-6:「後を濁さず」
「大丈夫!直撃はしないから!」
数多もの鉄羽と血が飛び交う戦場で、カイエンカは遠慮なく引き金を引く。
亜音速の弾丸は凍り付く前に目標に命中し、グラエンデの左翼の関節を凍結させた。
「……?」
そうして落ちるグラエンデ。しかし、リオノアはその姿に違和感を覚えた。あの関節の動きは……
「リオノア!」
テタンの声により思考を中断。直後、遠くから空を切る音が聞こえた。咄嗟に盾を構えるリオノア。
「―――ッ!?」
然しながら、着弾したモノはグラエンデの鉄羽などではなく、カイエンカの放った『冷槍』であった。
「おいテメエ!思いっきり直撃してンじゃねえか!」
「アハハ当たっちゃった!でも、盾の
リオノアが砲口を覗く。凝固した氷は盾の放熱と見事に相殺しており、再び『崩光』が使用可能であることを示している。
しかし、それを以てしても。あと少し盾を構えるのが遅れていれば、カイエンカの『冷槍』はリオノアの身を貫いていた。相変わらずの倫理観にリオノアはため息を吐く。
「まァ考えたところで無駄か」
「カイはリオノアのこと、嫌いなの……?」
「いや、オレを貫いて撃った方が、効率が良かったんだろうさァ。
避ければ良し、避けなくても盾を冷やせる―――オレの状態にかかわらずだが」
リオノアが己と弾の軌道を指でなぞる。その射線上には、グラエンデが存在していた。
「すごい! ボクと以心伝心じゃん!」
体勢を整えたグラエンデがカイエンカに向け数多の鉄羽を飛ばす。
不可避の凶刃に対して、カイエンカは逆に前に跳躍。
「⦅
少なくない鉄羽を、彼は抵抗せず受け入れた。しかし傷ができたそばから氷が溢れ出し、それ以上深く刺さることを防ぐ。結果、彼の身体にはかすり傷だけが刻まれた。
「――リオは堅いからね! 一発程度で死なないさ!」
「はッ、仮にも『相棒』に言う台詞じゃねえ―――ッ!?」
グラエンデの翼の氷が解ける。リオノアは逃がすまいと鉄条紐を強く握る。
が、そこにも飛来する空気を読まない弾丸。気が緩んだ隙にグラエンデが脱出してしまった。
「Ooooutorittorr!」
「
然しながらその怒りの矛先に選ばれたのは
虚を突かれ、咄嗟に脚の装具に力を籠めた。
―――リオノアの鉄靴は空雷式下装『ユピター』といい、彼の膝上まで届く大きな装具である。彼の高機動の最大の立役者と言っても良い。
賦律により脚を振り抜く際には、嵐のような突風が生まれ、空中においても自在な機動力を持つ。そのまま鉄を砕くこともできる逸品である。
リオノアは脚に己の血を凝縮させる。機を見計らい、グラエンデに向かい己も突進。振り抜いた脚は、グラエンデの爪と衝突した。
「s@stsnk%egrthdoggggg!」
「――ッ! がァァ―!」
グラエンデのちょうど臀部にあたる部分から、しなやかな「尾」と、頭部のものとは異なる『素核』が飛び出す。力が拮抗している間に、鞭のような尾が、リオノアを穿った。
そうして均衡が崩れ、思いっきり蹴り飛ばされる。毬のように跳ね、中央の樹に激突した。
「ゲホッ、卑劣な野郎だァ……」
樹にもたれるリオノアにグラエンデの脚が押さえつけられる。カイエンカの弾丸は翼に遮られ届かない。
ナイフのような鉤爪が首にあてがわれようとしていた。
「けどお前、躯械向いてないぜ?
―――全然周りが見えてねェ」
リオノアが盾を握る手に力を込める。その鉄条紐が伸びる先は一本だけ残った大樹。散々傷つけられた仕返しと言わんばかりにリオノアごとグラエンデを、その質量を以て押しつぶした。
「鉄のひしゃげる音」を確かに、確かにリオノアの耳は捉えた。粉塵が舞い上がる。
硬直していたリオノアだが、極限まで盾で守りながら粘り、地と激突する寸前にその影より飛び出した。賭けをした割には上出来な成果か。
「樹を疎かにしやがった罰だァ!」
「……? リオノア、それってどういう意味?」
「あ?」
砂煙が晴れる。やがてそこには故障したように、頭部が潰れたグラエンデが横たわっていた。
「ハッ! ざまあみやが...れ?」
横たわっていた、ピクリとも動かずに。
〈血塗れ〉の身体からは放電はおろか、血すら流れていない。
素核は潰した、はずだ。リオノアの視界は少なくともそう訴えている。目を閉じて聴覚に頼ることにした。
―――あまりにも、静かすぎる。体に纏わりつく血の霧が一層、濃くなった気がした。
「おい!何が起こってやがる!」
リオノアが目を開き、テタンを見る。テタンは何かを焦ったように、忙しなく辺りを見回している。
「リオノア……! グラエンデは、どこ!?」
「あァ!? そりゃあどういうこった!?」
「やぁー我ながら良い支援!百点満点と言っても過言では無いね!」
カイエンカが右手に狙撃銃を抱え、ゆったりと歩いてくる。異変に、気づいていない。
テタンがハッと、天空を見つめた。
「カイ! 避けて!」
「え?」
直後、カイエンカの右腕が弾け飛んだ。
「ぐ! ぅぅぅ……」
「カイエンカ!?」
膝をつき、崩れ落ちるカイエンカ。リオノアが駆け寄り、状態を確認する。食いちぎられたように、肘から先がない。足元に左手が落ちている。血溜まりが広がる。
「何だ……何が起きた?」
落ち着こうとして、そういえばテタンは、と思い至る。
彼女の方を見れば、虚空と剣戟を繰り広げていた。あたかもそこに〈血塗れ〉がいるように。そこでようやく行き着いた、一つの仮定。
リオノアは倒れた大樹を指さした。
「テタン、あの樹は赤く見えるか!?」
「何、言ってるの!? 元から、赤くないでしょ!?」
「ッ!!」
動転する頭がじわりと動く。リオノアの思考が点と点を繋ぐようにして、一つの事実を導き出した。
「テタン!
「―――わたしだけ、見えてる?」
テタンがポツリと呟いた。目を疑ったが、思い返せば確かにそうだ。何故
「あァそうだ! 暫く一人でそいつの相手を頼む!」
「任せて」
テタンのスパナを握る手に力が籠る。次の瞬間、強烈な一撃を空に向かって放った。
大気が割れるような音が連続して響き、ぼやけた輪郭が一瞬、浮かんでは消えていった。再び、剣戟へと没頭していく。
「おい、カイエンカ! 死んじゃいねェだろうなァ!?」
リオノアが強引にその身体を起こす。出血は酷い。が、彼自身の体質のお陰で固まりつつあるようだった。
「あぁ、してやられたなぁ! まさか幻を見せてくるとは……! しかもボクの認識まで歪んでいる……!
―――――すごい、すごいよ、リオ! 片腕取られちゃった! ……あ、まさかこのリオも幻とかじゃないよね?」
「テメエは変わらねえなァ……」
右腕を失ってなお、明朗快活でいるその様にリオノアはもう呆れることしかできない。然しながら、戦況が悪いこともまた事実。
狙撃銃は彼らの遥か後方にある。その場に横たわっているカイエンカにとって、回収はほぼ不可能だろう。
「オラァ、一旦撤退すんぞ。『幻を見せる』ことが分かっただけでも十分だ」
「え!? 帰っちゃうの!? 待ってよまだ撃ち足りないって!」
「テメエが一番状態悪いの、分かってンだろうな……?」
リオノアが困惑を呈する。もはや、動くことも辛いだろうに。
「はっはっは! でもボクがまだ戦えることはリオもよく知ってるでしょ?
――――ボクのことよく見てるから」
カイエンカがじっとリオノアを見つめる。
底冷えした身体とは対照的に、その目には溢れんばかりの熱が宿り、その存在を主張する。思わずリオノアが一歩引いてしまうほどの熱量であった。
……しかしながら、カイエンカの放った言葉もまた、彼らにとっては分かり切ったことである。
「……どこまで行っても、どうしようもねえヤツだ」
リオノアがため息交じりに、ぽつりと言った。
「お互い様さ」
「策はあるんだな?」
「もちろん」
「仕方ねえなァ、本当に」
リオノアがそこで思考を打ち切った。
「好きに動け。できるだけ、時間は稼いでやる」
◆
翼とスパナが交差し、刹那の間に幾つもの火花が散った。テタンが爪を逸らし、スパナをその脚に叩き込もうとする。
しかし、翼から放たれた鉄羽がソレを許さない。
一度飛び退き、テタンがスパナを両手で構え直す。ふぅ、と放熱し大地にスパナを突き刺した。
「ふん」
そして勢いよく振り上げる。大地が小さく陥没し、含まれていた岩石が弾となって飛び出した。
ソレを黙って受けるグラエンデではない。飛翔し、逆に勢い付けてテタンの下へと飛び込んだ。だが、
「一つ目」
「yreb@dcd$$shabeeee!?」
テタンは振り上げた勢いのまま跳躍。スパナをグラエンデの翼に引っ掛け、遠心力を利用して尾の素核を破壊した。
ゴロゴロと転がり、汚れを払う。グラエンデは目の素核を守るように翼をはためかせる。
テタンが嫌悪感の籠った眼差しで、グラエンデを見つめた。
「それだけじゃないでしょ。
―――あれだけ、ヒトの血があったんだ。アナタはまだ本気を出していない」
まるで言葉が伝わったかのように、グラエンデが翼の動きを止めた。そして観察するかのように、その素核でテタンをジッと見つめる。
テタンがスパナを構え、戦闘態勢をとろうとした。
グラエンデの顔が四つに割れ、内から覗いた丸い口が笑みを描いた。
「Omeihmdnazooo&$$oo」
「最悪、だね」
次の瞬間、今までとは比にならない速度で鉄羽が飛来。
それを囮とするかのように、グラエンデが飛翔。避けた先に既に回り込み、防ごうとするも、
「うッ……!」
テタンの「本能」が顔を覗かせる。目が一等赤く染まり、身体が硬直してしまう。隙を逃さず、悪魔のような鉤爪が振るわれた。
「〜ッ!!」
鉤爪は軽々とテタンを吹き飛ばし、テタンは倒れた大樹に激突。
動けなくなった機を見逃さず、グラエンデは強くテタンを掴み、地に押さえ付けた。
「―――ふふ、すごい、力。わたしの力じゃ、どうしようもないや」
テタンが途切れ途切れに言う。身体がミシミシと音を立てた。
「s&nwts$$iamrntyyyyyyo?」
グラエンデが見せつけるように、翼を開く。
血に錆れた鉄羽の内から、両翼一つずつ姿を現す素核。
その意図をテタンは理解し、笑った。
「わたしより、強いって、証明がしたいんだ?なら、残念だね、獲物しか見えてない、お馬鹿さん?」
今にもテタンが潰れようとする。しかし、テタンは悠然と笑みを深めた。
「今のわたしは、一人じゃないから」
「見えなくてもバレバレだァ!――⦅
響く爆音。リオノアの砲撃が直撃し、グラエンデを吹き飛ばす。テタンが解放され、ゆっくりと身体を起こした。
「遅い……ちょっと危なかった」
「仕方ねえだろォ!?……ッて言うか、何でオレが合わせなきゃいけねえ!」
「頼んできたのはそっち」
「ウッ」
正論を突き付けられリオノアが胸を抑える。グラエンデも立ち上がった。顔を割って、翼を大きく広げ、けたたましい
「ほら。リオノアのせいで怒っちゃった」
「何も見えねェし聞こえねェわ! どの方向から来てんだよ!」
「正面から―――!」
テタンがリオノアをドンと押す。直後、目の前を透明な殺意の
リオノアはその時、確かにその殺気と空気の流れを肌に感じた。即座に体勢を立て直し、盾を構える。
「成程なァ……機能してねえのは目と耳だけかァ。ちょうどいいハンデじゃねえか。
―――おいテタン、ちょっと懲らしめてこい」
「でもさっきの砲撃のせいで、リオノアしか見えてないみたい。さっきの砲撃のせいで」
「オレのせいかァ!?……あァオレのせいだなァ!
テタン、逃げるぞ!」
後方に向かって全力で逃走する。
己の息遣い以外何も聞こえないはずなのに、後ろからヒリヒリと感じる
現実と感覚の間で齟齬が生じ、気が狂いそうだ。
「ねぇいつまで逃げるつもり!? もう追いつかれる!」
テタンが後ろを振り向き、そこにいるであろうグラエンデを見た。間近で、素核が放出した高温の熱風がリオノアの髪を揺らした。
しかし、リオノアはあえて笑みを深めた。
「仕留め損なったなァ、カイエンカを。アイツはお前が思ってるより遥かにイカれてるぜ?」
直後固まったようにグラエンデが動きを止める。ピリッと、微弱な電流が鉄の大翼を絡めとった。
「―――そしてそれが、唯一残ったオレの罠だ」
「⦅
カイエンカの声が響いた。膝をつき、血だまりの中で律術を唱えている。
やがて、夥しい量の血が消費され、変化を始める。それと同時にカイエンカは、千切れた右腕を血溜まりの中に突き刺す。その断面が血と共に凍っていく。
「はは!⦅
あろうことかカイエンカは氷と結合してしまった右腕を掴んだ。瞬間、氷塊が急成長。右腕と共に、カイエンカが空高くまで運ばれる。
一方地表では、一帯を包む血霧を押し退けるように、「不可視の気体」が氷塔を中心にして急速に広がり、更地全てを包み込んでしまった。
リオノアが訝しむように臭いを嗅ぐ。するとハッと気づいたようにテタンの頭を掴み、地に伏せさせた。
「んんー!」
「ガスだ!這いつくばっとけ!」
「いい眺めだねぇー!」
やがて、ガスが届かないほどの高度に到達。グラエンデが地表に滞留するガスに縛られ、飛ぶことができずに翼をはためかせる。
「ふぅ―――⦅
突如目の前にポッと生まれた極小の灯。
〈灯より落つる涙〉は超長持続する炎であるが、カイエンカの体質ではあまりに小さい炎しか作ることが適わなかったようだ。
そのふよふよと浮かぶ炎をカイエンカは咥えていた煙草の先に点けた。
―――煙草を、落とした。
「awsmd;dddbau@tiiiii!!??」
「宴の始まりだぁ!」
瞬間、煙草を中心に爆炎が押し寄せる。
それはグラエンデにとどまらず、リオノア達をも飲み込み、草原となっていた更地をすべて焼き尽くした。
ちょうどグラエンデのいる大樹付近では熱が収束。火炎の竜巻が天を衝き、その機械仕掛けの右翼を素核ごと溶かした。
氷塔が溶かされ、傾く。カイエンカはその隙を見逃さず、己の右腕を再度千切る。熱を受け曲がった氷塔をあたかも滑り台のようにして降下。
同時にその身で爆炎を喰らう。
カイエンカは右腕から滴った血を多量、口に含んだ。
「ああ、心地いい!―――⦅
吐き出すと同時に律術を唱える。極寒の水が前面に展開され、服が燃えるよりも早く、炎を押し返した。
「ぐ……! 熱ッちィ!」
「火が、収まってきた……?」
〈灯に落つる涙〉が効果を失い、炎が風に吹かれて消えていく。リオノアがテタンと共に被っていた盾を外す。
くっきりと晴天の中に現れる、おどろおどろしいその様態。
血霧が蒸発し、雲一つない蒼がグラエンデの視神経回路を焼き尽くしてしまった。
「まったく無茶苦茶しやがる……
――――――カイエンカ!」
しかし、まだ『素核』は生きている。
焼野原、リオノアが走る。その先には火炎にも溶かされない、冷たい鉄が血に塗れてポツンと横たわっていた。
「受け取れェ!」
その鉄塊を渾身の力を込めて蹴り飛ばした。その足の先、モクモクと湧く水蒸気の中から人影が一つ。
「リオ、後で覚えとけぇ……」
カイエンカが焦がした服を纏い、己の元に飛んできた狙撃銃に躊躇無く嚙みついた。
残った左手を引き金に添える。が、片翼を失ってもなお、高速で飛翔するグラエンデが血をばら撒く。目を潰された。迎え撃つ。その爪が切り刻まんと高速で迫った。
「見えなくてもプンプン臭うんだよ!――⦅
放たれた水弾は寸分違わず素核に突き刺さり、機能を停止させた。
グラエンデの身体が光り輝き、膨張する。自爆の予兆か。
「やばい眠い!――任せた!」
「任せられた」
テタンが飛び出した。グラエンデの顔が四つに割れ、歯を覗かせる。
噛みつきを避け、すり抜けざまに『素核』をスパナで強引に引き剝がす。
――――そのまま拳大のそれに歯を立てた。
「いただきます」
鉄と硝煙が澄み渡った空の中、幻惑の鳶の羽が散った。
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