旦那デスフード
佐倉遼
旦那デスフード
○月○日
決めた。私はあいつを殺す。
夕飯の準備をしている時、ふと鏡に映った自分の顔を見て思った。こんなに疲れ果てた姿になったのは、一体誰のせいなのか、と。
私がここまで追い詰められたのは、他でもないあの無能で能天気な夫のせいだ。仕事に行くだけで「疲れた〜」と言いながらソファに転がる夫。私が夕飯を作っている間、何をするわけでもなく、ただテレビを見ている。
そして今日も、「これ、ごめんだけど、少し味が濃いかも?」だと。料理の腕前を評価しているつもりか?だったら、自分で作ればいい。そう思った瞬間、包丁を握る手に思わず力が入ってしまった。だが、すぐに思い直した。そんな衝動的なことをしてもダメだ。もっと確実に、完璧にやらないと。私が捕まってしまっては意味がない。
だから、あいつをじわじわと弱らせて、死因がわからないようにすることにした。急に死なれては怪しまれるし、私の計画が崩れてしまう。ゆっくりと、長い時間をかけて、あいつの体力を奪い、自然に見える形でこの世から消えてもらう。それが、私にとっての最良の道だ。
○月△日
運命のカエルと出会った。
今や社会問題にまで発展している南米の毒ガエル。この国にいつの間にか持ち込まれ、じわじわと繁殖しているという話は聞いていた。都市部でも増えているらしいけど、まさか私の目の前に現れるなんて思いもしなかった。
こいつは「オジロジュウジドクガマガエル」。皮膚から分泌する毒は、強力な神経毒。人間のように大きな生物にもじわじわと効いていくことがわかっている。これを使えば、すぐに死ぬことはないけれど、確実に体に蓄積され、ゆっくりと弱らせることができる。
完璧だ。急に死なれては私が疑われてしまうが、これなら計画通り、じわじわと進められる。
毒を取り扱うのは簡単ではないけれど、私はビニール袋でカエルをひっ捕まえて、家に持ち帰った。そしてタッパーに入れて、一旦落ち着いたところで、慎重に毒を抽出した。皮膚からじわじわとにじみ出る薄い液体が数滴、小瓶に落ちていく。それを見て、私はすぐに想像した。この毒があの男の体に蓄積され、徐々に彼を蝕んでいく未来を。
準備は整った。あとは、この毒をどうやって確実に使うか、しっかりと練るだけだ。
○月□日
殺害方法を決定。
夕飯に毒を少しずつ混ぜる。それが一番自然で、怪しまれない方法だろう。夫は何でも食べる。しかも相当な舌バカだから、毒の味なんて気づきやしない。少しずつ、体に溜まるように調整していけば、あいつは次第に体力を失い、病気になったように見えるだろう。
今日も「ご飯、ありがとう」とニコニコしながら手を合わせ、「いただきます」と言う夫。そんな夫の横で、私は床に脱ぎ散らかされた靴下をじっと見つめていた。
そして、確信した。これはあいつが望んだ結末だ。あいつは長年にわたり、無自覚に私の中に不満と怒りを溜め込んできた。その結果が今だ。脱ぎ捨てられた靴下は火口に投げられたかのように、私の怒りの活火山を刺激し、ついにそのマグマが噴き出そうとしている。それは激しく吹き出すものではなく、全てゆっくりと焼き尽くすように躙り寄る闇なのだぁ……。
毒をあいつの体に、少しずつ毒を蓄積させる。何も知らず、無邪気な顔でご飯を食べている夫を横目に、私は静かに計画を進める。
明日から、ついに計画を開始する。ここまで私が耐えてきた忍耐は無駄ではなかった。ついに、あの無能な夫に終止符を打つ時が来た。タッパーの中の「サタン」と名付けたドクガエルも、まるで私の決意に応えるかのように体を揺らしていた。
○月▽日
ついに始まりましたよ!ポイズンワイフ計画!
今夜、初めて毒を夕食にほんの少しだけ混ぜてみた。案の定、あの男はまったく気づかずに食べている。まあ、少量すぎるし、当然か。これくらいの量なら、すぐには何も起こらない。でも、それでいい。焦る必要はない。じわじわと、時間をかけて体に溜め込んでいけばいいのだから。
今夜のメニューは肉じゃが。あいつの好物だから、どうせがっつり食べると思っていたけれど、案の定、皿をぴかぴかにして「ありがとう!これ、美味しいね」なんて言ってきた。あの笑顔を見ていると、早く消えてほしいという気持ちがますます強くなる。
今はまだ序章だ。『ドラゴンクエスト』で言うところのひのきのぼうに過ぎない。だけど、私とサタンの怒りは、これからいなずまのけんとなり、おまえの脳天を穿つだろう!そう、これからが本番だ。
○月●日
これ、効いてんのかぁ……?
今夜もまた、毒を少し増やして夕食に仕込んだ。今日のメニューは野菜スープ。あっさりしている分、毒の味がわかってしまうかとヒヤヒヤしたけど、夫はスープを飲み干して、「今日はさっぱりしてるね、ちょうどいいや」と言っただけ。しかも、全然体調が悪そうに見えない。むしろ、なんだか元気に見えるのが腹立たしい。
「毒ってこんなに効かないものなの?」と、自分でも疑問に思い始めている。でも、焦っちゃいけない。あいつの体内には少しずつ溜まっているはずだ。病は気からというではないか。私が絶対に病ませてやるぞという気をしっかりと持って、続けるんだ。今はサタンを信じるしかない。明日は、もう少しだけ増やしてみよう。
○月▷日
毒飯職人の朝は早いーー
今日も早起きして、少しだけ毒を仕込む時間だ。だけど、今回はちょっと気分転換。量を計りながら、「今日はどんな風に毒を混ぜてやろうか?」なんて考えている自分が、ちょっと面白くなってきた。まるで料理の隠し味を加えるみたいに、慎重に、でも大胆に毒を投入していく。
今夜のメニューはハンバーグ。毒をたっぷり練り込んだ特製ソースが、あいつの運命を決めるだろう。夫は例によって、「やっぱり君のハンバーグが一番だよ」なんてニコニコしながら食べていたけど、あの顔もそう長くは続かないはず。むしろ、その無邪気な顔で毒を食べていると思うと、なんだかこっちまで楽しくなってくる。
私が思う存分、毒を仕込める日は、もうすぐだ。
○月■日
変化が出てきた!?
今夜、夫が「なんだか体がだるい」と言った。ようやく、ようやく毒が効いてきたのかもしれない。くぅ〜!心の中で思わずガッツポーズを決めたけど、平然を装って「大丈夫?無理しないでね」と優しく声をかけてやった。だって、もう体力は落ちていく一方なんだから。少しぐらい優しくしたってバチは当たらないはずよ。
そういえば、今日は夫の健康診断だったらしい。血液検査までしてるって、本当に必要?まぁ、医者がどんなに頑張っても、この不調の原因なんて見抜けないだろうけど。ですよね?
食後、夫は早めにベッドに向かった。あの元気だった姿が少しずつ消えていくのを想像すると、なんだか明日が楽しみになってくる。次も毒を少しだけ増やしてみよう。
○月◁日
二日酔いだと?
今朝、あいつがすっかり元気な顔をして「昨日の体調不良は飲みすぎだったのかな」と言った時、私は心の中で呆れ返ってしまった。飲みすぎ?私の毒のせいじゃないのか。夫が飲んでいたのはたったビール1杯だ。それで二日酔いなんてありえない。飲めもしないくせに飲むんじゃないよ、と心の中で悪態をついた。お前の体調不良は私の毒によるものだ、そうであれ!と言いたかったけれど、もちろん口には出さない。
あいつは軽快に立ち上がり、足取り軽やかに出かけていった。毒の効果だと思ったのに、まさか二日酔いだなんて…。
でも、ここで挫けてはいけない。私は成し遂げるんだ。昔の人はこう言いました、「病は気から」と。なんていい言葉なんでしょう。そうよ、私も「殺す」という気をもっと高めなくては。サタンの毒と私の気が、最終的にお前の喉元を掻っ切るからな!
これからは、もっと本気で毒を盛る必要があるのかもしれない。奴の愚かさが身に染みるほど、私の怒りは消えるどころか、ますます燃え上がる。
□月○日
私はボブスレーのように止まらない。
今までは慎重に少量ずつ毒を入れてきたけれど、計画を次のフェーズに進める時がきた。ここからは、もっと大胆に、そして艶やかに進めていく。私の計画はまだまだ進捗が足りない。実感すら薄い現状に、少し焦りを感じている。完璧なプロジェクトにはスピード感も必要だ。
今夜の夕食はステーキ。ソースに毒を少し多めに混ぜた。肉の旨味で、毒の味なんて感じやしないだろう。というか、あいつはそもそも味を感じているのか?今日も相変わらず「美味しいね」と言っているけれど、もはやプログラムされた何かではないのかと疑ってしまう。でも、もう動揺はしない。私はただ、プロジェクトを進めるだけだ。
□月△日
計画には冷静な洞察が必要だ。
私は、会社員時代に学んだビジネススキルを、この計画に最大限活かすことにした。まずは状況の分析。夫の体調の変化は表面上はわずかだが、確実に毒が効いてきている気がする。今日、彼は「なんだか最近、体が重いんだよね」と言っていた。これこそ、私の計画の進捗状況を示すサインだ。
ここでPDCAサイクルを改めて適用する。次のステップに向けて、行動計画を練ることにした。Plan:さらに毒の量を増やし、Do:次の投与で効果を確認。Check:彼の体調を観察し、Action:さらなる改善を加える。これまでに培ったプロジェクト管理のノウハウをフル活用する時が来た。誰にも怪しまれず、完璧に仕上げるために、もっと詳細な戦略を立てなければならない。
□月□日
鉄拳制裁!鉄拳制裁!鉄拳制裁!
計画への熱意が、今や全身にみなぎっている。
もう、毎朝目が覚めるたびにワクワクしている自分がいる。このプロジェクトを成功させることに対して、圧倒的な熱意を感じるのだ。今日はさらに毒の量を増やしてみた。とはいえ、急激に増やすと不自然に思われるので、段階的に進めていくことにした。顧客――夫の健康状態が徐々に悪化していくのを楽しみにしている。
だが、私は単なる犯罪者ではない。プロフェッショナルとして、この計画を遂行しているのだ。これはただの犯罪ではなく、私の中で一つのプロジェクトであり、挑戦でもある。成功した暁には、私は一つの偉業を成し遂げたことになるだろう。自己満足の極みかもしれないが、それでいい。これが、私の道だ。
そういえば、今やこの都市でオジロジュウジドクガマガエルが大繁殖しているらしい。いたるところでカエルがぴょんぴょん跳ねて、都市部は大混乱だとか。でも、私が信頼しているのはこのサタンだけ。今日もサタンのお家、タッパーを優しく撫でて、私は眠りにつく。
□月▽日
滝行に行ってきた。
完全な心身の浄化が必要だと感じたのだ。計画は順調に進んでいるが、私自身もさらなる高みに達するために、滝行を試すことにした。清い体と心で、顧客に毒を届けたい。冷たい水に打たれながら、私は心の中で静かに「計画は完璧だ」「私はこれを成し遂げる」と繰り返していた。滝に打たれることで、私の覚悟と決意は一層固まった。
冷静に事実を捉え、効率的に計画を実行し続ける。それが私の使命だ。この滝行を通して、私は新たな覚悟を手に入れた。夫が毒に気づくことはない。私は、この計画を最後まで遂行する。成功まで、あと少しだ。
□月●日
涙が止まらない。
今日とうとう大切なパートナーが死んだ。葬儀は明日、私一人で執り行う予定だ。
亡くして初めて、彼が特別な存在だったことに気がついた。あなたの笑った顔が好きでした。あなたの少し不器用な水の飲み方も好きでした。
なぜ、もっと親密な時間を過ごさなかったのだろう。なぜ、もっと一緒に美味しいものを食べなかったのだろう。後悔を挙げれば尽きることはなく、それは涙も同じだった。
私は今まで彼のことを道具として扱ってきたのかもしれない。なぜ早く気がつくことができなかったのだろう。どんなものでも家族であったと――
――安らかに眠れ、サタン。
私は、この悲劇の元凶である夫への殺意を一層強めた。そして、サタンが残していった遺産、神経毒がパンッパンに詰まった瓶を握りしめる。
□月▷日
今日は、サタンの葬儀を執り行った。
まずは遺体を丁寧に洗ってあげるところから始めた。水を使い、愛おしむように、一つ一つの部分を優しく拭い取る。彼が生前、私に残してくれた多くの「贈り物」を思い出しながら、感謝の気持ちで手を動かした。
次に、丁寧に粉を塗し、死化粧を施した。彼にとって、これが最後の晴れ舞台だから、きれいに仕上げなければならない。粉を塗すと、彼はまるで眠っているようだった。その姿はまさに、かつての勇敢な姿を思わせる。
そして、いよいよ熱々の油に彼をぶち込む。ジュワッと音を立て、彼の体は油の中でからっと揚がっていく。その姿を見ていると、不思議と私の心も少し軽くなった気がした。
完全にからっと揚がったサタンを取り出し、最後に彼が残してくれた神経毒たっぷりの特製タレをかけて、完成だ。これで、サタンの魂がきっと安らかに成仏するはずだ。
ちょうどその時、夫が現れた。「何かいい匂いがするね、唐揚げ?」と言うので、「うん、味見する?」と言うと、嬉しそうにパクパクと食べ始めた。夫は今日も「美味しいね」と笑っている。そう、これでいい。これが、サタンへの供養であり、あいつの死へのショートカットだ。
□月■日
……ピンピンしている。
もう何が起こっているのか理解できない。昨夜、あれだけ大量の毒を入れたというのに、あいつは今朝も笑顔で起きてきて、「なんか最近、ますます調子がいいんだよね」とか言っている。何なのこれ!?
私の計画は完全に崩壊している。あれだけの毒を摂取した人間が、なぜこんなに元気でいられるんだ?どこかに何か問題があったんだろうか。でも、もうどうすればいいのか、全然わからない。
□月◁日
夫の健康診断の結果が返ってきた。
私は正直、何の異常も出ないと思っていた。毒は少しずつ体に溜めているのだろうけど、健康診断程度では何も引っかからないだろうと思っていたのだ。
だから、結果に「精密検査が必要です」と書かれているのを見て、少し焦ってしまった。
夫は不安そうな顔をしていたが、私はなんとか平静を保っていた。でも、内心はドキドキが止まらない。サタン、あなたが残してくれた神経毒が原因かしら?ちょっと不安になって、サタンのタッパーに手を添えながら一瞬だけ思いを馳せた。死の瞬間まで異常が出るなんて思ってもみなかった。
△月○日
精密検査の結果が出た。
ついに終わりか……と思った。でも、結果は全くの予想外だった。夫の体内に、驚異的な「神経毒に対する抗体」があることが判明したのだ。医師たちは信じられないと言わんばかりに驚愕していた。「これだけの毒に耐性を持っているなんて、前代未聞だ」と。どうやら、夫は私が盛り続けた毒に対して逆に抗体を作り出していたらしい。憎たらしいことこの上ない。
しかも、その抗体を使って血清を作れるかもしれないという話にまで発展してしまった。いつの間にか、夫は「カエルの神経毒に対する救世主」として脚光を浴び始め、研究者たちの間ではまさにヒーローのような扱いを受けている。なんなんだ、こいつ。
△月△日
夫が救世主になってしまった。
正直、こんなことになるなんて思いもしなかった。夫はいつの間にか「神経毒耐性の奇跡の男」として都市中の話題になり、研究者たちも彼の血清に熱中している。
カエルの毒が蔓延するこの都市で、夫の存在はますます重要視され、お金もどんどん入ってくる。なんだかんだで、私たちの生活はかなり潤った。
とはいえ、私はどこか納得がいかない。計画を進めたつもりが、いつの間にか逆転されてしまった気分だ。私はただ、あの無能な男を少しずつ弱らせて消すつもりだったのに。都市の救世主なんて、そんな結末を望んでいたわけじゃないんだけどなぁ。
でも、お金が入ってきたし、夫も元気になってしまったことだし、まあしばらくはこのまま様子を見ておこうか。とりあえず、しばらくは健康でいてもらおう。そう、少しの間だけ――
旦那デスフード 佐倉遼 @ryokzk_0821
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