凄く印象的というか……不思議な子でさ。機嫌がコロコロと変わったり、言っていることが奇妙で可笑しかったり、凄く変わり者だったな。俺もガキだったから遊べたけど」


 有り得ないと分かっていても、私は海斗の話と美沙の言葉と三年前の事件の繋がりが気になって胸のドキドキが止まらなかった。


「顔色悪いけど、大丈夫か?」


 そんな私に気がついたようで、海斗が私の頬に手を当てた。


「……長谷川君って、頭やほっぺに触るの癖だよね」


「別に癖ってわけじゃないよ。誰にでもしているわけでも無い。これくらいなら許されるかな? って探りながらやっているんだ」


 海斗はそう言うと、またポンポンと私の頭に手を置いた。


 モテ男も意外と慎重なんだな、と思うとまた少し親近感が沸いた。


「意外とシャイなんだ、長谷川君って」


 そんなやり取りが、少し気分を変えられた。


「私、やっぱりあの子に同調しちゃうみたい」


 いつの間にか雪町の駅まで着いていて、改札からあのベンチが見えた。


「あの子は顔があるのに、誰にも分かってもらえないんだよね……。自分と逆だって思うのと同時に、いつも思っていたの。もしかして私の知っている子だったとしても、私は毎日あの写真を見ていたのに、気付いてあげられないんだって」


「俺も時々思ったな」


 海斗が三日月目になって言った。


「脅迫電話が掛かってきてさ、ボイスチェンジャーの高い声で『おまえの親父を預かった。殺されたくなければ……』って言われても、俺、絶対に何を言っているか聞き取れないなって」


 それを聞いて、私は思わず大笑いしてしまった。


「あれ? また葉月の家を通り過ぎて駅まで来ているし。おまえも何か言えよ」


 海斗が今頃気づくと、小さくため息をついて片手を額に当てていた。


「通り過ぎたのは分かっていたけど、話に夢中になっちゃったから。たまには私がここまで送るのでいいじゃん」


「あほか。もう遅いんだから、家まで送る」


 海斗はまた来た道を私の家まで戻って、その後また駅まで戻るのか、と思うと何往復するんだろうと可笑しくなった。


 出来れば、海斗とはもう少し線引きをして接したいのに、少しずつ近くなっていくのが恐いような気がしていた。その反面、どこか嬉しい気持ちもあった。


 結局、線引きをしたい気持ちと嬉しい気持ちの綱引きで、この勝敗によって付き合うかどうかを決めるのかもしれない……。

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メガネの向こうに優しい三日月 amanon(旧michico) @michico

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