-7:「お料理の時間」
森の夜は早い。
天高くまで上っていた陽は、あっという間に姿を隠し、宵闇が隈なく視界を埋め尽くした。極度の疲労と損傷を受けたリオノア達は、夜の森を通り抜けることは危険だと判断。刈り取られた更地で夜を明かすことにした。
パチパチと焚火が火種を飛ばしている。
「よいしょ――⦅
カイエンカがもげてしまった己の右腕を、傷口に接着するようにして、律術を唱えた。幾条もの光り輝く筋が右腕に纏わりつき、傷口が塞がっていく。
やがて五体満足、元通り。何の外傷も見受けられない狂人がそこにはいた。
「すごいね、カイは。本当にヒトなの?」
「ふっふー! もっと褒めてくれてもいいんだよテタンちゃん?」
「調子乗んな」
リオノアが割り込み、バッサリと一言。カイエンカが涙目でポカポカとリオノアを叩いた。
「何でさ!? 今回はボク、いい活躍しただろぉ~! もっと称えられてもおかしくないと思うけど?」
「いやテメエ、調子乗った結果、今までどんなことを仕出かしたと思ってやがる。忘れたとは言わせねェぞ?」
「ウっ」
言葉を詰まらすカイエンカ。リオノアはその全てを鮮明に覚えている。
というより、忘れるはずがない。『
「それにテメエ、治したはいいけどよ。まだ動かねえだろ、
「――まぁその通りだね。神経の治癒にはちょっと時間が欲しいかな」
カイエンカがぶらりと垂れた右腕を左腕で持ち上げる。
一見異常は無いように思えるが、支えていた左腕を離した瞬間、再びぶらりと垂れ下がってしまった。
「それでも戦えるけど?」
「テメエはそう思うだろうがな、狩りは死にに行くためにする物じゃねえンだよ」
リオノアがはっきりと言う。カイエンカも何か思うところがあったようで、その点について異論は唱えなかった。
辺りをしんみりとした空気が流れる……
……と思われた。リオノアがその場に座り込み、
懐から取り出した水筒を、見せつけるように「腕を真っ直ぐ伸ばして」、天高く掲げた。
「……だが! 勝ちは勝ちだァ! 金が、入るゥ! パーッといこうぜェ!」
「それ、ボクへのイヤミかい?」
リオノアはにんまりと口を歪ませ、またも取り出した粉末状の何かを水筒に投入。よく掻き混ぜ、くいっと一口。
「……! もしかして粉末酒かい、リオ!? 準備が良いじゃないか! ボクにも一口くれよ!」
「ゴキゲン良いようでなにより。それじゃ今日の功労者サマに乾杯だ」
カイエンカにも粉末酒を手渡す。
功労者サマが粉を入れ、ぐびぐびと飲み、ぷはぁ、と息を吐いた。こちらも満面の笑みである。
リオノアはさながら料理のように、干し肉と即席の乾パンを並べていた。
「不思議だねぇ。みすぼらしいはずなのに、昨日の肉より美味く感じるよぉ!」
「舌が狂ってるとしか思えねえなァ。オレならこんな不味い干し肉作らねえよ」
そうして二人はわいわいと酒を飲み、夜を更かしていく。
ただテタンだけが、蚊帳の外で彼らを見ていた。
「わたしは、リオノアたちとは違う……」
だから、仕方ないのだ、と己に言い訳をしようとした。しかしあの日、ヴァーチェ煌街で見た温もりを、いまだテタンは忘れられずにいる……
――あの温もりがほしい。わたしも「幸せ」を感じてみたい。
そう思う心を止めることができない。
無茶なことだとは分かっている。拒否されることを承知で、テタンはリオノアに尋ねた。
「あの、リオノア」
「ん、どォした? まさかテメエも
――――ハハ、冗談だぜ、冗談!」
「うん、わたしも、それがほしいの」
「……あ?」
リオノアが呆けた顔をした。なるほど、少し間違ったようだ。
「ごめん、ちょっと違った。
わたしにも『料理』、つくってくれないかな……?」
時が止まったように、リオノアはさらに深く呆けた。テタンの身に少しばかりの緊張が走る。
同じくカイエンカも暫く呆然としていたが、すぐに吹き出し、からからと笑った。
「あははは! なるほど、『料理』か! 鉄にも味はあるってことかい!?」
「……うん。でも、ほとんどおいしくないの。だから、おいしくしてほしい。
――――――リオノアは『料理』できるって、聞いたんだ。リオノアに、作ってほしい」
テタンがたどたどしくも、はっきりと願う。
しかしながら、リオノアにとってはもちろん
確かに『料理』はできる。
――しかし、誰が躯械の味覚など、知っていようか? そもそも鉄屑は食い物ではないだろう。
「ならやるっきゃないねぇ、リオ! 言っとくけどテタンちゃんも、今回の功労者だぜ?
――ボクは素核を二個。テタンちゃんも二個、破壊したねぇ。対してリオは何個だったかなぁ!」
「クソッタレ! それじゃあ何か!? 味も知らねえ金属を調理しろってか!」
「その通り! でも、やってみないと分からないじゃん! 功労者へのご褒美だと思って!」
「はァァ!?」
リオノアが訳が分からないという風に渋り、粘る。しかし少し冷静になったところで二人と目が合った。
意地の悪い笑みを浮かべる一方は置いておいて、少女の眼差しは不安げながらもリオノアのことを信頼する目であった。
有無を言わせず、期待されている雰囲気に、さしものリオノアも折れざるを得なかった。
「ぐ……クソがァ! もうどうなっても知らねえぞ!?」
◆
言い訳がましくも行動を始めたリオノア。
先ずは素材の調達。倒された大樹の側に横たわっているグラエンデの下に向かう。
片翼はカイエンカの〈灯に落つる涙〉によって、溶かされてしまったが、もう片方の翼はなんとか形を保っている。
彼の身長よりも巨大なそれに対して、リオノアはナイフを取り出した。
「フゥ――おらァ!」
気合を込め、根本から翼を断ち切る。ドスンと音を立て落ちたそれを気合いで担ぎ上げ、とりあえず己の盾に載せた。
「いったいこっからどうすりゃいい……? 鉄はこの場合『肉』と考えていいのか? ただそう仮定しても、それはただの生肉だァ。
――――調理、調理だ。調理するには……」
思考を止め、一旦
恐らくカイエンカの賦律の影響であろうか。翼を広げた羽は所々焦げていた。いや、これは……
「そうか。酸化か」
思い至ったリオノアは、腰のベルトに備えていたあるものを取り出す。
――それは以前テタンが飲んでしまったものと同じ、高濃度の潤滑油。リオノアはその蓋を開け、惜しげも無く翼にぶっかけた。
翼が油を受け、つやつやと照る。しかし、まだ終わりではない。
「⦅
リオノアが律術を唱え、翼を豪快に炙っていく。あたかも盾をフライパンに見立てるように熱することで、グラエンデの翼の『酸化』が進む。
火加減は慎重に。少しでも間違えると、ボロボロになってしまうから。
「こんなモンかァ!」
十分に焦げ目がついた翼はあたかも手羽先のよう。しかし骨もへったくれもないため、翼全体を一つの肉と見て、カットする。
「オラァ! セイヤァ! ドリャァ!……一撃が重てえ!」
苦労して捌いた鉄……否、肉を、この際仕方なく、盾の上に盛り付ける。
肉だけでは寂しく見える、と感じたリオノアは、グラエンデの屍からネジとボルト、加えて
彼自身も味に違いはあるのか、不安になりつつも抵抗器を塩のようにふった。最後にネジとボルトを端にばら撒く。
「……おらよォ。『〈血塗れ〉の炙り』、完成だァ」
もはや食卓があれば、その全てを占めそうな大きさの
――あれほどリオノア達を苦しめた鉄羽。それらは全て削ぎ落され、大きさだけで言えば、あたかも唐揚げのよう。
「どうせ、デカくても食べきれねえだけだァ」
溢れた油は物々しい皿に調和し、月光を受けて、黄金が輝きを主張する……
「潤滑油を使うのは予定外だったがなァ……どうだ? 見栄えだけは良いだろ?」
皿の上では、少し赤熱した鉄が食べ頃を伝えていた。鉄の表面で泡立つ波が、テタンの食欲をそそらせる……!
「鉄に良し悪しがあるとすればそれは『純度』だ。鮮度もクソもねえがな」
また、その焼き加減といったら! 今まで食してきたどんな素核より、美味しそうな見た目をして、食べられるのを今か今かと待ち望んでいるようだ!
「――いつまで見てんだ。さっさと食え」
「わぁぁ……!
――いただきます……!」
テタンが目を輝かせ、手を以て一口大の金属に齧り付く。バリバリと音を立て、苦も無くごくんと飲み込んだ。
それまで熟睡していたカイエンカも目を覚まし、興味津々の様子で見る。
「……美味いか?」
「本当にすごいよリオノア! あんなに不味かった鉄が、こんなにうま味を出すなんて、想像もできなかった……!」
――――予想通り、丁度よく焦がされた鉄! 薄い酸化膜がパリッと弾けるたび、テタンの素核が歓ぶようにその身体を唸らせる!
体中を駆け巡っていくうま味は、端に添えられたネジとボルトによってさらなる
あれ程不自然に思えた抵抗器も、
――これまで作業としか思えなかった「食事」がこんなにも楽しくなるなんて!
そう思っている間にも、鉄を口に運ぶ動きは止まらない。
「―――この小さい部品? のおかげで、ちょっとピリッとしてるけど、逆にそれが病みつきになる……!
――本当に、本当にすごく美味しい!」
テタンが大輪の花のように笑う。まるで、寒い夜の中で、そこだけ明るくなっているみたいに。全く、眩しいものだ。
「はッ、失敗しなくて良かったぜェ」
リオノアがテタンに気づかれない程度に胸を撫でおろした。その様子を見ていたカイエンカが恐れるように一歩引く。
「えぇ……? なんで作れるの……? 怖ぁ」
「テメエにだけは引かれたくなかったぜ……
――まァなんだ、いつも作る料理の延長だ。結局は躯械も、人も、味覚は変わらないのかもしれねえ」
「この世界でそんなこと言えるの、リオだけだと思うよ……」
話している間にもテタンはガツガツと食べ進め、やがて
「――ごちそうさま!」
「口直しの油はいるかァ?」
「……いいの?」
「興が乗っただけだ」
そうして三人で焚火を囲み、それぞれの水筒、または瓶に口をつける。ヴァーチェ煌街で経験した狂騒感とは程遠くも、心地よい静寂をテタンは感じた。
「これが、幸せ」
「ね! 暖かいでしょ! 大事な仲間と食べる肉は格別だねぇ~」
「テメエ、オレを撃っておきながらそれを言うかァ……」
凍えるような風が森を吹き荒らす中、彼らが談笑する空間だけは何かに包まれたように暖かった。
緩慢としていながら、和んだ時が流れていった。
◆◆
「……そういえば、リオノアはわたしを使って、何がしたいの?」
テタンがふと、思い出す。飲み終えた瓶を胡坐の内に置き、疑問を口にした。
「だァからこの前言ったろ。金稼ぎのためだってよォ」
確かに、金を得たいという彼の目的には以前呆れてしまった。しかし、質問の真意はそこではない。
再度、リオノアに問うた。
「――そんなに儲けてまで何がしたいの?」
「……」
途端にリオノアが口を噤む。間近にいたテタンにはごく僅かであるが、その表情の機微が感じ取られた。彼の眉が少し、下がったように見えた。
「ごめん。ちょっと気になっただけ……無理に話さなくても――」
「あぁ!
――リオはね、小っちゃい頃に、友達を躯械に殺されちゃったんだって! それを今も後悔してるみたいでね、その躯械を今も探してるんだよ!」
「おいカイエンカ、テメエ!」
リオノアがカイエンカを制止するように口を挟む。酒に酔って顔を赤らめていたカイエンカが、はっと我に返る。
「あ、もしかして言っちゃダメなコト!? ごめん、てっきり気にしてないかと……!」
「別に、オレの事情は話そうが話さまいがどっちだっていいンだよ……
――――だがな。テタンは人を喰いたがってねえが、一応、躯械だ。よく考えろ」
カイエンカが思案するように顎に手を当てる。しかし、何も思いつかなかったようだ。
「ん? 何か不味いかな?」
「テメエ……いや、もういい」
リオノアはそれまで黙っていたテタンをちらりと見た。少し俯いており、何かを考えこんでいるように見えた。
「あー、その、何だ。気色ワリい話を聞かせてすまねえな」
「そっ、か。そうだったんだね。わたしの方こそ……ごめん」
テタンは出会った時を思い出す。彼は自分のことを見込んで森の外に連れ出した。彼は金儲けだなんだとはぐらかしたが、その時、一体どれほどの怒りを抑え込んだのだろうか。
わたしはヒトを食べたくないと確かに思っている。然しながら当然、その身体は『躯械』なのだ。
「うん、大丈夫。わたしは、どこまでいっても『躯械』だからね。罪悪感で腕が落ちる心配でもしてるのかな?」
「……はッ、ならいいぜ」
テタンは敢えて揶揄うように、リオノアに言い放った。
――おそらく
「万に一つもねえが、テメエが嫌いな嫌いな、『人を襲った時のこと』も考えといた方がいいぜェ。
――なんせ、何でもしてやるって言っちまったからなァ」
リオノアが煽るように言う。
だが、テタンにとって願いなど、今の今まで無いものに等しかった。
まして己の――『躯械』としての願いなど、烏滸がましいにも程があるだろう。
「そう、だね……」
しかし、テタンはふと、グラエンデと対峙した時を思い出した。あの真に邪悪な姿形。
そしてリオノアのように、躯械によって起こされる悲劇。
――――己を含めて、この世界に存在してはいけないものだ。
それならば、とテタンはぽつりと言って、リオノアの方を向く。
「見せてよ、
――――儚く、消えそうなほど薄い、彼女の微笑み。
リオノアには、厭にはっきりと見えてしまった。
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