ー7:「星を戴く」
「公国軍……?」
「初来訪なのだろう。ならば知らなくとも当然だ」
女――リーギュが軍帽の鍔を上げた。
未だ影を作るその下より覗いたのは、
美しく流れる長髪は、黒い流星を思わせるようだ。
右目は何ゆえか、紋章が刻まれた眼帯に覆われている。
「付かぬことを伺うが、何処より訪れたのだ?
――――心配せずとも害するつもりはない。我々は『媒介師』の存在をよしとしているからな」
「聞いて、どうするの……?」
テタンが僅かな緊張とともに声を発する。何もされてはいない。そのはずであるが、リーギュが纏う
まるで地平の遠くに浮かんでいた灼熱が、己の隣に移ったかのように。
「特に何も。強いて言うなれば『興味』であるか。
何せ――――貴様の体臭が少し妙でな。この所、外荒野に躯械が多いと聞く。その臭いが移ったのか?」
「――――ッ!!」
テタンが思わず立ち、一歩後ずさる。
バレている。己の正体までいかずとも、その発言はテタンの心胆を揺らがせるに十分足りえた。
「――――ヴァーチェ、煌街から来たの」
「ああ、ヴァーチェか……あの全てを詰め込んだような混沌が、私には合わなくてな。かの煌街の排煙はひどい。移ったのならば致し方ないだろう」
女性も立ち上がり、凝りを
立ち上がったからこそ分かる。豹の如くしなやかな筋肉。凡そ女性として素晴らしい肢体をしていながら、その暴力的な野性は一切隠されていない。
それは自己顕示などという陳腐なものではなく、只々漏れているだけなのであろう。
リオノアより聞いた『
「して。何度も問うて悪いが、先ほど『リオノア』と発言していなかったか?
――何やら親しげに話していたから、私の耳にも入ってきたのだ。容赦願う」
「……うん、言ったけど。リオノアのこと、知ってるの?」
テタンが警戒を滲ませながらも答える。
対するリーギュは朝日をぼんやりと眺めたまま、軍帽を深く被りなおした。大きな耳が内へと収まらずに溢れる。よく見れば眼帯の紐は右耳に、乱雑に結ばれている。
その耳がぴくり、と動いた。
「知っているも何も……と、別人の可能性もあるな。貴様が懇意にしている『リオノア』について、かの姓名は何という?」
「…………知らない」
テタンが震える口で紡ぐ。
――――これはもはや「尋問」だ。
急熱する思考回路で思う。何か嘘をついた時点で、わたしはおそらく、殺される。目の前にいる存在とはそういうモノだ。テタンの「本能」すらも警鐘を鳴らす。
しかしながら、テタンは何一つ、嘘を言っていない。
リーギュの左目が細められる。
「ほう。本当に知らないのか。これは人違いか、それともその点含めて勘定に入れていたか……
――――『疑わしきは罰せず』か。私も勘ぐり深くなってしまったのかもしれないな……」
すっと目を閉じるリーギュに、テタンが安堵の息をつく。
危なかった。思いがけない窮地だったものだ。そろそろパンが焼けるだろう。早くリオノアの所に戻り、彼の様態を――――――
「時に。
――――――何故、貴様の心臓は鳴らない?」
考えるより先に体が動いた。
轟音。雷光を劈くように腕が振るわれ、庭園の一角が陥没する。まさに大地の悲鳴が如く土砂が崩れ、弾けた石畳が大きく浮き上がる。
それを為した者――リーギュ・ランドゼロは子供たちの叫び声をよそに、己の得物をゆっくりと降ろした。
「フン、やはり躯械か。――――私の『耳』を舐めるなよ?」
テタンの身長、ましてやリオノアの身長さえも遥かに越える『鎚』。
柄は細く、それだけでも十分なほど長い。しかし、先端――「打撃部分」は不釣り合いなまでに大きく、長方形を象っている。
それこそ
リーギュはそんな鎚を軽々と背に担ぎ、その場で片腕をつく。四つん這いの体勢。
刹那の静寂。
「【
地についた掌。爪が立てられ――――
――――搔き消えた。
「【――
テタンには一瞬、何が起こったか本当に分からなかった。
リーギュが鎚をその場に叩きつけた瞬間、広場全体が一瞬にして陥没。
元より窪んでいた大地がその身をさらに凹ませ、振動を伝える。
噴水が
突然の破壊、次いで大音量に驚き、数多の生物が泡を食って逃げ出す。勿論、人間を含めて。
子供たちの泣きっ面が、変化する視界の中で見えた。
「――余所見している暇はあるのか?」
「――っ!?」
左側面に向けて振るわれた鎚。すんでのところでテタンが腕をはさむ。が、それはもはや、防御の意味を為さない。
「――――――かはッ」
砲弾もかくやの勢いで、テタンが弾き飛ばされる。体もろとも深くなった土の斜面に衝突するが、どうにか衝撃は逃がした。
もんどりうって、すぐにリーギュに向き直る。
悲鳴と怒号と噴き上がる水の中、リーギュは悠々と闊歩していた。
「理解できないか、躯械。
「どうして……?」
「ん?」
「どうして、街のヒトたちを、巻き込むの……?」
リーギュは少し呆けた顔をしたと思うと、直ぐに大口を開けて笑い始めた。まるで、おかしくてたまらない、という風に。
「その身で在りながら、人間を想うか、躯械! その思いは畜生共に向けるモノと変わりないのだろうな!?」
「違う! わたしは、殺戮兵器じゃない! わたしは、ヒトを襲いたくなんかない!」
「だから私が巻き込むのが気に食わない、と? とんだ笑い話だな、躯械。
――――勘違いするな。私とて、人々に狂騒を与えたくはない。
ただ、これ以上力が緩められないというだけだ」
「は……?」
テタンが理解できない、とかぶりを振る。頭上に被った土がパラパラと落ちた。左腕は繋がっているが、ジジ、と音を立て火花を飛ばす。
リーギュは我慢ならないといった風に拳に力を込めて言い放った。
「それが貴様となれば、尚更だ。分からないのか?
――――何故のうのうと生きている。 『忌命』めが!!」
言葉を突き付けられたテタンが呆然とする。
――『何故のうのうと、生きている?』
こちらの、台詞だ。
何故、のうのうと、わたしは生かされているのだ。
わたしは「躯械」だぞ――存在して良いはずがないだろう。
それもこれも全部、ここまで生かしたリオノアが悪いではないか。
しかしどれだけ愚痴を吐いても、体はぴくりとも動いてくれない。目の前の
それを隙と見たリーギュは眼の紫紺を燃やし、テタンに突貫。真正面から粉砕してやろうと振りかぶっている。どうしようもない。
――――その途端、思考回路が故障したように、膨大な情報を知覚した。
白紙の意識に短くとも膨大な量の記憶――――走馬灯か。
森の突き匙、買ってもらった銀の髪飾りとワンピース、サイモおじさんに、グラエンデ。服を選んでくれたお姉さん、カイ――納得はいかないが、何より、リオノアのこと。
笑いかけてくれた。怒ってくれた。わたしと一緒に、狩りをしてくれた。
――――そして、泣いていた。涙なんて流さずに、苦しい顔をしていた。
「…………」
何も。わたしは何も、知らないけれど、どんな悪人だって理由があるはずだ。
例え
わたしは既に、『彼を助けたい』と思ってしまっている。
こんなところで
然しながら、ついでに加えて言っておく。
今やあまり思ってはいないが――――
「――リオノアのせいで死ぬなんて、ごめんだ!!」
「言うではないか!! 躯械!!」
言葉にすることで己の意思を浮上させ、再び外界に意識をつなぐ。
大上段から振るわれた鎚をそのまま腕を交差させ受け止める。途轍もない暴力ではあるが、先ほどの攻撃で一つ気付いた。
「わたしは、ヒトを傷つけない! 傷つかせない!! あなたも含めて!!」
「空言を――――!」
それを利用して、あえて体勢を崩す。鎚により一層力が込められたタイミングでするりと、力自体を受け流して地面に破壊の矛先を向けさせた。
「何!?」
案の定、そのまま勢いを変えることができないリーギュは更に広場を破壊。ステップを刻み回避し、泥が舞い散る中でテタンは己の背後を確認した。高くなった斜面である。
しかし、一息つく間も無い。前を向けば既にリーギュは鎚を構え直し、懲りずテタンに突撃。今度は腰だめに鎚を置いているが、土壌ごと削ってしまっている。
だが、あれほど雑多にいた人々も後ろにはいない。振り抜かれるその時を待ち、避けようとした。
「【
しかし天に上るが如く、下から迫ったそれが凄まじい速度で振り抜かれる。
閃いたと見えた時には剥き出しの斜面はおろか、直線上に存在した窪地外の民家をも消滅。隣接していた建物すらも半壊させた。
勿論テタンとて無事ではなく、窪地から吹き飛ばされ空を飛ぶ。結果、二階が無惨にも無くなってしまったパン屋に激突。五体を盛大に打ち付ける。
直前で鎚そのものを躱して、この有様である。直撃すればどうなるか、想像したくもない。
「痛い……誰もわたしの話を聞いてくれない……………当然か」
「ひ、ひぃぃぃ!!」
幸いにも無事な店主が這う這うの体で出てくる。その手には紙に包まれた、焼き立てのパン。
本来ならば、受け取っていた。――――断たれた道だ。
「尋常の躯械ならば、これでくたばるのだがな。曲がりなりにも『忌命』といった所か」
「さっきから『躯械』とか『忌命』とか……!
――わたしはテタン! リオノアのモノだ!」
「やはり『非道』が関わっているのか? 『忌命』を利用するとは……度し難い」
リーギュが唾棄するように舌打ちをする。
そのまま彼女は散乱しているパンを踏みつぶし、堂々と入店。突然の破壊行為に驚いていた店主は、ありえないものを見たように、一層怯えの色を濃くした。
「リ、リリリーギュ様!? すみません!! パンなら今準備しますので!!」
「パンはいい。消えろ」
「はいいぃぃぃ!!!」
男が一心不乱に逃げていく。リーギュはそれを待たずに、柄を握り、床に突き立てた。小麦の香りは、泥水に混ざって臭い。
「【
テタンがようやっと起き上がって気付く。否、気付いてしまう。
「この方向、大通り……!!」
赤熱する鎚。増幅される電気信号。リーギュを包み込むようにして『電光』が鳴り始める。掌に纏わりつく青い稲妻が、瞳に呼応して紫へと変容していく。
そして鎚を片手で引き抜き、あろうことか肩の上で構えた。半身になり両手から鎚にかけて迸る『電光』。――――弓の如く。
牛串を食べるリオノアと歩いた思い出が蘇る。多彩な屋台に多くの人々が立ち並んでいた。彼らを暴虐の渦に巻き込むわけにはいかない。
リーギュの攻撃を受けるしか、ない。
「【――
「う、おおおおおおお!!!!」
テタンが懐よりスパナを出すと同時にリーギュが鎚を爆出。渾身の力で振り抜き、
しかし、それも数瞬のこと。
「く――――ッ!!?」
一切減衰しない鎚が、そのありえない力の奔流を以てテタンを巻き込み、パン屋の土壁を跡形もなくブッ壊した。雷鳴の如く突き抜ける。真っ直ぐ直線上に――――即ち、大通りに。
嘘みたいに容易く民家の壁を突き破り、数軒破壊した所でようやく止まった。
テタンが純白のワンピースを茶色く汚して、建物の中に座り込んだ。脚が棒のようだ。スカートは半ばより焦げ落ちて短くなり、所々から鉄の光沢が覗く。
四肢は繋がっているが、体に重く倦怠感が纏わりつくような錯覚。衝撃の応酬で体にガタが来ているのだろう。
しかしまだ、テタンの素核は生きている。
「ウぅ……」
「頑丈だな、躯械。貴様が逃げ回らなければ、被害は小さく済んだのかも知れぬぞ?」
「――そうかも、しれない! だけど……!!」
リーギュが鎚を拾い上げる。そのまま壁に
「五月蠅い、御託を並べるな。
――貴様はこの世に生を受けた時点で間違っていた。己の数奇を、あの世で悔いるがいい」
「――――ちょっと待って!!」
割って入るように、
埃と砂にまみれて、髪も乱雑になってしまっているが、テタンは彼女のことを知っていた。
女の名前は、パラディ・ベイトという。
「何でその子を殺そうとするの!?」
「……女、そこをどけ」
「質問に答えてよ! 私はここに来て日が浅いけど、街を守ってくれてることに感謝してるわ! でも、だからといって! 子供は傷つけちゃいけないでしょう!?」
「…………分からんな、女。そいつの肌が無機であるのに気づかんのか?」
「その子は軽い手品だって言ってたわ!」
キョトンとするテタン。リーギュが呆れたようにこめかみを抑える。
パラディはその間、足を震えさせながらも『粛星』から目を離さなかった。
「妄言、甚だしい。私が何のために、ここにいると思っているのだ」
「――ッ! あなたの言う通り、彼女が躯械だとしても! 彼女は人間と変わらない!!」
リーギュが鎚を振り上げる。朝日が『粛星』の背を照らし、逆光の影中、目のみが炯々と浮かんだ。
「もういい。躯械は殺す。――――それが大義だ」
「わたしを狙え!!!!」
テタンが叫んだ、陽が翳った、丁度その時。
大地の鳴動が、聞こえた。
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