第33話 ホワイトアウト
これを読んでいる今の俺は何歳ですか?
これを書いているのは高校二年の夏休みだ。
それで、今の俺にはどれくらいの記憶が残っていますか?
今の俺は、声が思い出せません。幼い頃のハルちゃんの姿も少しだけ曖昧で。
もしかしたら少しずつ記憶が消えているのかもしれないと思って、慌ててこれを書いてる。
記憶を失う理由は、はっきり言って分からない。
ハルちゃんの声を忘れたときは、中学の卒業式の日のことで突然のことのように思えたけど、
もしかすると気付かないうちに少しずつ忘れていたのかもしれない。
そのことでちょっと気になることもあるんだ。
記憶がなくなるというか、何かに上書きされているような感覚を感じたことはないか?
例えば、ハルちゃんの姿を思い出そうとすると別の人の顔や姿を思い出す、
違う人にハルちゃんの姿が重なって見えるとかな。
髪型や横顔の雰囲気が似ているからという他人の空似では、こういう感じにはならないはずだ。
そもそも、そうやってハルちゃんと重なるのは
吉川との距離感が近づくほどに、その頻度が増えてる気がするんだ。
だから、吉川初玖という女の子にはできるだけ近づかないようにしてほしい。
吉川初玖は俺の記憶では、ハルちゃんの代わりに突然現れた女の子だ。
だから、信用しないでほしい。気を許さないでほしい。
最後に確認したいことがある。
スマホのメアドと電話番号は代えていないよな?
ハルちゃんの連絡先を消すなんてことはしていないよな?
今の俺はどうかは分からないけれど、
俺は今もハルちゃんが好きだ。きっとどんなに忘れようとその気持ちは変わらない。
俺が本当に幸せだった時間は、ハルちゃんが隣にいた時間だ。
メアドに込められたハルちゃんの想いを忘れないでくれ。
あの日、ハルちゃんと恋人になった幸せを忘れないでくれ。
俺が忘れてしまったら、ハルちゃんは本当にいなかったことになってしまう。
ハルちゃんを孤独にしないであげてほしい。
これを読んでいるであろう未来の俺。
今のお前の幸せは……大切なものはなんだ?
過去の自分からの手紙を読み終えた瞬間、懐かしい感覚を感じた。
ベッドに誰かが腰かけているような気配。
――ユウくん
そう誰かに呼ばれる感覚。
心の奥がじわりと温かくなり、自然と口元が緩んでしまいそうになっている。
ベッドに目を向けると、最近は全く感じることがなかったハルちゃんの影が視えた気がした。
「ハル……ちゃん?」
無意識にそう口にすると、
――どうかした? ユウくん
そう小首を傾げながら返事をしているような気がした。
しかし、当たり前だけどベッドには誰にもいない。影なんてものも見えない。
全てがまやかしに過ぎないなんてことは分かっている。
あるのはここでそういうことがあったという記憶で、その欠片に触れて一時的に記憶の断片が不完全な状態で再生されただけ。
顔や姿を覚えていれば、そこにいるかのようにまぶたの裏にその姿を見ることができたのかもしれない。
声を覚えていれば、耳の奥に残った声を聞くことができたのだろう。
少しずつハルちゃんのことを想っていた記憶が蘇ってくる。
いつからかハルちゃんのことを誰にも話すことはなくなった。理解されないことが、共感されないことが怖くて、ひどく孤独感を感じてしまうから。
高校三年生の受験が本格し始めたころから、届かないメールを送るという儀式じみたことをすることもなくなった。
そのころには、俺も人が変わったかのようにハルちゃんへの想いや記憶が急速に失われていった時期だったのかもしれない。
吉川と付き合いだしてからは、目の前の幸せに夢中になるあまり、ハルちゃんのことを忘れていった。
名前すらも、手紙を読むまで完全に忘れてしまっていた。
ポケットからスマホを取りだし、連絡帳をスクロールしていく。
弓月悠
その名前をはっきりと認識する。手紙を読む前までの自分なら、目に入っても意識することなく通り過ぎていた。
電話帳は機種変更をしてもそのまま移行していたから、連絡先は消えることがなかった。
メアドは今も使っている昔作ったゲームなどのアカウントに紐づけされていて、変更する手間を惜しんだために、そのまま使い続けていた。
電話番号にいたっては、わざわざ変える理由すらなかっただけだ。
何かのきっかけや気まぐれ、ちょっとしたミスでなくなっても不思議でないものが今もちゃんと残っている。
今にも断ち切れてしまいそうだったハルちゃんに繋がる糸を掴み直すことができた。
引き出しに入っていたスマホを充電しながら、昔送っていたメールを確認することにした。
自分のハルちゃんへの想いに触れるたび、ハルちゃんとの思い出を読むたびに、いつのまにか剥がれ落ちていった記憶や想いの欠片が、ゆっくりと戻ってくる。
そうやって、自分というものを取り戻していく。
そして、心が満たされていく充足感を感じながらも、とてつもない喪失感と孤独感に襲われる。
今まで感じてきた自分の記憶に対する疑念や、感情や感覚に対する違和感の答えを知り、納得と同時に心が軽くなっていく。
弓月悠という女の子にまつわる記憶だから抜け落ちてしまっていて、忘れたタイミングが違うから周囲と記憶の
俺の心がずっと求めていたものは、今も昔も変わっていなかっただけだ。
――お前の幸せは……大切なものはなんだ?
過去の自分からの言葉が胸に突き刺さる。
俺が掴んだと思った吉川との日々は、幸せは、もしかしたら全てがまがい物で、ハルちゃんという犠牲の上に成り立っているものかもしれない。
「どうしたらいいんだよ……」
閉じられていた記憶の扉がわずかに開き、そこから差し込む光で心の中に長く立ち込めていた
どう結論を出しても、誰かが不幸になり傷を負うことになる。
だから、結論を出したくないと無意識に考え、答えに辿り着かないように迷わされているような気持ち悪さ。
今の俺には、どの方向に向かって歩き出せばいいのか、見えなくなっていた――――。
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