ー3:「笑中に」

「かぁー! 美味い! やっぱりここの肉団子は格別だなァ!」

「リオノア、ずるい。わたしが食べられないの知っててやってるでしょ」


 昼下がり。陽は南中を越して、リオノア達の上をぼんやりと照らしている。露店で買った肉団子はそんな日差しに油を滴らせ、リオノアの食欲をより掻き立てた。

 モンタニ湖街西方、ラモード島の大通りである。立ち並ぶ店だけでなく様々な屋台が道を埋め尽くし、多くの店が声を張り、喧伝に幅を利かせる。


 しかし、そんな中でも洋服店は、異色を放って見えてしまう。

 先より話題は共通して、店で服を押し付けてきた変な女、パラディで持ち切りであった。


「一体何だったんだァあの女……」

「……わたしも、ちょっとびっくりした」


 テタンが店と己のワンピースとを交互に見て呟く。


 戦闘には向かないこと必至な純白に、無事買いなおした黒い手袋。フリフリと舞うスカートは彼女のくるぶしまで何重にも垂れ、中を見透かすことはできない。

 揺れる髪、儚い笑みも相まって、危邦の姫君を思わせる相貌である。


「わたしの体……見られちゃったけど、大丈夫かな」

「あ? まァ、不安は残るが、うまく言い包めてきたし、心配せずともいいだろォよ」


 一方リオノアは分かりやすく、黒一色に統一している。


 というより、以前の服も似たような装いをしていた。元から滲み出ていた気性は鳴りを潜め、今は顔を隠すようにフードを被っている。


「えぇ……あんな言い訳、通じるの?」

「通じるさァ。実はオレが大道芸人だと言おうが、テタンは手品が得意な助手と言おうが、あいつらには証明する手段がねえぜ――おっちゃん、『喚き串』一つ!」


 完璧と言わんばかりにリオノアが笑う。テタンは言いたいことをぐっと堪え、微笑みに徹することにした。


 周りを見ればすれ違う人々は誰もが明るい顔をしており、一帯は活気で満ち満ちている。そのような光景を見ていると、テタンはリオノアのことも忘れて和むことができた。


「――オレが楽観的なのにも理由があるんだぜ? どこの『街』に行ってもそうだが、媒介師を除いた大抵の住民は、躯械に関する知識なんてないに等しい。

 それがこんな長閑のどかな街となっちゃあ、尚更さァ」

「いや盾……」


 思わず本音がこぼれて、布を巻きつけた盾を見てしまうが、リオノアには聞こえなかったようだ。独り、愚痴を止めどなく零している。


「第一オレは来たくなかったンだよ……前来た時だって――――ッとォ!?」


 前方から来た通行人に思わずぶつかってしまう。転びこそしなかったが、彼の緩んだ手から、牛串がポトリと落ちた。


「あァ! オレの牛串が……!? テメエ何しやがる! 賠償しやがれ!」

「いやリオノアが悪いよね?」


 テタンがジトッとした目でリオノアを見つめる。


 あちらにも非はあるかもしれないが、リオノアはあからさまに余所見をしていた。前を見ていれば、相手と衝突することも無かっただろう。

 尤もその相手は、もはや群衆に埋もれて見えなくなってしまったが。


「顔は覚えたからな…………」

「リオノア、顔、顔」


 鬼の形相をするリオノアを宥めるテタン。彼にとっては金を盗まれたことと同義なのか。

 しかし、背後からパカッパカッと足音が聞こえた途端、その顔を固まらせた。タラリと汗が垂れている。


「リオノア? どうしたの?」

「ど、どうもこうもねえよ? オレが余所見するわけねえだろォ!? ハッハッハ…………

 ―――おらテタン、後ろから来てンぞ。さっさと退きやがれェ」


 何事も無かったかのように偉ぶるリオノア。賢いのかバカなのか、テタンは頭を悩ませながらも、後ろから来たる通行者のために道を空けた。

 その通行者はしなやかな脚を持ち、美しい毛並みをしていて、何より四つん這い…………四つん這い?


「生き物……? 車……?」

「生き物に決まってンだろたわけ。まァ確かに『騎仙馬グリューガ』なんて、そう見れたモンじゃねえが」


 同意するように鼻を鳴らす馬。後方から群れを成して連れてきているようだ。

 その背にはあろうことか、ヒトを乗せている。車でもないのに、と感想を抱くテタン。


「おい男、そこをどけ」

「おっ、とすまねえ。周りが見えなかったモンで」


 リオノアがテタンを連れ、人混みに紛れる。その一行に気付いた者から、騒めきが辺りに伝播していく。


 よく見れば、ある騎乗者は真っ青な外套を羽織っておりその肩から腰にかけて、美しい黄金の刺繍が幾何学的模様を為している。他の者も、デザインは違えど、喧しいほど青を主張した装いだ。


 何よりも彼らはその頭に、金の星が縦に連なっている帽子を被っていた。


「あ、リオノ―――むぐ」

「黙っとけって言ったよなァ。


 ――『透誠』を象徴する紺碧。紛れもない公国軍だ」


 馬蹄が音を刻み、人混みなどお構いなしに通り抜ける。鮮烈な青が街並みの一部を染めていく。


「きれい……でも、カイみたいに武器、背負わないんだね」

「いや、軍人共あいつらは得物を携帯してやがる。

 ――――『公国』の技術でな。似たマネはできるかもしれねえが、オレには再現不可能だ」


 リオノアが声を潜めて指を差す。


 その先には腰帯ベルトと見紛うかの如く、複雑怪奇な装備が鎮座していた。一部の者はその外套にまでも金属が延びている。

 まるで躯械のようだ、と感心するテタン。しかし、ふっと落ち着き周りを見たところ、周囲の空気が少し変化していることに気付く。


 あれほど活気づいていた人々は皆シンと静まり返っており、公国軍が往く道は不自然なまでに空いていた。


「リオノア、これ、なに?」

「あァ!? だァから声落としやがれ……! そもそも『これ』ってなんだよ……!」

「この、ヒトが避けていってる――――あのヒトたちが先にいたのに」


 テタンが本当に分からないという風に疑問を呈した。

 そんなもの知るかと声を荒げかけたリオノアであったが、当然、公国軍の前では言えず。


「――そりゃァ、住民こいつらが『透誠』をからじゃねえのか……?

 公国軍は『透誠』――つまりは透徹された正義を誓うことの代わりに、。民衆からすれば、平和と畏敬の象徴なんだろうな。オレにはそうは思えねえが」

「…………畏れて、る?」


 咀嚼するように言葉を飲み込むテタン。


 その意味を理解する前に、彼女の視界がある物を捉える。それは『騎仙馬』の歩行とともにふわりと落ちた手巾ハンカチ。こちらも目が醒めるように青い。


「あっ、あの」

「おい、話しかけんなっつってンだろ……!」


 リオノアがテタンの手を引き、公国軍と離れるように離れてゆく。


 馬蹄の音が遠のき、少しずつ活気が戻る大通り。遠く、しだいに薄れ、見えなくなるまで、雑踏に踏まれる手巾をテタンは見ていた。




  ◆




「ヒトはふしぎだね」

「なんだァ藪から棒に」


 小道、民家の間をふらりと通っていた。人気ひとけはない。陽が斜めに差し込み、夕暮れを伝えている。


 先ほどから何だか早足な気がする。しかし、迷いなくリオノアが進むことからも、こちらに向かう理由があるのだろう、とテタンは頭の隅で考えていた。


「―――同じヒト同士なのに、どっちが『上』だって、決まるものなのね。

 わたしはずっと独りでいたから、何もわからないや」


 しみじみとテタンが呟く。


 先の軍人に対する民衆の態度を指してのことだろう。だが、リオノアの感覚からすれば、それは違うと言わざるを得ない。


「オレの持論、ってことになるがアイツらの中に優劣はねえぜ?

 ――そこにあンのは、どうしようもねえ『隔たり』だけだ。そもそも根本から違うんだよ。軍人っつうのは」

「どうしようもない、隔たり。違い…………」


 テタンが考え込むように下を向き、腕を組む。そしてふっと顔を上げ、大股でリオノアの前に姿を見せた。

 脚が地を着くたびにふわりと揺れるスカートの裾。人の目を気にせずいられるからか、細い道の真ん中でテタンは、リオノアにだけ見える角度でその生足を曝していた。


 、意地の悪い笑みに似せて問うた。



「――――実はわたしも怖がられなかったり、する?」



「あ?」


 リオノアがテタンと目を合わせた。


 。そんな気がした。


「かはッ」


 突如、頭を殴られたような激しい衝撃がリオノアに走る。

 思わず、右手で顔を覆う。

 鏡合わせのようにテタンの貌がぼんやりと重なって見える。重なり合う、重なり合う、重なり合う………………



 ―――――「だれ」と?



 目を幾ら擦ってもその「面影」は消えてくれない。


「―――ッち」

「リオノア?」


 テタンが顔を覗き込む。


 馬鹿げたほどに無垢。しかし今は、はらわたが煮えくり返りそうになるほど、苛立たしく感じた。頭がズキンズキンと痛む。


 何故? 何故こんなに苛ついている? まるで血が上ったような、熱い感覚。目とは異なる異常。熱が頭と腹の中で渦巻く。警戒はしていたはずだ。はずなのだが……


 新調したばかりの服をちらりと捲った。


 ちょうど脇腹のあたり、赤紫に変色し、じくじくと血が溢れ出ていた。


「え……? な、なにこれ!?――――ぅ」

「⦅弾火B u r⦆」


 血をベッタリと手につけ、傷口を焦がす。


 、と慌ただしい頭の片隅で冷えた思考が鳴いた。

 そんな頭も上った血が失せて、徐々に冷えていく。昔から、血を流せば落ち着く性分であった。喧嘩っ早いと言われていたころを懐かしく感じる。


「うぅぅ……! アァぁぁぁ……」


 あの晩もそういえば、こんな夕暮れ時であったか。燃えるような夕日が、目に焼き付いて離れない。

 未だその情景は鮮明に思い出される。オレがナイフを持って、血に濡れた刃はその陽を受けて眩しくて。傍でアイツが倒れてて、そして、



 目の前に『』がいた。



 その躯械は今、目を真っ赤にして蹲り、まるで欲望に耐えるように悶えている。


 そうだ。そのまま苦しんでめちゃくちゃになって死んでしまえ。五月蠅い声も舐め腐った目も歪んだ口も、その全てがオレの気分を苛立たせた。あの時の気持ちがテメエに分かるか? 何が『共存』だふざけるな。消えろ、消えろ消えろ消えろ。テメエの存在自体が害悪そのものだ。そうだ。そうでなければいけない。テメエは燃えて溶けてバラバラになって全部全部全部全部ぜんぶぜんぶぜんぶ




「あ……アぁ……タス、けて……」

 ―――――――――――――こんな少女ではなかっただろう。




 己の顔を掻き毟り、血をとめどなく流している、その手を止めた。


 すっかり忘れたと思っていたのに、どうやら自分の頭はそれを許してくれないらしい。もう十数年経つというのに、何たる執念か。


「―――――ふ」

「リ、リオ、ノ、ア?」


 テタンが困惑したようにリオノアを見上げる。が、不意にぽとりと滴った彼の血に目が奪われる。自然に手が伸び届く前に、その血をリオノアが踏みつけた。


「あ、あぁ」

「おいおいどうしちまった? 自称血嫌いのテタンさんよォ。まさか欲しかったなんて言わねえよなァ? 汚え汚え、地べたに落ちてンだぜ?」


 寒がるようにテタンが絡繰りの腕を擦る。


 リオノアの言葉を一顧だにせず獣のように真っ赤な目を見開いた。歯軋りが止まらない。


「うう、うぅゥぅ」

「はッ、忙しねえ野郎だなァ……

 ―――――ッ!?」

 再度ぶり返すように走る激痛。眩暈を起こし、壁に手をつく。


 思わず逆流する吐瀉を抑え込み、口に酸っぱく金臭い風味が漂う。ふらつく頭と定まらない足。明らかに違和がある中で、ようやくリオノアはだと気付いた。


 しかし問題はそれだけではない。飛び飛びになる意識の中でテタンがにじり寄ってきていることが分かる。抗っているからか、リオノアえものを前にしても飛び掛かってはこない。


 一歩、テタンに近づいた。


「ぐ、ぅぅう!」


 耐え切れなかったようにガバッと跳ね起きたテタンがリオノアを押し倒す。


 仰向けの状態で覆いかぶさったテタンと目が合った。出ない涙を溜めたように、曲げられたまなじり。相反するように動く手がリオノアの首を絞める。

 ぎゅうと圧迫され、チカチカと明滅する視界。テタンが首元にその牙を突き立てようとした。


「ハ、ハハハハ!!」


 だが、そんな状況でもリオノアは息も絶え絶えに笑う。

 恨みつらみ一切合切、笑みに隠してその手を動かした。

 向かうはテタンの口。片手で頭を捉え、無理やり手の内の鉄塊を捻じ込んだ。


「―――ッ!! ―――ッ!!」

「『変律歯車ミーカノーツ』の味はどうだァ!? 美味すぎて声も出ねえってか!?」


 暴れるテタンを抑え込むリオノア。


 懸念していたことではあった。鉄が悉く排された街。それはテタンにとって食料が無いことを意味する。ふとしたきっかけで暴走することはもはや必然であろう。


「ア、あウ、うゥぅ―――リ、リオノア?」

「――お目覚めかァ? うっかり屋がよォ」


 テタンがバッと飛びのく。解放され楽になる呼吸。

 リオノアは立とうとするが意識が未だ朦朧とし、うまく立ち上がれない。


 テタンを見れば、恐れたことが起こったようにわなわなと手を震えさせ、顔を蒼白に染めているように見えた。


「あ、あぁ……! わたしが、わたしが……!」

「落ち着け、落ち着け……」


 その場に手をつき肩で呼吸する。意識していなかった毒が体を蝕み、己の感覚が遠くなってゆく。


 なにか、言葉をかけなくては。今テタンは混乱している。きっと何が起こったかなんて分かってないだろう。一言でいい。この場で最も効果的な言葉を。


 顔を上げたその時、彼は初めて、ことに気が付いた。



「はッ、モノが。そんな表情かお、してンじゃねえ」


「リオノア!!」


 体が崩れ落ち、意識が暗転した。



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