第3話 便利屋サブロー

車は雨の中、「谷屋商店」の古びた看板が掛かった建物の前に静かに停車した。1階には「テナント募集中」の張り紙が貼られている。カイは車を停め、エンジンを切った。車内に雨音だけが響く中、仁は無言で後部座席のリンに目をやった。


「ここなら安全だ。しばらくここで休もう」


リンは不安げに小さくうなずき、震える手を膝の上で握りしめていた。仁は一瞬視線を外したが、彼女に何を言うべきか少し迷っている様子だった。そんな彼を見たカイが柔らかく声をかけた。


「リン、心配しないで。ここなら安心だから、今夜はゆっくり休めるよ」


カイの優しい口調に、リンは少しだけ安心したようにうなずく。仁はそのやり取りに特に反応せず、車を降りた。


三人は外階段を上り、雨に濡れた階段を一歩一歩踏みしめていく。階段を上がりきると、玄関の隣に古びた「便利屋サブロー」の看板が掛けられているのが見えた。仁とカイが住むこの場所は、彼らの仕事場でもあり、普段から仕事で訪れる依頼者が出入りすることもある。仁はちらりと看板に目をやりつつ、リンに手を差し伸べようとしたが、ぎこちなく手を引っ込めた。


部屋に入ると、必要最低限の家具しかない狭い空間が広がっていた。冷たい空気が漂い、物静かな雰囲気が漂っている。カイは玄関を閉め、辺りを見回しながら肩をすくめた。


「こんなところに女の子を連れ込むのもなぁ…少し考えもんだな。」カイは軽く冗談を交えたが、仁は無言のまま肩をすくめただけだった。


カイはリンの様子を気遣いながら、「何か飲むか?」と柔らかい口調で声をかける。


リンは小さくうなずき、カイが差し出した水を両手でしっかりと握った。その様子を見守っていた仁は、子供とのやり取りにどう対応すればいいのか少し戸惑いながらも、椅子に腰を下ろし、視線をリンに向けた。


「親がいなくなったって、どういうことだ?」仁の問いに、リンは俯いて答えられず、微かに肩を震わせていた。


カイがすぐにフォローに入る。「無理に言わなくていいよ、リン。怖いことがあったんだろ?少しずつ教えてくれればいいから。」


リンは少しだけ表情を和らげ、カイの言葉に支えられながら顔を上げた。


「…笹川凛です、11歳です」小さな声で自己紹介するリンに、カイは微笑んで「笹川凛か、いい名前だな」と優しく応じた後、ふと思いついたように言った。


「そうだ、リン。俺たちの仕事ってのは便利屋だ。簡単に言うと、なんでも屋みたいなもんさ。掃除や修理、それに人助けもやってる。今日みたいなことも、俺たちの仕事の一環みたいなもんだ。」


リンは不安そうな表情を浮かべながらも、カイの軽い説明に少し興味を示した様子でうなずく。仁はそのやり取りに特に反応せず、ただ冷静に話を続けた。


「俺は仁。こっちはカイだ。お前の名前はわかったが、親についてはどうだ?何か手がかりは?」


リンは再び俯き、震えながら答えた。「パパとママは…急にいなくなったの。わからないけど、パパがこれを誰かに届けなきゃって言ってた…」


そう言いながら、リンは肩に掛けていたカエルのポーチから小さなUSBメモリーを取り出した。仁は無言でそれを受け取り、古びたノートパソコンにUSBを差し込む。しかし、パスワードを要求するロック画面が表示されるだけだった。


「ロックがかかってるな…」仁は画面をじっと見つめ、カイが後ろから顔を覗かせた。


「そりゃ簡単には開かないだろうな。何が入ってるか、よほど重要なもんだ。」


仁は画面を閉じ、リンの方に目を向ける。「これは誰に届けるものだ?」


リンは少し躊躇しながら、「…パパが、このUSBを届けなきゃいけないって、届けなきゃいけない人がいるの」と答えた。


「誰に?」と仁は問いかける。


リンはポーチから小さな紙を取り出し、仁に手渡した。仁がそれを広げると、手書きで名前と住所が書かれている。


「パパが…この人を探せって言ったの。」


仁は紙に書かれた情報をじっと見つめ、そこに記された住所と名前を頭に刻み込む。「なるほど…これが手がかりか。」そうつぶやき、慎重にポケットに紙をしまった。


カイは紙を一瞥し、「まあ、この情報だけじゃ少し心もとないが…とりあえずここから始めるしかないか」と言ったが、仁は淡々と答えた。


「今はこれが唯一の手がかりだ。」


仁は立ち上がり、窓の外を見つめながら言った。「まずは、この住所に行くしかない。それが親父さんの残した手がかりなら、何かわかるはずだ。」


カイは少し不安そうに尋ねた。「でも、その住所の場所が本当に安全かどうかわかんねぇだろ?」


仁は一度リンの方に視線を向けてから、カイに向かって答えた。「今は行くしかねぇ。それに、今日のところはここで休むのが一番だ。」


仁はリンに優しい声で言った。「今日はここでゆっくり寝ていいぞ。疲れてるだろ。」


リンは小さくうなずき、少しだけ安心したような表情を浮かべた。カイがソファを指さして「ここ、使えよ」と促し、リンは静かにそこに腰を下ろした。



リンがソファに横になり、静かな呼吸が部屋に響く。彼女の瞼がゆっくりと閉じられ、やがて眠りに落ちたことを確認した仁は、タバコに火をつけ、カイと無言で視線を交わした。


カイは仁の方に顔を向け、軽くため息をつきながら椅子に腰を下ろした。「あの子、結構疲れてるみたいだな。ま、あんな状況だし無理もないけど…」


仁は黙ってタバコの煙を一口吸い、ゆっくりと吐き出した。「ああ、今日はもう休ませてやろう。それが一番だ」


しばらくの沈黙の後、カイが少し考え込むような表情で仁に視線を向けた。「なあ、仁…さっきの奴、なんか見覚えある感じがしないか?前に会ったあの連中と似てるような…」


仁はタバコを片手に、無言のまま窓の外に視線を移した。外の雨音が続く中、仁の顔には少しの緊張が浮かんでいた。


「ああ、俺も思った。あの時会った連中と同じ感じだな。普通の人間じゃないってことだけは確かだ」


カイは頷きながら、軽く苦笑を浮かべた。「あの時の奴らも普通じゃなかったけど、こいつはそれ以上かもな。まさかまたこんなのに出くわすとは思わなかったよ」


仁はタバコの煙を吐き出し、冷静に答えた。「全部わかってるわけじゃねぇが、同じようなやつがまた現れたってことだ。何か繋がりがあるのかもしれねぇな。」


カイは眉をひそめた。「そうだな…。あの時も、結局何者かははっきりしなかったけど、今回も似たようなもんだな」


仁はタバコの火を指先でつぶし、静かに言葉を続けた。「ただわかってるのは、あいつらは危険だってことだけだ。それだけで、十分だろう」


カイは一瞬黙り込んだが、軽く肩をすくめて言った。「まあ、そうだな。あの子を守るってのが今の最優先だな」


仁は無言でカイの言葉に答えず、窓の外を見つめ続けた。雨音が静かに響く中、部屋は再び静寂に包まれた。

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Rain of the Edge〜レイン・オブ・ザ・エッジ〜 オタ・ナオカズ @bariboy

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