蛇足:「朽ちた花は暗中で咲く」
全てが終わった後の荒地――最下層、
未だ昏く、大きな岩塊の陰になるような暗闇の中、足を引きずり前へ前へと進む者がいた。
「く、クククク」
名は、ドリフト。
リオノアたちを裏切り、陥れようと企んだ彼女の笑みは、今や苦しみに呻く顔に変貌していた。大量の砂、及び灰かすを頭から被り、警戒するがように忙しなく辺りを見渡す。それは肉食獣のような荒々しさを伴っているようにも見えたし、何かに怯える草食獣の怯懦を表しているようにも見えた。
己の肺が未だじくじくと痛む。『
「クククク、ソが。…………あああぁぁ」
何故、何故こんなことになった。
簡単に殺せるはずだった。相手は女。一対三十。それはあまりに多勢に無勢。勝負にすらならない。鉄は全ての
一方的で、愉快な殺戮になると、思っていたのに。
「…………?」
ふと前方、ぼうっと佇む人間の後ろ姿が見えた。もの思いに耽っているのか、隙だらけ、一切の警戒が見られない。
…………丁度いい。
ここでコイツを殺して、また『
自分をここまでめちゃくちゃにしたヤツを殺してやる。奴らの苦しんだ顔が狂おしいほど見たい。苦痛をその瞳に湛えたまま、死んでいく彼らの顔。ああ、それはやっぱり、晩酌のつまみになる。
そんな未来を想像したらまた、だんだんと愉快になってきた。歪む口元、つり上がる目と眉。己の輝かしい未来に突き進むため、まずは目の前の者から殺すとしよう。
少し大きな背中は、己の影などすっぽり隠してしまう。そっと近づいて、高速で穿たんとする貫手。外れたようにカタカタと鳴る己の顎。
力も十分込められたそれを、もはや止める
「――――!?」
しかし、彼女の思考に反するように。ある種の矛盾を伴ってその腕は止められた。
己の手首を固定する、骨と皮だけのような掌。背後から迫った自分の手を、そのまま前を向いて見もせずに、片手だけで固定したのだ。
万力のような力にドリフトが締め上げられる。
「あ。あが!! いいいいいいいい!!!!」
「おや、失礼な輩がいると思えば。――――ドリフト。貴方でしたか」
ふっ、と解放される力。その場に膝をつき、ぜえぜえと息を吐く。岩塊、瓦礫で覆われたそこは明かりが遮られ、まるで夜中のように暗い。何も見えない泥中にように、伸し掛かる痛みと圧力。
そんな彼女にさらに一重、かかる影。思わず見上げて掠れた声が出る。
「朽花…………!」
「おやおや、久しぶりに会ったにも関わらずぞんざいな口調。仮にも組織の長に向かって…………悪くない心地ですね」
『朽花』が几帳面にその身にかかった埃を払う。ドリフトには今の景色が幻か何かに覚えた。心胆から疑問が、懐疑が渦巻く。
いるはずがない、今ここ「庁国」に、いるはずがないのだ。何せ彼は――――
「『粛星』、リーギュ・ランドゼロに捕まったのだから。でしょう? 貴方の疑問は尤もです。
因果とは常に図り知れず。忘却の彼方、古びた女神も無作為に笑い続ける。神話で言う所の『
何を言っているか、全く分からない。これまでドリフトが見てきた彼の様子と根本から異なっていた。まるで私が彼を取り違えていたような。まるで初めから私の不義を知っていたような。
「――――つまりは、私はただ運が良かったというだけです。いえ、随分骨が折れる仕事でしたが。行ってみる価値……及び知見はあったというもの。
ねえ――――マチリクさん?」
「チ。うっせえンだけど」
『朽花』に釘付けとなっていた視線。それが今、ギギと動き始める。己の背後、幽かに、しかし圧倒的なまでの香りがする。ああ、そうだ。この香り――――ぴりぴりとして、少し苦っぽいような、痺れる香り。今それが己の背後に渦巻いていることが分かる。冷ややかな微風を以て薫る根源。逃れられるはずが無かったのだ。
「聞かせろ。リーギュは…………『
「恐ろしいほど元気な方でした。ええ、それはもう。
――――その身に『星』を宿しておきながら、衰弱という言葉を知らない。浸蝕というものを意に介していない。
彼女の中には確かに『花』が巡っていたのですがね…………反発に帰する自己同一性崩壊をご存じでないのでしょうか。一瞬、本当に生物であるのか疑ってしまいましたよ」
「つまりは」
「ええ、当面は安心して良いでしょう。詳細までは分かりませんでしたが、彼女は紛れも無く『リーギュ・ランドゼロ』です」
「…………ン。分かった」
女――マチリクが目の前で、その鉄面を紅く輝かせた。所々に滲む血は既に固結。しかしほとんど疲労は見られない。何故ならそれらは全て、返り血であるから。
「…………『
「壊されたに決まっているじゃないですか。それが壮健の証左とも言えるでしょうに。
――ああクィホート! 私の天使にて『図書館』!! その内に並べ立てた膨大なる
「はぁ…………分かってンよ!! こちとら手伝ってやってンだからそんな目で見ンな!! 年齢と釣り合ってないンだわ!!」
まるで少年のようにキラキラした眼差しをする『朽花』。耐え切れずマチリクが目を逸らした。
否、己の知らない話だ。この老紳士は躯械の研究者という話では無かったのか? その点でドリフトと『朽花』は似通っていた。だからこそ、彼らの組織に潜入できたわけだが。
しかし今の話はおかしい。
「おや。心底不思議といった顔をしているご様子。しかしそれも致し方あるまい。私は貴方に同胞であること、後はクィホートのことしか伝えていませんでしたからね。
…………そう、クィホート。いい出来でしょう? 初めて作った割には」
「…………は?」
瞬間ドリフトの思考が真っ白になる。
初めて、作った? クィホートは私もこの目で見た。それはあまりに完成されており、それはあまりに人の欲望を詰め込んだものであり、それはあまりに――――無邪気なものだった。全てがトンチキ。あらゆる論理機構が破綻して、しかし何故か釣り合っている。それは、いやそれが。彼という人間を体現したものであるのだと、疑いようもなく考えていた。
「〈
「ウチが言うのもお門違いだけど。絶対中に創った『書物庫』だよね? 兵器の中に書物保存するとかいかれてンの? というかこれはドリフトも見たと思うンだけど! 見て何も思わなかったン!!?」
「いや…………それがこの人の癖なのかって。技術者としての
思わず冷静に答えてしまうドリフト。一切のよどみもないその答えに、マチリクが思わず天を見上げてしまう。何か変なことを言っただろうか。ごく自然なことだと思っていたが、捻じ曲がってはいないだろう。
しかしそれが、偽り。彼は、全くの
矯めつ眇めつ『朽花』がドリフトを見る。その目は、手は、口は、研究者のそれだ。手は節くれだって骨を露わに。当然だが、長年使い込まれたものであることが分かる。口はぶつぶつと聞き取れない文言を流し、目は中空に漂う文字を追うように、右に左にドリフトの前を彷徨っていた。
…………書物。
まさか、彼は。『朽花』は――――――
「アナタ。自分が、どんなことをしようとしてるか、分かってるの? それは許されない。私たちは与えられたものだけ、信じていれば幸せになれる。裏を知ろうだなんて――――何も、生まない」
「――――
『
『朽花』が仰々しい仕草で手を振って、己が賦律を消滅させる。それは対象を詳しく識るためのもの。簡単な見識から――歩んできた過去まで。少しだけ。
パチンと指を鳴らす。まるで今何かを思いついたように。
「おそらく貴方は不思議に思っているのでしょうね。何故私が貴方の前に現れることだ出来たのか。何故貴方の悪事を見破ることができたのか。
――――この国。庁国においても謎は絶えません。何故三十年前、旧式の砦は跡形もなく消えたのか。何故この国は再興を果たせたのか。
ドリフト。…………残念ながら。それこそが、私の本質なのです」
『朽花』が己の目を指差す。ぎょろりと動き、血管まではっきり浮かぶそれはもはや人間のものとは思えない。
しかし、その目。覆いを取り去り、全てを
「私ね、目が良いんですよ。
それはもう、足跡が見破れるほどに。紙の一片さえも、その古きを見逃さないほどに」
『朽花』が暗闇の中で途切れながら嗤い続ける。泥にも似たその暗中に彼女の意識が溺れていく。
介錯をするように、マチリクが隣に立った。身体中が恐ろしく震える。
それは寒さによるものではなく、かといって今より殺される恐怖でもない。
ただ目の前の男が為す禁忌――――――決して求めてはいけない、その深みに触れることが、その闇を明かそうとする行為自体が。ドリフトを根源から恐怖させ、彼女の歯を無意識に鳴らせた。かたかた、かたかたと。
『朽花』が芝居がかったようにお辞儀をする。『凶存』とは異なる、そこに込められた、只ならぬ好奇心。人間としての、知的欲求。
「改めまして、私は『
『
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