地獄街道漫遊記

@kuma_akino

一章 地獄街道ー零 「釈放場」ー罪と名前

「やっと、終わった。終われる・・・。」



 太陽が照り付ける夏の海。時刻は午後一時頃だろうか。三十メートルはあろう断崖に男は立っていた。その男は細身寄りの中肉中背でどこかの学校の制服らしきものを身に着けて海を見ていた。夏の太陽が海を照り付け、きらきら反射して彼の目に届く。目が隠れるほどの髪をたなびかせ、つり気味な目を見開いた男は「これ以上にきれいなものはこの世に存在するのだろうか。」と考え、風と波に揺れる静寂を脅かさないよう、そっと息を吐く。そこには、少なくとも彼の五感の中では、彼以外の生命はいなかった。


 男は死に場所を探していた。死ぬためにここに来たのだ。自殺だ。波に揉まれ魚に食われ、骨しか残らない。否、骨も残らないかもしれない。今から彼はここを飛び降りてほんの十七年の人生に幕を閉じる。男はまた大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。

 人が自死を選ぶ理由にはいったいどのようなものがあるだろうか。それこそ具体的事例を探せばその分類は多岐にわたるだろう。しかし人が死を選ぶ本質的、かつ抽象的な理由はいつだって平凡な、そう。平凡な絶望だ。彼はそう思っている。実際、彼を取り巻く環境は決して平凡とは言えないような特殊な現実の連続であったが、彼が死を選んだ本質的な理由はそうだ。


 人生に絶望して、自分の未来がその欠片すら見えなくなったから。生きる理由がなくなってしまったから。周りの大人が絶望へ進む彼を抱きしめ、その足を立ち止まらせることができなかったから。人が死ぬには十分すぎる理由だ。



「ごめん、父さん、母さん。俺は最悪の親不孝者だ・・・。」



 遺書は部屋に置いてある。ここへ至る経緯も、俺の罪も、俺の気持ちも。そして、二人への感謝も。何もかもを書き記した。男からの一方的な最後のメッセージに二人は何を思うだろう。「二人には生きていてほしい。」それはこれから死ぬ者が生きる者に送る、最悪な生きる原動力と成り得る言葉だ。呪いと言ってもいい。そしてその呪いは子から親に送る、最大の喪失だ。この先二人の人生は地獄すらも生ぬるいかもしれない。



「地獄・・・。地獄か。やっぱり俺が行くのは地獄だろうなぁ。」



 男は足を一歩踏み出した。たったそれだけで、幾度も繰り返したその行為一つで男の手には片道切符が握られる。不快な浮遊感が体を支配し、根源的な恐怖が体に絡みつく。動悸は激しくなり、呼吸は荒くなる。先ほどとは違う発汗を頭からの風が冷やし、背筋を凍らせる。それでももう、この空中列車は止められない。



「また、会えるかなぁ・・・。いや、無理だろうなぁ。」



 男はボソッと呟いて、自身の終わりを夢想する。地獄。それは罪を犯した者だけが訪れられる、死後の世界で最も自由な、悪童たちの監獄だ。

 男はそっと、目を閉じた。




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「・・・え?」


 轟く爆音で目を覚ますとそこには息を奪うような光景があった。燃える洞窟のような空間。ごつごつした岩肌に木製の残骸と炎が散らばりその空間を支配している。よく見るとこの空間のあちらこちらにぼんやりと白い、ゆらゆらした球体?のようなものが浮かんでいた。その白い球は侵食する炎から逃れようと慌てているようだった。ぼんやりとした意志を感じる白い球からさらに空間の中心部分に目をやると、そこにはこの空間を作り上げた張本人であろうが二人、炎の中で踊っていた。いや、それは踊りというにはあまりに苛烈。戦い、否、「戦争」だった。



「いい加減にしてくださいよ!あなたのせいで釈放場がめちゃくちゃじゃ・・・ないですか!」



 この場で戦争に興じる一人の少女が迫る炎を拳でかき消しながら言った。ショートボブの白髪を荒々しく靡かせる小柄な少女は、声を荒げ、震わせる。白の半袖ワイシャツに紺のパンツというフォーマルな服装にオーバーサイズの派手な薄手のコートを羽織っており、炎の熱と激しい動きでバサバサと音を立てながら大きく揺れていた。顔に浮かぶのは確かな憤怒の色。拳を握りこむ音までも聞こえるほどの激情だ。



「カカッ!半分は貴様が破壊したんだろう?責任の押しつけは良くないぞっ。」



 対するもう一方の少女は嗤う。ぼさぼさの赤髪に目の周りをなぞる黒いラインが特徴的な少女だ。白髪のステゴロ少女と比較してもさらに小柄なこの少女は胸のあたりにはサラシを巻き、ダボっとした大きめのサイズで裾を絞ってあるサルエルパンツのようなものを穿いている。いや、それだけではない。この赤髪の少女は炎を纏っていた。どこからか彼女の周りに現れる炎をまとめて、回して、放って。変幻自在の炎を操り火と共に踊る彼女の顔には確かな興奮が読み取れる。


 どうすればいいんだろうか。明らかに人知を超えた戦いが年端もいかぬ二人の少女によって巻き起こっている。男は改めて空間を俯瞰した。

 ああ、でも、きれいだなあ。薄暗い洞窟のような場所、苛烈に踊る炎に照らされる白い球と二人の少女。その空間は死の空気を纏いながらもなお、幻想的だった。

 本当にここは現実なのだろうか?人が炎を放てるか?拳でかき消せるか?あの荒れ狂う炎の中でやけど一つ起こさずに?夢見がちな中学生でさえもっとましな妄想をするだろう。少なくともこんな身にまとわりつく空気すべてが死を連想させるような状況なんて夢の世界にしか存在してはいけないはずだ。

 死?そうだ。そもそも俺はあの時死んだはずだ。崖から海に飛び込んで一瞬で意識を、そして命を刈り取られたからちゃんとは覚えていないが、あの状況で生き残るのは不可能と言っていいはず。


なんで今、俺はここにいる?


 考えに耽っていると、というより体が動かず固まっていると、さっきから周りを漂っていた白い球の一つが俺のそばにふよふよと浮かんで来た。その後、ふるふると体を震わせて盾にするように俺の後ろに回り込む。

 これは、怖がっているのか?まぁ、当然か。もしこの白たまに意思がほんの少しでもあるのなら、この状況で命の危険を感じないほうがおかしい。その姿に生前の妹の姿を見て、ほんの少し微笑ましくなり、少しだけ体を大きくして盾になってやる。今でも恐怖は確かにそこにあるが、それでも少しだけ心が落ち着いたのを感じた。ほかの白たまは・・・。と改めてあたりを見渡すと、ほとんどの白たまは炎や少女らから逃げるように動いているようだ。戦いはますます激しくなっていく。



「あ、そこは危ないっ・・・!」



 赤髪炎少女が放つ炎の余波が白球の集まる場所へ迫る。



「白っ・・・!」



 ただの連想だ。自身の記憶を重ねて勝手に感傷に浸っているだけ。だが、確かに彼はその白い球に自身の「過去の親愛」を見た。俺が生きた場所。俺の家族。俺のかけがえのない大切な記憶。そして、俺の罪。動かそうにも体が動かない。動いたところで間に合わない。思考がスローモーションになって、ぐるぐる回る。一瞬の思考から晴れて、もうその場所に炎は到達していた。そして、


 炎が消えるとそこにはもう何もいなかった。



「・・・え?」



 それを見た瞬間には、体は動き出していた。後ろにいた白たまが困惑したように体を揺らしたのが分かった。反射だった。なぜそうしたのか、分からなかった。いや、後から振り返れば理由はいくらでも挙げられる。

 あの白い球と自身の家族を重ねてしまったから。現状話ができそうなのがあの少女らを除いていなそうだったから。どうせ死のうとしていた身だから。そして何より、



「あ・・・。あああっ・・・!」



 ここで動けなければ今までの自分が否定されるような気がしたから。自分が自分ではなくなって、今の自分が過去になってしまう。それで、「人は変わる生き物だから。」と言い訳して、成長したふりをする。・・・そんなのは嫌だ。まだ今の自分を「後悔」にはしたくない。死ぬほど怖いし、状況もよくわかっていない。それでも動け。不格好でも足を前に出せ。息を吸え。声を出せ。叫べ。じゃなきゃ、一生どころか、死んだ後も自分で自分のことが許せなくなるっ!



「・・・ああああっ!いい加減にするのはお前らの方だろうがあああぁっ!」


「は?」


「んあ?」



 男の声は確かに今にも拳をぶつけんとする二人の少女たちの耳に届いた。両手を広げた男が打ち倒すべき敵との間に現れ、少女らの拳を振りかぶるその動きが一瞬止まり、一瞬の思考が体を支配する。黒髪の見知らぬ男だ。なぜ?ここに?どこから?いつから?


 何で?


 だが振りかぶる拳は完全には止まらない。咄嗟のことで威力を弱めることしかできなかった。光景が妙にゆっくりだ。男の体に少女の拳がめり込む。対面の少女の拳も同様だ。見れば彼女も目を見開いている。炎と衝撃が衝突して視界は赤く、白く、黒く染まっていく。





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「おーい。だいじょぶかっ?カカッ。」


「あのですね・・・。ちゃんと反省してください!あんな理由で・・・。」


「だから、悪かったって言ってるだろー。」



 気付いたら先ほどと同じ岩場に寝ていた。声色から二人の少女は落ち着いているようで、先ほどまでの激情や狂喜は見る影もない。周りを見渡すとまだ戦いの残滓は残っている。岩は砕け、残骸と炎はなおもその存在感を主張する。しかし、その勢いは衰えていっているようだ。白たまはあの時程の意思を感じず、ただ洞窟内を漂うばかり。薄暗い洞窟を頼りない明りと白たまのほのかな光、そして目の前の焚火がやさしく照らす。いや、よく見れば焚火には薪には明らかな木製の建造物の残骸が使われており、白髪の少女のやけくそ感を感じる。強者どもが夢のあと、そう表現するのが正しいか。

 しかし、なんで自分はまだ生きているのだろうか。明らかに人間が耐えられる威力の衝撃ではなかったはずだが。もしかしたら自分は気付かぬうちに不死身の肉体を手に入れてしまったのだろうか。だとしたら嫌だな、と男は思っていた。死ぬ場所を求めていたのに死ねなかったのはなんだか恥ずかしい。



「お、目ぇ覚めたみたいだなっ。いやー、悪い悪い。全然気づかんかったわー。で、お前どっから来たの?ミルタあたりのペットか?」


「そんなわけないでしょう・・・。あの偏狂家は人型に興味は持ちませんよ。・・・えっと、すみません。私も戦いに夢中であなたには気づきませんでした。大丈夫ですか?」


「あ、はい・・・。」



 二人の少女に話をかけられ答えながら男は体を起こす。二人の少女はそれを見てゆっくりと体を持ち上げながら三人で焚火を囲むように座った。この二人は一体何なのだろうか。さすがに自分と同じ人間だとは認めたくない。多様性の時代とはいえ、炎を放ちそれを拳でかき消せる存在を人間と認めることには抵抗がある。これは差別じゃない。区別だ。それにこの場所・・・。見たことのないことはもちろん、こんな洞窟のようなところにいるのは意味が分からない。海の海流に流されたとしてもさすがにこんな洞窟の奥には来ないだろう。それとも満潮時はここまで水が張るのか?いや、それにしては建造物の名残がある。それに海の匂いはかけらもしない。そもそもここは海の近くじゃない、気がする。

 二人の少女は思考に耽る男を不思議そうに眺めている。そうだ、この二人に聞けばいい。迷惑をかけた自覚はあるようだし、質問にくらいは答えてくれるだろう。



「あの、ここってどこなんでしょうか。」


「・・・は?いや、え?お前・・・どこから来た?」


「・・・。」



 質問に質問で返されてしまった。いや、さっきも聞かれていたか。じゃあお互い様か?お互い様なら初手からぶん殴られてるし、もう口調も砕けたものでいいか。というか、どういう意図の質問だろうか?どこからと言われても・・・家から?崖から?海から?難しいな。まぁ経緯を簡単に説明すれば問題ないだろう。



「あー。恥ずかしいことに自殺をしようとして、気付いたらここにいたんだ。海に飛び込んだことは覚えてるんだが、そこからの記憶がない。それでここはどこで、君たちは何なのか教えてほしいんだが・・・。」


「え?本当ですかっ!?」


「・・・まじか。ひっさびさに見たわー。」


「?」



 声を張り上げる少女に何のことだか分からず男は困惑した。よく分からないが二人の少女は驚愕しているようだ。白たまが三人の間をふよふよと通り過ぎる。



「ああ、悪い。わかんないよな。レイ、説明してやれよ。」


「まぁ、それが道理ですね。えー・・・コホン。私はここ、『釈放場』を含めた『地獄街道』の管理者、レイですっ!あなたは死にましたっ!ざんねん!ごしゅーしょーさまですっ!」


「・・・。」


「何そのキャラ・・・。ちょっときもいぞ?」


 白髪のステゴロ少女、レイが「れすといんぴーす!」と続けながら、ウインクにピースサインを取る。溌剌と言うが、絶望的に状況と内容に合っていない。おまけにその内容も残念ながら元気に騒げる内容じゃない。うーん、どう反応したものか。と男が考えている間に沈黙が場を支配する。レイは今更恥ずかしくなってきたのか顔を赤くした。白い髪と顔に朱が映える。この少女も残念なのか・・・。



「えっ・・・と。」


「すみません・・・。最初にここに来る魂の中で身体を持つ人にあったのは初めてだったのでテンション上がりました。忘れてください。」



 顔を赤くしたままレイが呟く。そしてコホン、ともう一度咳払い。



「気を取り直して説明を続けますね。心当たりはあるようですが、あなたはもうすでに死んでいます。ここは死後の世界、その中でも一等の罪人が辿り着く地獄街道です。」


「罪人・・・。」



 心当たりはある。自分の死にも、罪にも。自殺をする前にも自分は人を殺している。おそらくはそれが原因でこんなところに来てしまったのだろう。思考が暗い所へ沈んでいく。



「ええ、ですがそれだけではありません。通常ここに来る魂はあのように周りに漂っている白い球にしっぽが生えたような形をしているんです。」


「あ・・・白たま・・・。」


「ああ、そのように呼んでいるんですね。ではそれに倣って白魂、と呼称しましょう。白魂は罪の意識を持つ魂です。閻魔という名前の爺の判決を受けた、罪の意識を持つ魂は最初にここ、地獄街道の始発点、釈放場に現れます。そして白魂は地獄街道を通りながら地獄を巡って輪廻に帰る。一部の例外はありますが基本はそうです。そのとっても珍しい例外の一つが今の段階で身体を持つあなた・・・。えっと、名前聞いてもいいですか?」


「あ、悪い。えっと、俺の名前は・・・。」


「ちょっと待った。」



 自身の生前の名前を言おうとした瞬間、赤髪炎少女が口をはさむ。レイが「む、何ですか。」と少し不機嫌そうに言った。そういえばこの少女の名前は何というのだろうか。赤髪の少女は心なしか先ほどと雰囲気が違うように見えた。



「補足だよ。ああ、オレはウェレアだ。ウェレア・フレイン。ウェルと呼んでくれ。」


「うん、よろしく頼む、ウェル。それで、補足って?」


「ああ、端的に言えば、ここ、地獄で生前の名前を名乗るのはお勧めしない、ってことだ。」


「・・・?」


「オレは、生前は人間で今レイが言ったような流れで地獄街道に来た。そのあと地獄街道で身体を得て、そのタイミングでこの名前を自分で考えて付けた。なぜ生前の名前を付けず新しい名前を考えたか分かるか?」



 自分で名前を付けなおした理由?何だろうか?いくつか理由は考えられそうだが・・・。いやそれよりも今、「地獄街道で身体を得て」って言ったか?周りに漂う白たまは肉体を得ることもあるのか。驚きだ。

 未だ名無しの男は思わずあたりを見渡した。ウェルはそれを否定と捉えたのか話を続ける。



「分からねぇか?理由は複合的で必ずしも一つではないが、一番の理由は『過去の自分と決別し、今を、ここ地獄で生きる』と決めたからだ。」


「それは・・・どういう意味だ?もう少し詳しく頼む。」


「ああ、ここで身体を得るということは罪の証明なんだ。その身そのものが罪を表す。」


「は?いやここに来るのは罪を背負った魂なんだろ?あの白たまたちも、俺も、ウェルも。その身そのものが罪を表すと言うなら白たまの状態でもうすでにそうなんじゃないか?」


「いえ、違います。ここへ来るのは『罪の意識を持つ魂』です。極論を言えば盗みをしようが、強姦をしようが、人を殺そうが当人がそれを『罪』と認識していなければここには来ません。例のごとく例外はありますし、天国へ行けるかはまた別ですが、後悔に後悔を重ねて死ぬ直前まで罪の意識を抱える存在、その魂がここに来ます。割合的にはあなたのように自殺を選択した魂が来ることが多いですね。人間以外も来ますが、動物は少ないです。勘違いする方も多いらしいですが、地獄はおおむね、それを罪だと認識していない人に罪を自覚させる場所ではなく、罪だと認識している人にその罪を受け入れ、乗り越え、管理させ、そして輪廻に帰らせることを目的としている場所なんですよ。」



 「一部の医者とか政治家とか直接的にも間接的にも人を殺すことに罪の意識を感じない人たちもいると聞きますが、そういう人はたぶんここには来てないと思いますよ。」というレイの割と強めの思想を聞き流しながら、そうだったのか・・・と、名無しの男は目を見開いた。少しばかり暗い気持ちが溢れてきて、心のあたりを冷たくさせる。どうやら地獄に現代の法律は適用されないらしい。どれほど人を憎んでも、地獄へ落ちてほしいと望んでも、裁きを受けてほしいと願っても結局はただの願望で、結果的には無意味な思考に過ぎないというのは何とも無情に感じられた。男は、だからこそあの殺人を後悔することはないだろうな。と、ぼんやりと考えた。

 さらに深くに沈んでいきそうな思考を、ウェルの言葉が引き上げる。



「だが、罪が積み重なっていくと話は変わってくる。魂に罪が積み重なって、身体を作るんだ。その身体は生前と同じものかもしれないし違うかもしれない。そこには当人の願望が反映される。あこがれの人に似た身体。生前のコンプレックスを覆い隠す身体。こんな風に生きたかったとという後悔を汲む身体。お前の場合はその姿こそが望みだったんだろうな。生前の姿のままなら、容姿に影響を与えるような願望はなかったってことだろ。」


「そうなのか・・・。ウェルも、レイも?」


「ウェルはそうですが、私はまた別ですね。私はここで生まれましたから。大体一年くらい前ですかね。ですので、生前の記憶はありません。」



 そんなこともあるのか・・・。だんだん脳みそが混乱してきた。男は一度思考を整理する。白たまがふよふよと胡坐をかいた男の股のあたりに止まったので、彼はそれをにぎにぎと触りながら言った。



「つまり、ここは死後の世界、地獄。いや地獄街道か?生前に罪の意識を持つものはここに来て白たまとして地獄街道を旅し、輪廻に帰る。一方で罪を溜めた魂はこの地獄街道で身体を持ち、ここで生活できる。レイみたいに例外的にここで生まれて生きることもある、って感じか。、、、ん?けど罪を積み重ねる、と言うがここで言う『罪』って何だ?罪の意識と言うなら当人がそれを罪だと感じればそれこそが白たまの条件だとわかるが、身体を作るのは意識じゃなく、明確に『罪』なんだろう?」


「『罪』については明確にはわかってないな。今のところ『輪廻を止める』、『自身の魂を傷つける』、『自身の心に噓をつき続ける』、『神を殺す』、っとまぁこのあたりがこの地獄では罪と認識されている。オレの場合は白たま?の状態で永い間地獄にいたからな。輪廻を止めたことによって罪が積み重なっていったんだろう。さて、そろそろ話を戻すぞ。」


「名前についてか?」



 ウェルはすっと目を閉じて、何かを思い返すように言葉を紡ぐ。


「ああ、所詮はただの名前だ。対外的に見れば個人を特定できるのならどんな名前でも機能上は何の問題もない。だが、主観的、感情的に考えてみろ。名前はそいつ自身を象徴する。いいか、お前はもう、死んだんだよ。お前の場合はここに来てからすぐに身体を得たから想像しにくいかもしれないが、生前の自分と今の自分は全く別の存在だ。生まれ変わったと言ってもいい。個人差はあるだろうが、オレの場合はここで身体を得たこの状態は生前と大きく違っている。見た目も、考え方も、まるで別の人間だ。」


「・・・。」


「・・・そりゃあ、人間は日々変化する生き物だ。昨日の自分と今日の自分は全く違う人間だ、なんて考えるやつもいるだろう。だがさっきも言ったようにこの姿は神から認められた罪そのもの。」


「・・・。」



 名無しの男も、レイも目の前の赤髪の少女の迫力に何も言えなかった。目を閉じながら言うウェルの体からちろちろと炎が浮かんでいるのが見える。一拍おいて、目を見開いたウェルはニヒルに笑いながら、しかし言葉にできない迫力を伴って言った。



「世間も知らねぇうちに自死を選んだただのガキに、覚えのねえ罪背負わせるのも、可哀想だろ?」



「どうせここにいれば多かれ少なかれ考えは変わる。悪いことは言わねぇから名前も変えときな。」と、多少雰囲気の柔らかくなったウェルがゆっくりと続けた。洞窟の中にひゅおっと冷たい風が流れるのを感じた。


 そうか、今のウェルにとっては昔の、生前のウェルは以前の自分であるのと同時に守るべきか弱い他人に近い存在なんだ。地獄がどんな場所なのかはわからないが、環境が変われば思考が変わるのは必然だ。長い、いや、永い地獄生活の中で生前の自分を振り返ることもあっただろう。思考回路の変わった彼女にとって過去の自分は深い後悔の記憶であり、今の自分に直接的に繋がるものではなくなっていった。そんな中で身体を得て、過去の自分とは大きく違う容姿を見て、罪に塗れたその身体を見て、決定的に生前の自分は過去の自分ではなく、守るべき、自分とは別の自分であると認識したのではないだろうか。ここに来る前に自死という選択をしたのもあって過去の自分はその時にいなくなったと考えるのは自然なことのように感じる。



「でも・・・。」



 でも、俺は違う。名無しの男は考える。ウェルの考えを否定するつもりはない。場合によっては過去の自分と決別することが自身の新たな道を開くこともあるだろう。だが、俺は自分の罪をもうすでに受け入れている。背負って地獄に行くことを決めた。生前の自分は今の自分の延長線上にある。地獄は思っていたようなところではなかったが、その覚悟に偽りはない。なりより。



「・・・?おい、どうした?」


「・・・俺はまだ、今の自分を未来の自分の『後悔』にはしたくないっ・・・!」


「は?」


「・・・!」


「俺の罪は俺だけのものだ!死んだからと過去の自分に押し付けて知らんぷりなんてできない。人殺して、自分殺して、親泣かせて、これが俺の、俺だけの罪だ!」


「お前・・・何を・・・?」


「さっき二人の間に割って入ったとき同じだよ。あの時は必死で、なんで自分が動き出せたのか分からなかった。でも、簡単なことだったんだ。あの時は別に白たまを助けたいとか考えてたわけじゃなかった。『過去、覚悟をもって復讐をやり遂げた俺』ならあの時、戦いを止めるため動くと確信できたから。だから動けた。そうしなければあの時の俺が、過去の俺が、本当に死んでしまう。いなくなってしまう。過去の、後悔に、なってしまう・・・。だから・・・。」



 自身の過去を回顧する。家族との幸せな日々も、かけがえのない友人とのたわいのない話も、自身の感情に任せた自己満足の復讐でさえ、これまでの経験は今の自分を形作る。


(頭がじくじくする。)


 ここが地獄と聞いた時、まだ終わっていないと知った時、無意識のうちに、「じゃあ、どうしたら終われるんだろう。」と考えてしまった。でも、ウェルとレイの説明と独白を聞いて考えた。いくら逃げても終わりなんてないんじゃないかって。


(心のあたりが痛い。)


 なら、俺がここですべきことは過去を捨てて新しい自分として生きることじゃない。あの夢のような時間を胸に、罪を清算することだ。俺は死んだけど、逃げたけど・・・!まだ何かが続くなら、責任をもってこの大事な記憶を抱きとめて生きていきたい。


(なぜだか体も震えている。)


 常に同じものはないとしても、この虹色の思い出だけは色褪せないと信じられるから。


(涙も出そうだ。それでも。)



「これが、これこそが俺なんだ!!久場鶴連夜という男なんだ!!」


「お前・・・!」


「くばつる・・・れんや、さん?」



 言い切って、一息。息が上がっていることに気付いた。目の前の少女たちは目を見開いている。うかべる感情は驚愕だろうか。何やら少し恥ずかしいことを言った気がする。顔に先ほどとは違う熱が集まるのを感じた。それでも言わねばならない、と名無しの男、いや、連夜は軽く呼吸を整えてから言葉を紡ぐ。



「大切なことを思い出させてくれてありがとう、ウェル。俺は過去を乗り越えた君を心から尊敬する。けど俺は罪の刻まれたこの名前と一緒に自分の過去も背負って先へ進むよ。」


「・・・おう。勝手に、しろ・・・。」


「?どうした?」



 なんだかウェルの反応が悪いな・・・。初対面のくせに分かった気になってちょっと失礼なことを言った自覚はあるため、怒っているのかもしれない。もっと言葉を選んで伝えるべきだったか・・・。どうにか謝り方を探して、ふと目を逸らすと、目をキラキラさせてにんまりしているレイが目に入った。一体何なのか、と尋ねる前にレイは言う。



「ふっふっふ。レンヤさん!先に進むとは言いましたが、行く当て、ひいては目的等はあるんですか!?」


「え?いや、ないけど・・・。」


「でしょうとも!」



 でしょうともて・・・。何でこんなに楽しそうなんだ、レイは。



「実はですねぇ、恥ずかしながら私あんまり地獄のこと知らないんですよね。まだ生まれて1歳の赤ん坊なので。だから地獄のことをもっと知りたい!と考えていたわけです。そこでですね、レンヤさん。私と一緒に地獄街道、そして各種地獄を巡りませんか?私、これでも地獄街道の管理者なので案内くらいはできると思うんですけど!」


「え?」



 確かに先ほどウェルに大見え切った割にはこれからどうするかは全く決まっていない。地獄を案内してくれるというのなら都合がいいことこの上ないと言える。


「あ、じゃあ遠慮なく・・・。」


「っちょ、ちょっと待てよ・・・!地獄の案内ならオレだって・・・。」


「えー、でもウェルはウェルで地獄の管理者の一人じゃないですか。地獄街道は私の管轄ですし、私のほうが適任ですよっ!ウェルはいろんな人に喧嘩売ってますし、一緒に巡ると連夜さんが悪い目で見られちゃうかもしれません。ここは譲ってくださいよー。」


「いや、でも・・・。一緒に行くくらいさ・・・。」


「釈放場・・・。襲いましたよね?しかもあんな理由で・・・。」


「ぐっ・・・!」



 二人の少女がこれからのことを話している中、白たまをにぎにぎいじっていると気になる会話が連夜の耳に入る。ああ、そう言えばウェルはこの場所を襲撃した側なんだよな。どういう理由があったのだろうか。



「なあ、結局ウェルはどういう理由でこの釈放場を襲撃したんだ?」


「・・・つぶし・・・。」


「ん?」


「だから、暇つぶしだって!」


「・・・そんな理由で?」


「・・・暇だったんだもん・・・。」


「白たま、何体か消し飛んでたけど。」


「・・・うん。」


「壁、ぼっこぼこだけど。」


「あの時は若かったんだよぅ・・・。」


「10分も経ってないけど。」


「人は・・・変化する生き物だから・・・。」


「それ、免罪符にはならないと思うぞ?」


「うう・・・。」



 変化が速いのは本人の特性なんだろうか。「はあ。」と、軽く息は吐きながら連夜は天井を見上げた。頼りない明りがおぼろげながらも天井を照らし、岩肌が目に入る。やはりどこか落ち着く空間だ。ゆっくりと今日を振り返る。

 自殺のときは最悪の気持ちだったが、安堵があった。二人の戦いは怖かったが、美しかった。二人との会話は感情が高ぶり恥ずかしいこともあったが、大切なことを思い出せた。それに、初めて会った目の前の少女の顔をいっぱい知れた。戦いのときの苛烈な顔、持論を語るときの真剣な顔、やってしまったことに反省をしているしおらしい顔。一日でこんなにも人を知ったのは初めてだ。最初の会話は緊張したし、情けない感情の爆発もあった。しかし、いや、だからこそ楽しかった。正直に言うと、目の前の赤髪の少女に生前の友人の影を見た。


(お前やっぱすげぇなー!なあ、おれと友達になってくれよ、連夜!)


(は?何だよ急に。今更?)


 連夜は過去を想起する。義理を大事にするかっこいい奴だった。助けられたのも一度じゃない。あいつも、置いていってしまったな・・・。SNSにメッセージを残しておいたが見てくれただろうか。読んだ後、あいつは何を感じるのだろうか。

 もう考えても詮無いこと、と思考を打ち切って、目の前のウェルを見据える。先ほどまでの威厳はどこへやら、追い詰めすぎたか少し涙目になっているようだった。連夜は「ははっ。」と、軽く笑って何でもないように言った。



「なあ、俺と、友達になってくれないか、ウェル。」


「んえ!?おお、おう!いいぞ!いいぜ!?」


「えーっ!私は!?私はどうなんですか?私ともお友達になりましょうよー!レンヤさん!」



 慌てて言うウェルを見て、同じく慌てて言うレイを見て、なんだかまた少し笑ってしまった。なあ、俺もあの時内心は慌ててたんだぜ?何でもないように返したけど、とても、嬉しかったんだ。だから、あの時は言えなかったけど、ありがとう。置いていってしまって、ごめん。

 たった一人のかけがえのない友人だった男に思いをはせていると、視線を感じて二人に目を移す。少ししんみりした空気を感じたのかウェルがこちらを覗き込んでいた。レイは「私は最初からお友達になりたいと思ってたんですよー?」とか言って騒いでいる。こちらを見ていないのでどうやら自分の世界に入っているようだ。


 俺が死を選んだのは、耐えられない現実を前に逃げ出して、過去も未来も、今さえないところに行きたかったからだ。

 でも実際はまだまだ今は続いていて、過去と繋がってくる。この二人の言葉通りならどうやら未来も続いているらしい。


 なら、もう死ぬのはいい。必要ない。過去は続くが、今を取り巻くすべてが変わったからだ。

 環境が変わればいろんなものが変化する。自分の考え、気持ち、人間関係、癖、生活。

 自分を変えたいと願うなら環境を変えるのがいいのだろう。今の俺のように自分の前に周りの何もかもを変えて、心をちょっとずつ今に適応させていけばいい。そうして気付けば自分の本質すらも変わっているだろう。

 でも、環境が変わっても変えたくない何かがあると、そう思うのなら、思い出せ。これまで自分が歩んできた道のりを。自分を自分たらしめた経験を。心に留めて大事にしてやれ。

 それは一見、過去にしがみついて、前を見ようとしない醜い現実逃避に見えるのかもしれない。けど、変化だけが成長じゃない。

 名は体を表す。これまでの自分を内包し、過去にひっそりと自身の影を刻む。たかが名前一つ、されど名前一つ。名前は、他者にとっては俺を表すもの、俺自身にとっては過去の自分と今の自分を明確に繋ぐ、一本の糸。自分の証明法の一つなんだ。

 俺はこれからもこの罪と一緒に、俺の過去と一緒に、俺の名前を、背負っていきたい。



「改めて、ありがとうな、ウェル。」



 だから俺は、それを思い出させてくれたウェルをじっと見てから、ニッと笑ってそう言った。レイはまだまだ騒いでいる。ウェルは一瞬きょとんとしてから、同じくニッと笑って言った。



「おうっ!いいやつだな!お前!」


(連夜!お前、いいやつだな!)



 本当にごめん、置いて行って、、、。でも今はお前との思い出を抱えて、この新しい友達たちと一緒にこの地獄で生きていくことにするよ。

 笑いあう俺たちを見たのか、レイも言葉を収めて口角を上げる。そして、ちょっとの間みんなで笑い合った。ウェルもレイも今日ここで初めて会って、初対面は最悪だったけど、新しい友達ができるのはやっぱりうれしい。この記憶も、きっと、変わらないものだ。連夜は確信をもってそう考える。心なしか先ほどよりも洞窟の中が明るくなったような気がした。

 ウェルが思い出したかのようにこちらを見てから一瞬、すっと目を閉じてから言った。



「でもやっぱり名前は変えたほうがいいと思うぞ。」



 今いい感じで終わりそうだったろうが。




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「なるほど。理由はさっき言ったのだけではないってことか。」


「そーそー。さっきも言ったろ?オレが名前を変えた理由も複合的で必ずしも一つじゃない。」


「まぁ、私はここで生まれたときに親に名付けられたのでまた別なんですけどね。ぶっちゃけさっきの話も名前ごときに何をそんなに・・・。って思ってました!」



 鼻を挫かれたような気分の俺がウェルに真意を問うと彼女はここ、地獄において名を変えるメリットを教えてくれた。「さっきのレンヤさんの言葉も、なんか説教くせー、って感じでしたし!」と続く、レイからの猛毒を意図的に無視して整理する。やっぱこいつ残念な奴だな・・・。いや、反省すべきか?・・・やっぱいいや。死んでまで気を使うことないだろ。なんか地獄に来てからちょっと気が大きくなっている気がする。

 多少勢いのなくなってきた焚火の炎にウェルが火を加え、その勢いを強くした。ぱちぱちと木が鳴くのが聞こえる。

 ウェル曰く、名前は魂の強度を上げる、らしい。己の願望をより精錬させる、とか。やはりよく分からない、と考えたところでウェルが補足してくれる。


「名は体を表す、って言葉あるだろ?もしくは言霊とかか。この地獄じゃそれが魂の形を強くする。さっき、ここで得る身体は当人の願望が反映される、って言ったよな。名前はそれを強化するんだ。」


「うーん、ちょっとよくわかりません。ウェルの例で例えてください。」


「お前は何でそっち側にいるんだよ・・・。知ってなきゃいけないことだろうが・・・!」



「だって聞いてないですもーん。」と軽く言う、いつの間にか隣に座ってともにウェルに向かい合うレイ。それを見咎めるウェルに俺も聞きたい、と目を向けるとウェルは一瞬目をそらして、そのまま下に向けると「何でオレが・・・。」と言いながら、説明を続けた。



「オレの場合は、あれだな。生前はオレのせいで屋敷、まあ家が火事になったんだ。んで、家族、使用人もろとも丸焼けになってな。ここに来てからはそれはもう情けなく、しくしく泣いてたよ。声も出ないのに『ごめんなさい・・・!ごめんなさい・・・!』って。ただ、家族に手作りの料理を食べてほしかっただけなんだが・・・。いや、これはいいか。」



 俺もレイも言葉が出なかった。先ほどの独白から過去の自分に対する並々ならぬ感情は読み取れた。しかし、悲劇、そう表現するのが正しいだろうか。こんな経験をしていたのか。

 戸惑う連夜とレイに対してウェルは落ち着いている。ただ目を下に向けて、いや焚火を眺めながら柔らかい口調を崩さず続ける。



「まあ、それで火ってものに強い恐怖があったんだ。トラウマみたいな。オレの願望は火を克服して、思うままに操って、支配する。そんな存在になりたかった。身体を得た時は驚いたもんだ。生前と容姿がまったく違う上に体に炎纏ってたんだから。とまあ、こんな風にそいつの持つ身体にはそいつの持つ願望が宿るのさ。基本的には生前のな。」


「・・・それは分かりましたけど、名前についてはどうなんですか?」


「ああ、ウェレア・フレイン。肉の焼き加減を表すのに、ウェルダンとかレアとかあるだろ?あれと炎を表すフレイム。あとは尊敬していたお姉さまの名前からとってる。まあ、そのお姉さまも多分その火事に巻き込まれて死んじゃっただろうけどな・・・。っと、悪い。話がそれたな。実はその名前を付けてから炎の出力が目に見えて上がって、調整もしやすくなったんだ。後から地獄で知り合ったやつに聞けば、さっきみたいな説明を受けたってわけ。」


「そっか・・・。言いにくいことを、答えてくれてどうもありがとう。」


「いや、もしかしたらオレも、誰かに聞いてほしかったのかもな。ちょっとだけ胸がすいたよ。カカッ。あと新しい名前を付けるのは他にも生前のつながりを切るため、って理由もある。お姉さまや父様母様には合わす顔がないからな・・・。もちろん使用人たちにも。とは言っても、あの人たちは地獄には来てないだろうけど。」


「それで新しい名前を・・・。いや、でも俺は・・・。」


「まあ、強制ってわけじゃない。ただ、いろんなメリットがあるのもまた事実。お前の今の名前は、お前の親がお前への願いを込めて付けた名だろ?お前自身の願いじゃない。郷に入っては郷に従え、って言葉もあるし新しい名前、考えてみろよっ。」



 「どうしてもならあだ名とか、名前のアナグラムとかでもいいしなー。」と、軽く言うウェルを尻目に考えてみる。

 ウェルはきっと自分の罪を乗り越えたんだろう。身体を経たその時に。少なくとも受け入れてはいるはずだ。火がトラウマの少女が炎を纏った体になっているのだから。

 名前か・・・。正直今はウェルのような言語化できるちゃんとした願望はない。だからこそ、悩む。そうだな・・・。俺の行動原理はやっぱり俺の罪、なんだろう。二人の戦いに割って入ったときも、動けた理由の本質はそこにあるような気がする。

 しばらく考えに耽って、自分のことがよくわからなくなってきたところでレイが唐突に言った。



「しかし、ウェルにあんな過去あったなんて知りませんでした!もう半年くらいの付き合いになるんですから言ってくださいよー。レンヤさんとは初対面でしょ?」


「いや、オレも不思議なんだ。なんかこう、言葉がするする出てくるような・・・。まあ、あんな強い感情ぶつけられたら多少は口も軽くなるよなっ!それにしたって自分の罪話す気なったのは不思議だけど。」


「確かに地獄にいないタイプではありますよね。どっちかっていうと閻魔の爺と雰囲気が似てるような気がします。」


「ん?んー・・・。まあ、確かに?」


「あ・・・。」



 そうだ。じゃあ、これにしよう。名前を決めて雰囲気の変わった連夜を見て、二人は会話を打ち切った。なんか、改まって自分の考えた名前を発表するのは少し照れるな・・・。連夜は白たまを少しぎゅっと握りながら意を決して言った。



「バツ・・・。俺の名前は、バツにする。」


「ばつ・・・。罰か?」


「名字の『クバツル』からじゃないですか?」


「どっちもだな。やっぱり本名の一部は残しておきたい感じがしたのと、レイは、地獄のことを『罪を受け入れ、乗り越え、管理させ、そして輪廻に帰らせることを目的としている場所』って言ってたよな。だったら、今から始まるこの旅は俺の罪を乗り越えるためのものなんじゃないかと思ったんだ。この時間は、俺の罪がなかったら、存在しなかった。つまり、俺の罪に対する罰だ。俺が奪ってしまった命、俺が守ろうとしたもの、捨ててしまったもの、ないがしろにしてしまった人、それらをちゃんと乗り越えて、いつか、生まれ変わりたい。」



 まだ、「過去の後悔」にはできない。けど、俺がここで生きるなら、いつかは、そうなる。寂しいけど、それはもう俺が人間である以上、必然だ。何も変わらない人間なんて、いないのだから。だから、この地獄街道で自分の罪と向き合って、いつか、生まれ変わる。輪廻に戻って新たな生を受けるだけじゃなく、ちゃんと心から変わりたいと、そう思えるまで。


 この旅は終わらない。



「・・・そうですか・・・。じゃあレンヤさん改めバツさん、いやバツくんですね!よろしくお願いします、バツくん!」


「カカッ。それじゃあ、そろそろ行くか、バツ。地獄を巡りに。」


「おう!」



 ウェルは立ち上がりながら焚火の灯を消した。たったそれだけでこの洞窟の中はずいぶん物悲しくなる。頼りない照明と白たまのかすかな明かりが道を照らす。レイが暗い洞窟の中で指をさしながら「こっちですよ。」と先導してくれた。俺はそれに続いて歩きだす。


 自分だけじゃない。皆が過去を抱えてる。それを振り切って未来を見据える人もいれば過去に思いを乗せ、停滞した時の中で変化に抗おうとする人もいる。俺はそのどちらもが間違いじゃないと断言できる。自分以外に自分を変えることなどできないのだから。

 それでも、たとえ何もかもが違っても、人と人は交わえる。時に仲良くなって、時に戦って、時に愛し合って、時に憎み合って。時に殺し合う。



『岩肌に、苛烈な明かりの跡が残って、門出を祝う花となる。ふよふよ回る白い魂、ぷすぷす鳴いた炎の残滓。よすがの消えた夢の跡に刻む足跡六つ分。罪を受け入れ未来を紡ぐ、ここは旅路の始発点。無法者たちの住む地獄へと魂を開放する、釈放場だ。ー名無しの罪人』



 地獄街道。罪を抱えた多くの物語が駆ける旅路。今ここに、交わった三つの物語が気の向くままに地獄を巡る。これはその、ただの記録にすぎない。

 地獄街道漫遊記。これは一人の罪人が、多くの物語との交わりを経て自身の罪を乗り越える、そんな、何ともくだらない話だ。

かくして三人の旅は始まった。



「なんかついてくる雰囲気ですけどウェルはここ出たら自分の地獄に帰ってくださいね?」


「は!?この流れで!?」



 「二人の旅」に訂正が必要かもしれない。




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一章 地獄街道ー零 「釈放場」ー罪と名前(バツ) 終




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