一章:合縁奇鳶
ー1:「不幸」
本当に不幸だ。
男、リオノア・ガルテは茂みに潜みながら、ため息をついた。
髪は黒と緑が入り交じり、見る者に思わず圧力を与えてしまいそうな雰囲気を醸している。
鋭利な輪郭と強張った手は、触れる者を傷つけてしまいそうな印象を与えていた。
また、三白眼と尖った犬歯は、彼自身の粗雑さを表していると言っても過言では無いだろう。
長身痩躯でありながら、背には身長と比肩するほど大きい何かを負っていた。
また、足には動きを補助するためであろうか、金属製の装具を履いており、動作を確かめるように彼は点検を始めた所であった。
やがて、点検は終了、木にその背を預けた。そして、彼は思い返すように、舌打ちをした。
彼は『
基本的に彼はそのような仕事を受けて来なかった。が、多額の金を積まれ、懇願されては流石の彼も芯を折った。いい大人に泣きつかれるなど、もう二度と経験したくない。
然しながら現実は非情。
肝心の依頼はその内容すら曖昧なものであった。また、彼にとって久々の仕事であるのに、「相棒」は不在。不幸は続き、結局、独りでナイド森林に潜る羽目になってしまった。
「仕方ねえ、のんびりやるか……」
辺りを見回すと、地面や木々など、所々血痕が付いている。それも、かなり新鮮だ。未だ湿っており、状態も良い。
しかし不思議なことに、辺りにはそれを為した者は見当たらない。まるで、初めからあったように。
リオノアは奥へ進むように歩みを進める。
乱立する木々を抜け、一つ、一つ、遮る倒木を越える度に、血の臭いは濃くなっていく。
「クソ、鼻が曲がりそうだァ……どこから臭ってやがる?」
耐え切れず、鼻を抑える。血の臭いには慣れたつもりだった。だが、清らかな森の匂いを凌駕する臭いは彼の鼻に粘りつく。
さらに歩みを進めると、恐らく兎であったものがそこにあった。その白い毛を埋め尽くすように、溢れんばかりの「赤」が溜まり場を作っていた。
「ひでぇな――っと」
検分していたリオノアは、背後から気配を感じた。
しかしそれは野性的なモノではない。音の出処に近づくと、同業者が二人、座っていた。
彼らはここまで来るのに手間取ったのか、身体に幾らかあの「血」を付けている。
「血溜まりの写真と……『鉄羽』は取ったな。これで
「ああ……ったくあのジジイ共は!
「ハッ、違いないね。俺だって、今にも…吐きそうだ」
彼ら『媒介師』は依頼の話をしているようだった。察するに、同じ〈血塗れ〉の調査と見て間違いない。
「この森ってやっぱり、おかしいぜ」
彼らの一人が言った。手元のナイフを整備しているらしい。
「……今更か? 入った時からずっとおかしいだろ…笑えてくるよ、鼻が壊れたみたいだ」
もう一人が薄く笑いながら、サンプルを検分する。その目は、どこか、虚ろだ。
「いや、そうじゃない。明らかに静かすぎるだろう?
――森に入ってから血塗れの木とか、誰のか知らねえ血溜まりは幾つも見てきた。
けどよ、生物はおろか、『躯械』の音すら聞こえないってのはどういうこった? 〈血塗れ〉は今じゃ媒介師間で有名な話だ。同業者がいてもおかしくねえけどなあ……」
「俺という生命体兼同業者を忘れたか、お前? ここにいるだろ?」
「あ、あぁ……」
自らの体を自慢げに見せつける相方に、男は困惑しながらも頷いていた。
その時、木の下、草をかき分ける音がした。
男達は瞬時に各々の得物を手に取る。緊張の糸が、彼らの間でピンと張られた。
――汗がタラリと垂れたその時、男達の眼前に一匹の生物がひょこっと顔を覗かせた。
白い耳を垂らしたソレは、一般に「兎」と呼ばれる生命体である。
「ほら! 他にもいるだろ?」
「ああ……
――――いや、ちょっと待て。なんで血生臭い俺らに来るんだ?」
瞬間、二つの三叉が彼らを抉った。
一つは喉に、もう一つは腹に刺さり、傷を広げようと獣は暴れる。ポトリと何かが落ちる音がする。
「コイツら、偽装して…!――――ッ!?」
「………」
目の前をよぎった球体を見て、男は絶句した。振り返って相方の状態を確認する。
彼の首から上が、存在していなかった。
抉った三叉の獣は『
意識の外から理外の速度で突き刺すことを得意とし、複数体で行動することが多い。
その目的は、目の前の景色が表わしている。即ち、対象を確実に殺すこと。
既に四体の突き匙が、駆動音を奏でていた。じりじりと距離を詰めてくる。そうして物言わぬ体となった彼を、食い殺さんと三叉が集まってきて………
餌場となる前に、一陣の旋風が吹き抜けた。
「⦅
リオノアの足が振り抜かれる。装具が少し赤く滲み、彼の足に纏った風が直線上にあった死骸諸共、吹き飛ばし、突き匙共は彼に
「おっと、やらかした……
―――まァ、いいか」
その隙を見逃さず、傍に落ちていたナイフを投擲。
――そのナイフには既に、彼の血が付いている。
突き匙の目の前でナイフは爆散。素核諸共、粉々になった。
「なあ、あんた。生きてるか?」
「――ゴフッ……ああ、おかげさまで……」
もう一方の片割れは腹を抉られていたが、生きていた。
「ああぁ、確かにおかしかった……! 躯械の一匹や二匹出てもおかしくなかったのに! もっと早く気づいていれば……!」
「命あっての物種、だなァあんた。生きててよかったじゃねえか」
リオノアが慰めるように肩をたたく。目下、出血中である。
「―――確かにそうだな……すまないがお前さん、助けてはくれないか?」
「え? やだ」
リオノアが清々しいほどキッパリと断った。男が傷も忘れて、キョトンとする。
「え……? お前さん、さっき『生きててよかったな』って……助けてくれるのではないのか!?」
「オレは『タダで助けてもらえる』って思っているような奴がこの世で一番キライだね。助けてほしいなら、見合った態度と対価ってモノがあるだろ?」
「ぐ……」
男が言葉を詰まらせ、苦虫を嚙んだような顔をした。その様子を見てリオノアが笑う。
「何だあんた、〈血塗れ〉の情報がそんなに重要か? それとも、媒介師の誇りが傷ついちまう、ってヤツか! そいつは笑えるぜ」
「わざわざ『協会』が俺達だけに向けて依頼をくれたんだ……
初めてだった……どんな依頼でもやり遂げてみせる、って相棒と誓ったのに……」
「ハッハァ! あんた信じちまったのか! あの『協会』がテメエらだけに出す訳ないだろォ!」
リオノアが腹を抱えて笑う。男は絶望したように項垂れた。
「―――ハッハッハ…興が乗った。助けてやるよ」
「でも、もう……生きたくないんだ…相棒がいないのに、俺が生きてる意味なんて…」
「ハッ、じゃあ一生、心苦しめながら生きろや。人が死んだぐらいで痛めてたらキリがないぜ?」
「~ッ!! お前には俺の感情が分からないだろうな!!」
「あァ、知ったこっちゃねえ」
男が叫ぶが、リオノアは手際良く治療していく。もがき暴れて抵抗する男だが、リオノアはどこ吹く風といったように男の胸倉を押さえつけていた。
「~~ッ!! やめてくれ!!」
「暴れない暴れない」
暫くして、男は疲れ果てたのか、何も話さなくなってしまった。
「―――調査対象は、『躯械』と見て間違いない」
「お、何だァ、話す気になったか?」
男はリオノアの問いに唇を嚙みつつも、淡々と話した。
「対象がもたらした影響は大きい。ナイド森林全域で発生している血塗れの樹木も、原因不明の血溜まりも、この不快な血の臭いも全部、ソイツが元凶だ……」
男は一度そこで言い切り、懐から鋭利な鉄塊を出した。それは薄く、まるで羽のような形状である。
「この羽根から見るに、対象は飛翔型、それも鳥を模していると見て間違いないだろうな……
――――勘違いするな。あくまで治療の礼だ。感謝はする。
だが、誰が何と言おうと、オレはお前が嫌いだ」
「ハッ、それで良いさ」
男の言葉を軽く流し、リオノアはそこで治療を打ち切った。彼は、男を最低限、動ける範囲まで治療したようであった。
息を吐き、肩を回す。男は睨みつつも、森林から出る支度をしていた。その怒りはオレに向けるモノじゃねえ、と心の内で毒づくリオノア。
「じゃあなァ。親愛なる同業者」
「誰が……―――――ッ!」
その時、草むらより再びガサガサと音がなった。発せられる音は一つのみ。おおよそ突き匙の残党といった所か、とリオノアは薄く笑った。
「腹以外の治療費は別途だぜ?」
「……誰がお前の世話になるか。さっさと終わらせるぞ」
そう言って男は再び得物を構えた。嫌いとは言いつつも、どうやら人情厚い男のようだ。
ゆっくりと、しかしはっきりと草むらを分ける音が大きくなり、リオノア達を目指していることが明確になる。
やがて、彼らの目前の樹木付近でピタリと音が止む。得物を握る手にジワリと汗が染み込んだ。
木陰から、少女がひょっこり覗いた。
「……?」
「これ、全部、あなたがやったの?」
身長は低く、「少女」と呼ぶにふさわしい風貌をしている。
顔は美麗。まさに人形のよう。であるが、纏う気配とその真っ赤な双眸は、先程の突き匙と同様、否、上回っている。
そして、指差された先にあったのは、突き匙の残骸。
視覚からの情報と感覚に隔たりが生まれ、リオノアの脳が
「…………??」
「あれ、聞こえてない……?」
「―――! ぁあ、お嬢さん! そうさ、彼で合ってるぜ?」
同業者が反応する。彼の口は正常に回っているが、彼の全身からは脂肝が止まず、流れている。
彼もまた悟っている。目の前の少女は、底知れず危険である、と。
「……で、嬢ちゃん。私に一体何の用で?」
一旦平静を取り戻したリオノアは問いかけた。
「ううん。用というより、
あなたを狩ってみたいかなって」
少女はにこりと微笑んだ。と、同時にその右手は得物を掴んでいる。
その得物の先端は槍のように尖っているが、しかしやはり、大きくしただけの
「……は? ちょ、待った、嬢ちゃん!」
一瞬で少女の気配が膨れ上がる。少女はスパナを構える。
「じゃ、いくね?」
「がァァきんちょぉぉォォ!!!」
瞬間、彼が咄嗟に構えた盾に、彼史上、最大の衝撃が走る。
結果、彼の盾はボコボコに凹み、彼は意識を失った。
彼は後に言う。これほど不幸だった一日はない、と。
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