ー5:「地獄に落ちる」

 ヒトの心、か。


 寝台に仰向けになりながらテタンは思考する。

 とは言っても豪快にも手足を広げているわけではない。ただ用意された毛布にくるまって、ぼんやりと意識のみを中空に漂わせていた。


 ここは中層――地域的な定義で言えば第七層、乱立するビル群の一つ。七十八階建てのとある集合団地アパートである。売り文句は『見渡す限りの絶景! 肌で感じる開放感をここで!』。

 立地はその売り文句通り、全身で高層から「外」の景色を味わえる位置となっていた。


 つまり、七層の中でも端に建てられた建造物であるということ。

 市場競争が激化している七層においては、隅に追いやられて縁辺ぎりぎりで持ちこたえている悲しき団地だ。


 さらに言ってしまえば、庁国マレフィーグ公国ルミエッタの国際情勢上、いつ戦争が始まってもおかしくない。外面という特性が災いして、庁国の矢面に立つのはこの団地である。

 そんな訳で外観に反して家賃は低い。入居者はいるが、凡そ上層に憧れた中層以下の住民といった頃合いだ。


 リオノア曰く「組織が借りている部屋らしい」と。

 リオノアもドリフト伝いに聞いた話である。そもそもだが、組織の実態が見えない。「ボス」は何処にいるのか。

 しかし、表立って活動できないことは百も承知。こうして隠れて機会を窺うことが得策であるのは、テタンも頷けるところだ。


 内装は至って普通。しかし所狭しといった面積だ。寝台ベッドが部屋の隅、卓が一つ……ベランダまで付いているのは、流石絶景を売り文句にしているだけはある。


 頼りない手すりがつき、七層から突き出るようにして生えたベランダに試しに出てみると、壮大な夕焼けがテタンの目を焼いた。

 遠く見える山はモンタニ湖街。庁国付近の大地は枯れ腐り、荒涼としている風景が、高地から見てもはっきりと伝わった。


 真下を見ると、深く先が見えない。ビル群による白光が埋め尽くす庁国においても届かないほど、底は真っ暗闇であった。

 これもまた、リオノアから聞いた話だが、なんと最下層である『貧民窟パウバー』まで通じているらしい。簡易的なゴミ捨て場なのかもしれない。

 ぽっかりと空いたうろは小さいという訳でもなく、ただ端に位置するその団地の背後だけが、深淵を示していた。


 リーギュと戦った時――天使クィホートの背から落ちた時も感じたが、わたしはここから落下しても死ぬことはないだろう。

 無傷とまではいかないが、わたしは意外な落下耐性があるのかもしれない。


「リオノア、いつ帰ってくるかな」


 テタンはリオノアの帰りを待っていた。今後のことでドリフトが相談を持ち掛けてきたとのことであったが、テタンは同行を許してもらえず、留守を命じられた。


 リオノアは堅い顔をしていた。工場で見た、『鉄人間』絡みなのだろうか。


「はぁ……」


 テタン一人にとっては大きすぎる寝台ベッド。思い悩むように眉をしかめ、リオノアから預かった『』を眺める。表面は未だ固く閉ざされたまま。


 再度、溜め息をついた。どうにも、心が落ち着かず、妙に熱い。そのきめやかな瞼を閉じ、思考の世界に浸かる。


 ……マチリクのことを思い出していた。彼女がテタンに垣間見せた、リーギュへの思い。


 あれが狂信的であることは分かる。しかし確かな筋――彼女の中の芯は通っていたように思う。


 テタンが懐より、色褪せた、青い布巾を取り出す。


 正しいかどうかは分からない。しかし、マチリクの言葉は確かにテタンの胸に突き刺さった。


 ――――わたしは、ヒトの心を分かろうとしていない。


 思えばこれまでも、何かと理由をつけて避けてきた。

 それは「わたしには分からない」という諦めに起因していたのかもしれない。自分と他人ヒトは違うから――今はどうでもいい話だ。


 ――――『そもそもさ、助けられるってことをひどく嫌ってンだよ、あの男は』


 リオノアはわたしに助けられて、何を思っただろうか。


 鬱陶しく思っただろうか。腹を立てただろうか。

 助けられることを、疎んでいたのであろうか。


 もしかすると、わたしは何もしない方が良かったのかもしれない。マチリクのように、ただ相手のことが絶対で、己は何も考えずただ従っているだけの――



 それは、間違っている、気がする。



 テタンの思考が過熱する。単純な話ではなく、己の内に芽生えた幾つもの感情が蠢くのが分かる。ここまで他人のことで思い悩んだのは初めてだ。


 裏を返せばリオノアのことを真剣に考えている証――?


 笑えてくる。わたしのようなちっぽけな躯械が考えて何になるのか。

 しかしそれを理由に諦めるのも違う気がした。


 ――――だから、テタンは、リオノアを理解するために。


 己が触れようとしなかった道を、一歩、踏み出す。


 部屋の鉄扉からガチャ、と取っ手を回す音が響いた。


「テタン、いるかァ? 今帰ったぞ」



 リオノアの過去を、知りたい。




  ◆




「ドリフトから聞いた。――――は今夜なんだと。思わず耳を疑っちまった」


 部屋に入るや否やリオノアは寝台に腰を下ろし、テタンと目線を合わせた。

 その剣呑な眉を緩め、はァ、と息を吐く。『朽花』の懸賞金がまたもや盾の修理費で飛んだ時もこのように息を吐いていた。彼の癖だ。


 力んでいたテタンが思わず尻込みしてしまう。リオノアが今しがた言ったことを把握するのに時間がかかった。


 決行が、今夜?


「信じらンねえよな。っていうのも『首庁相』のクレインっつう野郎が公開演説するのが今日なんだと。

 野郎の近衛警察ロイヤルガードも研究所に行ったみてぇで、狙うなら今夜が一番ベスト。それがドリフトの言い分だ」


 リオノアが小さくクソ、と毒づく。少しの怒気が部屋に滲むのが分かった。

 何しろ研究所――工場を襲撃したのが昨日。襲撃ののちの騒ぎの中、帰った頃には深夜、十刻の針は既に回り切っていた。碌に眠ってすらいない。


 今夜、襲撃を決行するにしても、リオノアとテタンの状態は万全ではない。そんなに事を急ぐものなのか。


「リオノアは……行くの……?」


 口をついて出た言葉は彼を心配する言葉だった。庁国に来てからというもの、彼は何かに取り付かれたように隈がひどい。普段よりも一層。


「そりゃァ…………行くしか無え。オレの、唯一の目的だ。

 務め切らなきゃ、なンねえ」


「それは…………」


 テタンが迷うように口をもごつかせる。言葉が、詰まる。


 だが、分かっていた――踏み出さなければならない。彼を知るために――――彼の心へと。



「…………『凶存ルベラ』?」



 ぴり、と部屋の雰囲気が張り詰める。おどろおどろしい鬼気にも似た、重い、空気。


 が、それも直ぐに霧散した。


 リオノアが再び溜め息を吐く。


「――――それを知って、何になる?」



「…………わたし、知りたいの。リオノアのこと。――――リオノアのしたいこと。もっと、もっと。


 あなたのことを理解したいの。だから、お願い」



 言った。言ってしまった。

 触れてほしくなかったかもしれない。だが、そんなことで思い迷み、リオノアを失ってしまう方が怖かった。

 反射的にリオノアの顔を窺う。



 彼は――――俯いていた。ただ茫然と、言葉を失ったように。



 ビキ、と手に力が籠められる。掌で心臓の辺りをむしゃくしゃに掻く。顔は苦悩で歪んでいるように見えた。



「……テメエは何で、何で…………!! 


 ~~~ッ!!」



「リオ、ノア!!」


 心配するテタンがリオノアの傍に駆け寄る。焦りの色を浮かべるテタン。



 そんな彼女をリオノアは、どん、と押し倒した。



 テタンが尻もちをつく。リオノアは、その額に脂汗を滲ませ、我慢ならないとばかりに喉を震わせる。


「何で!! 何でテメエは!! こんなオレを気に掛ける!? 


 オレは、オレは……!! 今まで到底許されねえことを、何回も何回も何回もしてきた!! それもこれもつまんねえ復讐のせいだ!!」


 リオノアが思いのたけをテタンにぶちまける。テタンと出会ってから今まで、ずっと思っていた。


「オレは、テメエを苦しめた!! 傷つけた!! 散々散々痛めてきた!! こんな旅にも連れ回して、さぞ不快に思っただろうな!?

 

 オレの、オレの旅は、復讐のためなんだよ!! 何の意味も、意義も、中身すらねえ!! 誰も幸せにならねえこんなもの!!」


 リオノアが怒鳴って余りある息を、叫んで吐き切る。

 己の中の虚ろは今や顕著に現われていた。テタンといるとどうしようもなく自覚してしまう。


 他人を苦しめて、嫌われて、それでもなお一層醜悪を働いて。オレは何をしていた?


「そんなこと、ない」

「あるンだよ!! テメエは何も分かっちゃいねえ!!」


 リオノアがテタンに近づき、その胸倉を掴む。

 身長差でテタンが持ち上げられ、リオノアと至近距離で見つめ合う。


 しかしここまでされても。テタンは臆すことなく、リオノアを真っ直ぐ見つめた。

 まるで彼の心胆を見透かすように。心と必死に向き合おうとしているかのように。


 リオノアがぎり、と歯を食いしばる。


「テメエは何でオレを嫌わねえ!! 何でオレをそんな目で見る!?

 オレは悪だ!! どうしようもねえほどクソ野郎なんだよ!!

 憎んで貶して恨んで罵って嫌え!! 嫌ってしまえ!! 


 それが、それが正しい!!!!」


 リオノアがぜえぜえと息を吐く。開いたベランダから、夜風が彼を容赦なく叩きつける。


「本当に悪いヒトは、そんなこと言わない」


 テタンが胸元を掴まれ、持ち上げられたまま、リオノアに応える。途切れ途切れだが、はっきりとした確信を伴った言葉。

 何故、何故そんなことが言える!!


「それに、わたしは、言ったよ。


 わたしは、リオノアを信じてる。何者でも関係ない、って」


「――――ッ」


 リオノアの掌に力が少し込められる。しかしそれも、テタンを殺すには至らない。

 リオノアの瞳が揺らぐ。何かを逡巡するように、思い悩むように、眉が顰められたように、テタンには見えて。


「オレは、テメエが嫌いだ!! その真っ直ぐな目も、何も疑おうとしねえ頭も!!


 どれだけオレが悩んだと思ってやがる!! クソ、クソクソクソ!!」


「…………」



 言葉の裏。そこに込められた心は――――――――気持ちは。



「リオノア、もしかして…………


 わたしをして、くれてるの……?」


「――――――――は?」



 リオノアが目を大きく見張って、口をそれはもう大きく、大きく開けた。


 そして感情のままもう一度、彼は怒鳴ろうとして――――――――できなかった。


 言葉が喉の奥に詰められた。



「そ、んなこと……!!」


 リオノアがしかし、しかしと首を振る。


凶存ルベラ』は、そんな甘いヤツではない。危険だ。危険なんだ。先が見えない、不安で不確かで不透明。

 そんな中でオレは、。テタンを――――どうしたい?


 風吹きつけるベランダを見る。真っ暗闇がリオノア達を呑もうと待ち構えている。

 テタンならば――――


 ……ようやく、彼は、彼の思いに気付いた。とうの昔に消えたはずの、しかし確かな思い。



「…………テタン。テメエとの関係は、ここでお終いだ」



「待ってリオノア!! 何を――――」


 リオノアがテタンを掴み上げたまま、ゆっくりと移動する。一歩一歩が重い。

 テタンが胸の内でじたばたと暴れる。リオノアはしっかりと彼女を抑えたうえで、ベランダに――――柵の手前に、立った。


「リオノア!! わたし、あなたの悩みを――復讐を手伝いたいの!! そのためなら、命だって賭けても構わない!!」


 テタンが懇願する。


嬉しい誘いだ。だが、いつからだろうな。そんなことがどうでもよくなるほど――――



「…………悪い。今、やっと分かった。


 オレの、望みは――――テメエが、無事でいることだ」



 リオノアが苦笑して、手を離した。初めて、彼は心から笑った。


 テタンが暗闇の中、真っ逆さまに落ちて行った。

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