ー2:「取引」
アレが起きたのは一体いつだったか。
忘れるほど旧いことだ。ある日、戦場に一体の機械が投入された。レドラット法国という、大昔の国が発明した物であった。
見かけはただの
しかし一つだけ、他の戦車とは違う点があった。
ハッチを開けると、中には誰も居ない。遠隔で操作している者もいない。
つまりは、彼らが生み出したモノは
曰く、「人が人の血で洗う戦争がようやく変わる」。
曰く、「失う物は政府の金だけだ」、と。
この変革は世界を包み込み、国家間の軍事競争をさらに激化させた。
ある日、一台の戦車が街を滅ぼした。
彼ら自国の、戦車であった。
事実は瞬く間に広がり、世間に激震が走った。
類似する事案が至る所で発生し、デモや糾弾があらゆる国で起き、国が本格的に対策に乗り出し、
しかし、気づいた時には遅かった。
街から一歩、「外」に出ると、機械が地を走り、空を翔け、海で息をしていた。
機械は既に生態系の一部を侵略していた。
「――味方である我々を襲うなんて政府の管理はどうなっている!?」
「――陰謀だ! 軍事産業は我々の血肉を欲する悪魔だった!」
紛争が各地で頻発し、自分の身は自分自身で守らなければならない世の中、懐疑心が渦巻くのは当然のことである。
しかし破壊兵器であるモノがのさばっている以上、生態系が崩壊するのも自明の理であった。
結果、徐々に、だが、深刻な食糧危機に陥り、多くの国家は政治方針を大きく捻じ曲げた。即ち、全ての民を救わない方向へと。
そうして、一部の富裕層のみが幸せそうに大手を振って歩く、地獄のような国家が世界中で作られてしまった。
富裕層ばかりを支援する政府に社会は二分化され、各地で反乱が勃発。然しながら泡沫の夢は虚しくも崩れ、貧困層の人々は「外」で命を繋がざるを得なくなった。
未だ、国家は機械の生産を続けている。
――現在確認されている、これら『
◆◆
目を覚ますと、美しい水面が広がっていた。
透き通り、陽の光を受け、てらてらと輝いている。
また、言葉巧みであるリオノアを以てしても、息を飲まざるを得ないほど、
クサかった。
「ゲホッゴホッオエェ!?」
つい先程まで漂っていた血の香りは消え失せていた。が、その代わりと言って良いのか、鼻を刺すような薬品の匂いと油臭さが辺りに充満していた。
まるで鏡面のように美しい泉に似つかわしくない、工房じみた匂い。
乱立する自然と全くマッチしないそれに、リオノアの脳は本日二回目の
「あ、起きた」
いつの間にか、隣に少女がしゃがみこんでいた。
その双眸から先程感じた鬼気は霧散していた。
「ガキ……?―――――オエェェ」
「?無理しないで」
そう言われ背中をさすられるリオノア。大の大人が少女にさすられる光景である。傍から見ればさぞ面白く映っただろう。しかし当の彼自身からすれば恥以外の何物でもない。
リオノアは疲れを吐き出すようにドカッと座り込んだ。
「はぁァ、何処もかしこも臭え! この森はこんなンばっかか!」
「……ココはわたしの
「エッ!?」
途端、リオノアの顔が青ざめる。タラリと冷や汗を垂らした彼は、にこやかに少女に近づいた。
「あの〜、だな。今のはお前の家を貶した訳じゃなくてな。そのォ……」
「そうなんだ。ここってやっぱり臭いんだね。よかった」
「何も良くねえだろ」
リオノアが思わず突っ込む。少女は辺りをスンスンと嗅いでいた。
「……何やってんだ?」
「臭いを変えてみようと思って。どうしたらいいと思う?」
「……まず自覚する所からだな」
至極真剣な様子である少女を見て、リオノアは拍子抜けしてしまった。これでは警戒していた自分がバカではないか。
「なぁ、ここはドコなんだ?ナイド森林の中なのか?」
「わたしの名前はテタン。アナタの名前は?」
「……オレはリオノアだ。それでここはドコ――――」
「そう。リオノアは強いね。わたしの攻撃が完璧に防がれるなんて初めて」
「……それはどうも。それでここは――」
「気をつけた方が良いよ。最近、妙な臭いがするから」
「人の話を聞いた方が良いとは思わないのか?」
「ん、ヒトなんてドコにいるの?」
その言葉で遂にリオノアの堪忍袋の緒が切れる。既に眉間には筋が浮かんでいた。
「おい、目の前のオレは、人に見えないか?」
「あ、ごめん。リオノアだってヒトだね。次からは気をつける」
「マイペースな野郎だ……」
眉間の皺を抑え、溜め息を吐くリオノア。
「ここはまだ森の中だよ。一緒にいたヒトも、ソコにいる」
そう言って指した先には、同業者の男が雑に木に干されていた。応急処置の甲斐あって、一応生きているようだ。
「それじゃあお前は何なんだ。例の〈血塗れ〉か?」
「〈血塗れ〉? 何それ、美味しそうだね」
「一体どういうこった……」
少女はコテンと首を傾げた。感性はともかく、嘘はついていないようだ。
「言った通り、わたしはテタン。あなたたちにとっては『敵』、かな」
「『敵』? 何言ってんだ?」
「ほら」
「ッ!?」
そう言って、テタンが静かにマフラーを捲し上げた。
その下にあったのは、己と同じ皮膚ではなく、無機質な金属であった。
「――――やっぱり。リオノア達にとっては、わたしもおんなじ、
テタンがほうと息を吐く。
改めてよく見ると、ヒトの形はしているが、テタンの両手足は機械部品や様々なパーツで覆われている。かろうじて、手足の体裁を保っているようだった。
服とマフラーの隙間から見える首もまた金属に浸蝕され、人間のように見えるのは顔のみである。
何よりその眼は、赤い光を湛えていた。
首筋をタラリと汗が垂れる。今すぐ逃げるべきだ、とリオノアの理性は警鐘を鳴らしていた。目の前の少女は、恐ろしい以前に「どうしようもない」モノである、と。
しかしどうしても、目の前の少女は殺戮本能を剝き出しにした、他の有象無象と同じであるようにリオノアには思えなかった。攻撃してきたことを踏まえても。
だからこそ。リオノアは、心の中で一つ、決断を下す。軽率であったと後悔するならば、後ですれば良い。
「どう?今なら逃がしてあげるよ?」
「――――ぜひともお言葉に甘えたいトコではあるがなァ……」
リオノアがニヤリと笑う。懐から一枚のコインを取り出す。
「テタン、オレは賭けが好きでね」
リオノアはそれを弄ぶように横に弾いた。近くの樹木に当たって弾かれ、チリンと音を立て落ちる。
「オレにはテメエが、ただの『躯械』に見えねえ」
そのまま地面に触れると思われたコインは触れる直前、光を放ち爆発した。
そして、幾本かの木がなぎ倒され、爆破地点からもうもうと上がる煙の先に見えたのは、
大量の突き匙からなる、躯械の山であった。
「さっきから臭いがしてたのさァ――――この森特有のプンプンする臭いがな。
お前が人喰いの化物だって言うならコレは何だ?」
リオノアがテタンに向かって問う。
テタンはこちらを振り返り、そのおぞましい身体とは裏腹に、さも嬉しそうな、満足そうな笑みを浮かべていた。
「ふふ、面白いね、リオノアは。冴えない目をしてるのに、鼻は冴えてるね」
「冴えない目で悪かったなァ!」
突っ込むリオノアにテタンは軽く吹き出す。まるで本当の少女のように、身体を揺らしコロコロと笑った。
「ココはわたしの食料庫だよ。全部わたしが狩ってきたんだ……
――リオノアたちが『静かだ』って言ってたのはわたしのせいかな?」
「食料?
「うん。血なんて補給しなくても、
リオノアは驚きを顔に浮かべる。『
つまりは――
――――テタンはぞっとするような笑みで続けた。
「リオノアを殺したい、心の底からあなたを喰いたい、って思ってる心は本物だよ。わたしの、『躯械としての思い』はそう言ってる。空腹の時は特に」
少女が淡々と語る。
「だけどわたしの中には、ヒトを食べたくないって気持ちもあるんだ。
――だって、こんなにも、胸の焦燥感は止まないくせに、わたしはまだヒトを食べずにいられてる。そこに、『わたし自身』の気持ちはあると思うんだ」
「……そりゃあ、本心か?」
「本心だよ。信じられないなら、今ここで殺せばいい」
少女が服をはだけさせる。
その下に存在したのも同然、機械で形作られた身体であった。一部が顔と同じように皮膚のように見えるのも、おぞましい。
そしてその胸を覆うようにして機械が広がり、本来ならば心臓があった位置に「素核」が存在していた。
素核を、リオノアに向けて差し出していた。
「どうぞ。殺して」
テタンが淡々と言った。
リオノアが黙り込む。しかし何を思ったのか、小さく笑った。
「ハハッ……」
「何か可笑しい?」
徐々に、だがはっきりと、リオノアの笑い声が大きくなっていく。
テタンが訝しむようにリオノアを見た、その時。
「ハハハ!! 何を言ってやがる、勿体ねえ!!」
「―――っ!?」
彼は笑った勢いのまま、少女を近くの木に押し付けてしまった。そして、テタンに覆い被さるような体勢となる。
「つまりは、テメエは『躯械だけを殺す躯械』ってことだろ! とんだ好都合じゃねえか! 利用しない手はねぇなァ!」
テタンが押し付けられつつも、リオノアを睨む。その顔には困惑の色が確かに浮かんでいた。
「……あなたこそ、話聞いてたの? 『わたし』はヒトを殺したくないけど、わたしの身体は殺したがってるんだよ? ヒトにとっては
テタンが小さくもはっきりとした声で反論した。しかしながら、彼女の確固たる意思は、自由気ままな強風によって流されてしまう。
「だァから、そうならねえために、オレが、テメエを運用してやる!
いいか、お前は生きるために躯械を殺して、オレに協力する。
オレはテメエがヒトを殺さないように、テメエを制御してやる!」
「………もし、ヒトを殺したら? わたしには、どうすることも……」
テタンの身体が、小さく震えた。
だが、その思慮をブチ壊すようにリオノアは言う。
「はッ、もしテメエがヒトを襲っちまったら、代わりにオレが何でもしてやるよ!『取引』だからなァ」
リオノアが醜悪な顔で笑った。
彼の決断は常に己に向く。即ち、この少女は利用できるかもしれない、と。
「わからず屋……そこまでして何がしたいの?」
「――――もちろん、金儲けのためさァ」
テタンは呆れた。とんだ浅い人物だ。金儲けのためなら、ここまでするのか。
「もし拒否したら、どうするの」
「は、今ここで、殺すしか、無くなるなァ。オレだって殺したくは無いぜ? だが、拒否するなら仕方ねえ―――――
――――だったら早く素核見せろや。ああ残念だなァ、せっかくの
そう言いつつ、リオノアがじろじろとこちらを見る。
もう生きる気力もないが、コイツにだけは殺されたくない、とテタンは思った。
「分かった。癪だけど、あなたの言いなりになってあげる」
ため息とともに、はだけた服を直した。
森が、ざわめいた。
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