第八話/一つ穴の家族

「吉田先輩。俺、結婚するんです」

 昼食を終え、吉田がリビングでくつろいでいた時である。同じく昼食を終えた鹿又が突然告げた言葉に、吉田は「へ?」と目を丸くした。

「け、結婚……? え? 誰と?」

 手元のスマホを落としたのにも気が付かず、吉田は鹿又に詰め寄った。

 結婚って、まさか自分の知り合いとだろうか。吉田は頭の中を巡らせる。だが、知り合いに鹿又と結婚出来そうな人はいない。

「バイトの帰りに出会ったんです。それで……一目惚れして」

 一目惚れ。聞いた瞬間、吉田の頭がショートした。あの人間不信で画面の中にしかユートピアを求めていない鹿又が、一目惚れだって? 

 鹿又は照れたような笑みを浮かべているが、吉田は口を開けたまま固まってしまう。

 詐欺にでも引っかかっているんじゃなかろうか。でも、疑心暗鬼な鹿又が突然詐欺に騙される事があるだろうか。しかも結婚詐欺なんて。

 吉田が考えている間も、鹿又はつらつらと結婚相手について話している。

「……それで、仲良い人の話になって、吉田先輩の話をしたんです。そしたら、彼女が先輩に会いたいって言い出したんですよ」

 吉田が詐欺について考えていると、鹿又がそんな事を言った。突然自分の名前がでてきた吉田は、一層困惑しながら「なんで俺?」と疑問を投げかける。

「そりゃあ、一緒に住んでいる先輩ですから。彼女も気になるんでしょう。だから、会いに行きませんか。今から」

 今度は鹿又に詰め寄られて、吉田がたじろぐ。鹿又の目はいつも以上に本気だ。怖いほどに。吉田がこんな鹿又の目を見たのは初めてだった。よくオンラインゲームをする鹿又を見る時もあるが、その時以上に目が真剣である。

 鹿又の目の圧力に押し切られ、吉田は「わかった」と頷いてしまう。吉田の頷きを見て、鹿又は見たこともない笑みを浮かべた。それからすぐに「車出してきますね!」と楽しげな足取りでリビングを出て行く。

「……俺、スーツ持ってないや」

 一人取り残されたリビングで、吉田が呟いた。



 ****



 鹿又に連れられて辿り着いたのは、八王子にある小さな木造の一軒家だった。家の前に立って、吉田は子供の頃小学校の近くにあった空き家を思い出す。幽霊が出そうな、茶色くて古ぼけた不気味な家の事を。

「行きましょう」

 鹿又が草木の生えた小さな庭を通って木造屋に入っていく。吉田もそれに続き、そそくさと家に入った。

 家の中は思ったより広々としていた。既に年数が経過しているであろう和風テイストな内装を見ていると、吉田は生配信でプレイした「田舎で夏休みを謳歌するゲーム」の事が頭に思い浮かぶ。真新しさのない懐かしいような空気がする。

 ギシギシと鳴る長い廊下を鹿又が静かに歩いていく。吉田も何も言えずに後ろを歩いた。

 途中で鹿又が立ち止まり、何の躊躇いもなく襖を開けた。「先輩、どうぞ?」と鹿又が言うので、吉田は襖の開いた部屋に入った。

「……え」

 部屋に入り、吉田は言葉に詰まった。

 部屋の中央に置かれた長机を囲むようにして、五人の人物が座っている。何故なのか、黒い斑の着物を全員が着ていて、その顔には猫のような黒っぽい動物の面をつけていた。

 彼らは皆、微動だにせずその場に座っている。まるで、人形のようだ。

「すみません、お待たせしました」

 鹿又が聞いたことのない明るい声で五人の元へと歩いていく。吉田もハッとして、慌てて長机の方へ向かい座り込んだ。

 吉田は笑う事も忘れて、五人の人物を観察した。一体誰が鹿又の彼女なのだろう? 体格もほぼ同じで、しかも面をつけているから誰が誰だかわからない。

「貴方が吉田さんですのね」

 変な感じがして、居心地が悪くなってくる吉田に、誰かが話しかけてくる。男なのか女なのかわからない不思議な声で。

 誰が言葉を発したのか。目線を合わせようとするが、何処を向けば良いのかわからず吉田は曖昧に笑った。

「俺の彼女です、可愛いでしょう」

 鹿又が横から言う。吉田は「いや、どれが?」なんて言える程に無神経ではなかった。

「吉田さんはご出身は何処なんだい」

 また、同じ声が聞こえてくる。やはり誰が話しているのか、見当もつかない。

「お父さんです、良い人そうでしょう」

 吉田が軽くパニックになっていると、鹿又がまた言う。吉田は鹿又の顔を見るが、鹿又は吉田ではなく五人を見ていて視線が合わない。

 それから、何度かくるくると回るように同じ声が質問を繰り返してきた。もはや、誰が誰なのかさっぱりだ。

 声が吉田に話しかける度に、鹿又が嬉しそうに言葉を紡ぐ。その目はとろんとして虚ろだった。口元に浮かぶ笑みが、何かの異常を訴えている。

「ねえ、吉田さん。もうすぐ結婚式なんです」

 声がした。先ほどと変わらぬ平坦な声に吉田が顔を家族の方に向けると、仮面が一斉に吉田の方を見た。ビクッと肩を震わせた吉田に、更に誰かが言う。

「貴方には、鹿又さんを差し出す許可を頂きたいのです」

「さ、差し出す…?」

 訳がわからない。吉田が頭の中に疑問を浮かべている間も、仮面の家族は吉田の事を見つめている。吉田は動物の面の黒々とした瞳にじっと見つめられているのが恐ろしくなって、意を決して叫んだ。

「すみません、トイレに行ってきます!」

 吉田は立ち上がり、大股で部屋を出た。「トイレは右ですよ」と鹿又の声を聞きながら、襖を閉めて、吉田は部屋からなるべく離れた場所まで早足で向かう。

 それからすぐにポケットに入っていたスマートフォンを取り出して、ある人物の連絡先を探す。

 あった! と声を上げるのを堪えて、吉田はすぐにその人物に電話を掛ける。三コール置いて電話が繋がると、吉田は食い気味でその人物の名前を呼んだ。

「真木野先生ッ! ち、ちょっと今いいかな!」

 電話相手は、吉田と鹿又が何かと頼りにしている真木野である。この状況下で電話をしなければならないのはこの男だと、吉田は直感していた。

「わあ、何だい吉田君。お金なら僕は貸さないけれど?」

 電話越しでやや呆れ気味な声をした真木野に、吉田は「今日は違うよ!」となるべく小声で話す。

「なら、今日はどうしたんだい。もしかして……また僕に面白い話を聞かせてくれるのかな?」

 真木野の声が少し弾む。面白いなんてそれどころではなかったのだが、今の吉田が頼れるのは真木野しかいない。

 吉田は真木野に、これまでと今の状況を説明した。鹿又が「結婚する」と言い出した事。謎の家に連れてこられ、不気味な家族に出会った事。そして「鹿又を差し出す許可が欲しい」と言われた事…。語彙力の少ない吉田は、必死で自分の置かれている状況を伝える。

「……なるほどねえ。それはもしかしたら、妖怪の類かもしれない。実はね、とある妖怪は生者の魂を吸い取る際、儀式としてその生者に近しい人から『魂を吸う許可』を得なければいけないんだ。でないと、奴らは人の魂を食べられないから」

 真木野の説明に、吉田は息を呑む。そんな恐ろしい妖怪に、自分達が狙われているのかと、半信半疑な気持ちもなくはなかった。だが、この異様な状況にもし妖怪が絡んでいるとすれば納得がいく。

「吉田君、絶対に『鹿又をあげます』なんて言ってはいけないよ。それは、生贄に捧げているのと同義になってしまう。それで、そのとある妖怪というのは……」

 ブツリ。真木野の電話が、突然切れた。吉田が「先生?」と呼んでも反応がない。スマホを慌てて操作するが、電池が切れてしまったみたいに動かなくなってしまった。焦りが滲む。

 とにかく、きっとこのままではいけないのだろう。吉田は慌てて鹿又達のいる部屋に戻る。

 吉田が部屋の襖を開けると、部屋の中に家族の姿がない。周囲を見渡すと、部屋の角に鹿又の姿を見つけた。

「鹿又?」

 吉田が鹿又に近づく。何かが聞こえる。どうやら鹿又が何かを喋っているようだ。

「……ええ、そうですね。今度は遊園地に行きましょう。写真……沢山撮りたいですね、あはは……」

 吉田が、背中を丸めた鹿又の手元を覗き込む。そして思わず声を上げそうになった。

 鹿又が熱心に話しかけていたのは、薄汚れた日本人形だ。着物がぼろぼろになった白い顔の人形。その奇怪な微笑みに吉田はゾッとする。

「鹿又ッ! そんなの捨てろ馬鹿ーッ!」

 吉田は鹿又の手元の人形を奪って遠くにぶん投げる。ガコッと音がして壁に人形が打ち付けられたのを、鹿又はぼんやりと見つめていた。

「もう帰ろう! こんな所にいちゃいけない!」

 吉田が鹿又の腕を引っ張る。鹿又はされるがままに吉田に引きずられて部屋を出た。

「い、家の出口! どこだっけッ!」

 吉田は鹿又に問うが、鹿又は何も言わない。意識がぼーっとしているらしい。意思疎通が上手くできない。これじゃ埒が明かないと、吉田は鹿又を連れて、直感で歩き出した。

 長い廊下を歩く。ひたすら歩く。すると、玄関らしきものが見えて、吉田は鹿又と走った。

 だがしかし、いつまで経っても玄関に辿り着かない。すぐ近くにあるはずなのに、走っても走っても近づかない。まるでトリックアートみたいだ。

 ドン、ドン。何処からともなく太鼓のような音が聞こえてくる。吉田の恐怖が増大していく。

「よこせ」

 あの家族の声が聞こえた。吉田は鹿又の掴んだ腕を離さずとにかく走り、鹿又もぼんやりとした意識のまま走る。

「よこせ」

 太鼓の合間に聞こえる平坦な声。このままでは、捕まってしまう。だがどうしたらいいのかわからない。

 ふいに吉田は後ろを振り返った。

「うわ……」

 吉田と鹿又の背後は、空間がねじれてめちゃくちゃになっていた。ねじれた空間の中心は、まるで新聞紙を丸めたように、吸い込まれそうな黒い穴が出来ている。

 吉田は、走りながら考えた。一か八か……その穴に飛び込んでみようかと。 

「鹿又! 行くぞ!」

 吉田は踵を返し、鹿又を引っ張って黒い穴の方へと向かって走り出した。鹿又は相変わらずぼんやりしているようで何も言わない。

 頼む、何とかなってくれ!

 吉田は祈るような気持ちで、鹿又と共に黒い穴に突撃した。



 ****


 

 ズキッ。

 痛みと共に目を開ける。硬い地面の感触が頬に伝わって来た。身体をゆっくりと起こす。

 気づけば、吉田は道路に身体を投げ出されていた。辺りはすっかり暗くなっている。

「いてぇ……って! か、鹿又?」

 吉田は鹿又の姿を探す。鹿又はすぐ近くで倒れていた。慌てて揺り起こしても、鹿又は反応しない。どうしよう、まさか……そう思いながら、寝転がる鹿又の胸元に耳を当てる。

「……生きてる」

 吉田は心底ほっとして、泣きそうになった。鹿又が生きていてよかったと、叫びだしそうになった時。

「おい! 何してやがるこの酔っ払い共!」

 突然、吉田の視界が眩しくなり、怒鳴り声が響いた。吉田が光の放たれる方を見ると、そこには一台の軽トラが停まっている。

 ガチャッとドアが開く音がして、軽トラから誰かが降りてくる。黒い長靴に作業着の男のようだ。

「こんな所で寝っ転がってんじゃあねえ! ったく、何処の家のモンだ!」

「い、いや! 俺達は……あれ?」

 実はあの家から出てきたのだと吉田は家のある方を振り向いた。だが、そこには家はない。あるのは、鬱蒼とした竹藪だけだ。しかも、近くに停めていた車もない。

「何を寝ぼけていやがる! やっぱり酔っ払いなだな! この野郎!」

 吉田が呆然としていると、作業着の男は更に吉田を怒鳴りつける。その声で我に返った吉田は、鹿又を肩に担ぎながらひたすら男に謝った。

 自分達が見たあの事象を説明したって、きっと信じてもらえないだろう。吉田が説明することを諦め、とにかく謝っていると、ふいにガサガサと竹藪から音がした。

 思わず吉田が身構える。しばらくガサガサと音がして、藪の中からゆらりと何かが出て来た。

「……ああ、狸だよ」

 男が言う。ライトに照らされたそれは、確かに狸だ。黒に茶色の、のそっとした風貌の狸は、特に慌てる様子もなく道路を横断し畑の中へと消えていく。

「あの竹藪にゃ、昔から狸が住んでるんだ」

 吉田は男の話を聞きながら考える。真木野の言っていた妖怪は、もしかして狸なのではないか。自分達は、狸に化かされたのではないかと。

「……まあいい。とりあえず、今回は見逃してやる。ほら、車で送っていってあげよう」

 吉田は男の顔を見た。それからじっと、男を見つめてから首を横に振る。

「ごめんなさい。鹿又はあげません」

 吉田はハッキリそう言った。男はきょとんとして、「乗らないってことか?」と尋ねてくる。吉田は「歩いて帰るので」と男の目を見つめた。男は吉田の意志の強い瞳を見て「まあ、乗らねえならいいけどよ」と頬を掻いた。

 男はくるりと吉田と鹿又に背を向けて車に戻っていく。しかしその途中、一瞬だけ動きを止めて小さな声で言った。

「食えない奴だ」

 聞き返す暇もなく、男は車に乗り込み瞬く間に走り去っていく。取り残された吉田は、その車が遠ざかるのをただ見つめていた。

「……うぅ」

 車が去っていって数分。鹿又が呻き声を上げて目を覚ます。吉田は鹿又が目覚めたのが嬉しく、耳元で「バカヤロー! 心配かけやがって!」と大きな声で叫んでやる。

 それからしばらく。

 駅前までなんとか辿り着ついた二人は、たぬき蕎麦を啜って帰ったのだった。

 




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