ー4:「嘘つき」
―――チチチ、と鳥の鳴く音がする。懐かしいさえずりだ。
聞いたのはいつぶりだろうか。先日の血に塗れた似非鳥を含めなければ、もう気が遠くなるほど昔―――
――――――リオノア・ガルテは目を覚ました。
小ぢんまりとした木造の部屋である。一つだけある小さな窓から、陽の光が差し込み、古い木の床を明るく照らした。
窓に留まっていた鳥が羽ばたき、遠くに消えていく。もはやさえずりを自然と聞けるのは
周囲を見渡したうえで、己は今、寝台に寝かされていたのだと気付く。
少しみすぼらしい白い毛布を跳ね除け、確認するように手を開閉する。少しの違和はあるがほとんど異常は無い。
ふと、傍に硬いモノがあることに気付いた。動こうにもそのモノが足を掴んでおり、動けないのだ。
「むぅ……」
布団を取っ払えば案の定、テタンが椅子に座って眠っていた。
様子を見るに、過剰分の熱を追い出し、体を冷却しているようであった。特段珍しいことではない。リオノアも何度か、目にしたことはある。
「…………」
然しながら、彼は信じられないとばかりにテタンを見た。
思い出されるのは意識が飛ぶ前の路地裏。あの何処かもしれない場所からこの宿屋まで、運んできたというのか。いつでも殺すことはできただろうに。
少し動かしても起きる様子が無かったため、足を振り払い窓より現在地を確認する。
目下に並ぶ屋台通りと溢れる緑。そして道の先に広がっていたのは、美しく整備された円形の窪地であった。中心に位置する噴水が大きな飛沫を上げている。
どうやら未だラモード島、それに加え『中央庭園』付近のようだ。思わぬ好都合に口が緩みかける。
しかしカタ、とテタンの方から響く物音。
冷却を終えたテタンがその頬をぴく、と動かしたことをリオノアの視界が捉えた。ぼんやりとしながらも、徐々に開かれる
「ん……」
完全に開ききる前に、リオノアは寝台へと飛び込んだ。
「―――リオ、ノア……? 起きた……?」
「ゴホッ! ……テタンが、運んでくれた、のか? ――ゴホゴホ……」
リオノアがテタンに向けて手を伸ばす。
震えるリオノアの手をぎゅっと掴むテタン。止まらない咳と少し苦しそうな表情に、彼女の顔がみるみる青くなる。
「あ、ぁぁぁ……! わたしの、わたしのせいで……!」
「いや、それはちが……
―――ゲフン! それで、ここはどこなんだ」
咳で誤魔化し、重ねて問い詰めるリオノア。
既に病人の声量ではなかったが、余程狼狽えていたのか、テタンは気づかなかった。
「ここ……ここは、宿屋。リオノアが倒れて――から、どうしたらいいか分からなくて、周りが暗くなって……すごく焦って、走り回ってたの。
そうしたら、ここのおばあさんが、部屋を貸してくれて……」
やや詰まりながらも経緯をテタンが話す。俯いた様子を見るにも、嘘は無いようだ。
「ババ……―――おばあさんは、何か言ってたかァ?」
「え……? ごめん。全然、聞いてなくて……
―――あ、でも『あなたにも群青の光がありますように』って心配してくれたの。
どういう意味か、分からなかったけど」
「――ッ」
リオノアは表情を硬く保ちながらも、己の首筋がひやりと汗ばんだことを自覚した。
安全地帯だと思っていた場所は獣の腹だった、とは普通微塵も思わないだろう。これではおちおち仮病を使って休むこともできない。
さもすると、この会話すらも聞かれている可能性がある。
街に入ることは、獣の腹に飛び込むことと同義であるというのか? それとも、自分はそれほどまでに羽目を外していたのか?
外面を取り繕いつつも、必死で考えを巡らせる。
重要なのは、相手がどこまで把握しているか、ということ。もしもリオノア達の事情が相手に筒抜けであれば、にべもなしにリオノアは殺されていただろう。
と、いうことは何か殺せない理由があった、と考えられる。その理由、理由とは……?
ふと、テタンの方をちらりと見る。
テタンは未だリオノアを心配するような、不安げなまなざしで彼に応えた。
リオノアは既に、彼女が人あらざるモノであると知っているが、見てくれは儚げな美少女、ヒトである。
――――……まさか、勘違いをしたというのか? あの生真面目野郎どもが?
大通りから離れ、小道に入った時はリオノアも最大限に警戒していた。会うとは露とも思っていなかったからだ。
毒を喰らっていたとはいえ、人気がないことは十分確認した。が、思えばその時点で、リオノアの命運はとっくに尽きていたはずだった。
しかし今なお、つながっているリオノアの命。
奴らは一部を除き、無関係の者を決して巻き込まない、とどこかで聞いたことがある。半信半疑であったが、ここまで続けば疑いようもないだろう。
よって鑑みるに、テタンと行動すれば、襲われる危険性は限りなく低い。
「なァ、テタン」
「なに?」
顔を上げたリオノア。相変わらず心配しているテタンと目が合った。
揺らぐ紅眼。言葉を探そうとし、不意に挟まれる沈黙の間。テタンが困ったように目を泳がせる。
迷っているのはオレの方だ、とリオノアが心の内で毒づく。
どうにかして連れ出すきっかけを作らなければ、最悪、一人になった途端に殺される可能性まである。不自然にならない程度の説得をしてこの状況の突破口を――――
「え……っと、わたしにできることがあったら、何でも言って。迷惑ばっかりかけてるから、手助けしたいの」
「は」
不意にリオノアの思考が真っ白になる。
一体何を想って、目の前の少女はそんなことを言えるのだ。
第一、ここまで命が救われているのはオレだ。
それに知っていなかったとしても、オレはテメエに施しなんざしていない。
テメエはオレに貸しなんざ作っていない。
――――助けられる権利なんて、オレに残ってなどいない。
「――――リオノア?」
テタンに呼びかけられ、リオノアがハッと顔を上げる。
憔悴した顔に、相変わらず濁っている翡翠の瞳。そんな顔をしているから、テタンはリオノアのことを心配に思ってしまう。
「わたしの役目、何もないかな……?」
「…………」
リオノアが言葉を詰まらせる。 何を考えているのか、分からない。分からないが、その瞳が少し揺れたのを、テタンは確かに見た。
「何故オレを助けようとする……? オレは……オレは、こんなにも惨めなのに」
「え?」
リオノアが驚いたように、手を口で押さえる。
まるで無意識のうちに、言葉が喉から出たみたいに。少なくともテタンは、今までリオノアが曇った様子を見たことが無い。
それが今や、目の前にいるのは「一人の子供」に見えた。何てことない、助けを欲している子供……
――グチッ。
リオノアが唇を噛んでいた。血が溢れる。
強く、強く。
「な、何してるの!?」
「――ふぅ」
息を吐き、蓋をするように瞳が閉じられる。
刹那の時が流れたのち、開かれた瞼の下にあったのは、いつも通りの憎らしい目であった。
歪んだ口。意地の悪い笑み。すべてが普段通りであるはずなのに、テタンの胸は何故かさらに心配を訴える。有りもしない心臓がぎゅう、と締め付けられる心地がした。
「彼」はカラッとした声色で答えた。
「なら、近くでパンか何か買ってきてくれねえか? さっきから十分寝たおかげでなァ、腹がペコペコなんだわ。金は渡すからよ、バレねえように行ってこい」
「……それだけ? 他にすることは……?」
リオノアが少し歯噛みするが、笑みは貼り付けたまま変わらない。やや強引にテタンに金を握らせて、その背中を押した。
「多少時間はかかっても構わねえ。なんせ、まだ満足に動けねえからな。――――――おらさっさと行け!」
「わ、わかった」
急かされるようにテタンが部屋から退出。木板が彼女に踏まれるたびにギシギシと軋む。
しかしそんな音も遠ざかってゆき、リオノアただ一人だけが部屋に残った。
リオノアが意を決するように息を吐き、外を見る。
「……よし」
再び部屋に静寂が広がった。
◆◆
「はぁ、本当に骨の折れる仕事だよ。こんな重労働を年寄りに任せないでほしいね」
「まあまあそんなこと言わずにぃ! カルメ様はただ見張ってるだけで良いじゃないっすか!」
同刻、リオノアが目覚めた宿屋の一階にて。
人一人いないカウンターで老婆は重く、ため息を吐いた。
腰帯より伸びた、小型の機器が首元に垂れ下がっている。どうやら無線、何者かと通話しているようだ。
「見張るだけで事足りると思うかい? 相手はあの『非道』―――今は大人しくしてンだか動かないけど、いつ暴れるか分かったモンじゃないよ」
「確かに! 窓から見てますけど彼、ピンピンしてますね……! 俺、相当量の『壊毒』を打ち込んだはずなんすけど……」
通話先の相手が困惑したように、声を唸らせる。
こちらからはもちろん見えないが、『リオノア・ガルテ』に対して、毒があまり効果が無いことなど織り込み済みだ。できることならば、そのままポックリと逝って欲しかったのだが。
しかし暫くして二階へ伸びる階段より、下へドタドタと降りる音が聞こえてきた。まさかリオノアかと意気込むもそんなはずはなく、ワンピースをふわりと揺らした少女が目の前に現れた。
「おや、お嬢ちゃん。そんなに慌ててどこへ行くつもりだい?」
「……リオノアが、パンがほしいって、言ってて。動けない代わりに、わたしが買ってくるの。
―――――不安、だから。ここだけでも、頑張らなくちゃ」
少女が急いだ様子で答える。対した老婆はその顔を分かりやすく綻ばせた。
「ウンウン。やる気があるのは十分だけど、あんまり急がないようにねぇ。焦っちゃうと、その可愛いお顔が傷ついちゃうかもしれないからね」
「だいじょうぶ。わたし、硬さには自信があるの。でも、心配してくれてありがとう」
少女の純真無垢な様子に思わず胸を打たれてしまう老婆。なんて健気なのだろうか。あの男の下に居さえしなければ、私が世話を見るのに。
「そうかい、なら行っておいで。パン屋ならここを右にまっすぐ行った『中央緑園』近くの店がオススメさね」
「ありがとう、おばあさん!」
「おばあさん」―――その言葉に引っ掛かりを覚えつつも、老婆は手を組み合わせ、願うように小さく唱える。
「お嬢ちゃんに群青の光がありますように。――――それとあたしはまだババアじゃないよ! 『お姉さん』、だ! いいね!」
「ありがとう、お姉さん!」
少女が素直に訂正し、宿屋から出て行く。その姿はすぐに雑踏の中に埋もれ、消えていった。
「カルメ様……? 確かに麗しゅうお見た目で申し訳ないっすけど、六十越えで『お姉さん』呼びはちょっと……」
「ポワッソ、アンタ後で腕立て三百回しな」
「なんでっすか!?」
老婆がふう、と息を吐く。
しかし、こと暗殺においては群を抜いて秀でていると、確信して言える。特に、不必要な破壊をしたくない時などは彼の独壇場であるのは違いない。
「はぁ。何であんな娘が『非道』を助けてんだかねえ」
「そりゃあ、騙されてるからに決まってますよ! 僕もちょっとばかり盗聴してましたけど、あの子、自ら手伝おうとしてたんですよ!?―――きっと何か吹き込まれてるに違いないっす!」
「だとしたら憐れなことだねぇ……」
少し顔をクシャと歪めたが、そこで老婆は何かを思いついたのか、手をポンと打った。
「―――――ならあの嬢ちゃんが帰ってくる前に殺ってしまおうか。武器を取りな、ポワッソ」
「おお、それは名案っす!」
無線の先からガサゴソと音が鳴る。おそらく己の得物を取りに向かっているのだろう。常に手元に置いておけとあれほど言っているのに、懲りない奴だ。
しかしそれほど入念に準備した方が良い、とカルメは思う。
『非道』の実力を見誤らないため、というのもあるが、最も彼女の懸念を占めるのは、騒ぎになってしまうことである。
それだけは何としてでも避けたい。一歩間違えれば街が滅んでしまうことになる。
息を吸って、ゆっくりと吐く。私にしかできない仕事だ、と言い聞かせ再度無線をつないだ。
「ポワッソ! 準備できたかい! 突撃するよ!」
「あ、あったあった! ポワッソ、準備完了っす! いつでも突撃可能…………
――――――あれ?」
「どうしたんだい? 何か不都合でもあるのかい?」
数秒、貫かれる沈黙。
思わず無線機が故障してしまったのかと思うほど、ぱたりと通信が止んだ。
さらに数瞬が過ぎ、やっとポワッソとの通信が戻った。
「おーいポワッソ? 聞こえてるかい? あたしゃこういう機器に弱いんだ。切るときは事前に―――――」
「対象がいないっす」
「は?」
無線からの声に耳を疑う。老いて耳も悪くなってしまったのか、再度聞き直してみる。
「ポワッソ? あたしゃ耳が遠いのかもしれない。もう一回言ってごらん?」
「…………対象のリオノア・ガルテが部屋にいないっす」
「なぁにやってんだ馬鹿野郎!!!」
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