第28話 朽ちていく心
初めての彼女と過ごす時間はとても楽しかった。
構内ですれ違うときに、一緒にいる友達に気付かれないように小さく手を振り合った。
講義の空き時間に会ったり、一緒に食堂でお昼を食べたり、藤村の作ってくれた弁当を食べたりした。
後期の授業が始まってからは、同じ講義を並んで受けた。
気が付けば、お互いを名前で呼び合うようにもなった。
大学の外でも、遊びに行ったり、ご飯を食べに行ったり、お互いの家で映画やサッカーの試合を観たりした。
そうしているだけなら、俺と
だけど、藤村には悪いけれど、そうやって恋人としての時間を過ごすにつれ、俺には恋人としてそばにいられないという思いばかりが強くなった。
それは藤村に対して、いまだに恋愛感情を抱けていないということだけじゃなかった。
例えば、恋人として当たり前ともいえる手を繋ぐことが嫌だった。
初めて藤村と手を繋ぎ、自分のものではない温度を感じた瞬間、言葉にはできない違和感を感じた。
最初は気のせいだと思った。いや、思いたかった。
手を繋げないのならと腕を組んでも、腕から感じる藤村の体温や感触に同じような感覚が付きまとった。
藤村と触れるたびに、抱き合うたびに、キスをするたびに、体を重ねるたびに、藤村の温もりや心を感じるたびに、その違和感は強くなっていった。
まるで身体や本能が、この温もりじゃないと拒否反応を起こしているようだった――。
そして、その違和感や拒否反応は、連鎖するかのように別の違和感を連れてくる。
笑い方が違う。
“ユウくん”と呼ぶときのイントネーションが違う。
どれだけ声を聞いても、耳に馴染んでくれない。
ペンの持ち方も、味の好みも、走り方も、靴の履き方も、何もかもが違う――。
そうやって、知らない何かと自然と比べてしまっていた。
その結果、心が、本能が、身体が、求めているモノとは決定的に違っていると結論を出す。
どれだけ温もりを感じても、愛を注がれても藤村から与えられるものでは、決して心は満たされないだろうという確信めいたものを感じる。
パズルに決してハマることがない、形や大きさ、絵柄すら違うピースを強引にはめ込もうとしているような気持ち悪さを感じてしまう。
そういうことが続けば、違和感は嫌悪感や忌避感へと変わっていく。
「悠くん、どうして私といるときにそんな苦しそうな表情をするの?」
「もうダメだね、私たち。このままいても、お互いに幸せにはなれないよ」
「――だから、別れよっか」
藤村が涙をこぼしながら絞り出した別れ話にも、心は動かされなかった。
引き止める気持ちも、藤村の涙をぬぐう資格も、俺にはなかった。
あったのは、藤村に対する申し訳ないという思いと、これでようやく終わるという安堵の気持ちだった。
こうして、藤村との関係は、半年も経たずに終わりを迎えた――。
藤村とは付き合うよりずっと前の、友達ですらない同じサークルに所属する人という関係になった。
気まずさから話す機会も減り、距離も生まれた。
俺と藤村が付き合っていたことはサークル内にも知られていたことだけれど、別れたことも周りから見れば明白だった。
学年が変わる頃に、藤村には新しい恋人ができたようだった。
俺といたときよりも幸せな表情をしているように見えて、強がりでなく心からよかったと思いながら、羨ましいという思いが混じった。
心が満たされたいという欲求が、渇望へと変わった瞬間かもしれなかった。
それから、自分の心を満たしてくれる人を探し始めた。
藤村と別れたことを知って、アプローチしてきたサークルの先輩、講義で近くの席だったことがきっかけで仲良くなった女子、サークルを通じて知り合った他の大学のフットサルサークルの女子、バイトの同僚、バーでその日知り合った女性。
色々な人と付き合った。一晩限りの相手もいた。
そうして、体を重ね、温もりを感じた。
それでも満たされることはなく、嫌悪感を感じるペースだけが早くなっていき、誰とも長く付き合うことはできなかった。
あんなに楽しかったサークルも、居づらさを感じ、さらには女子が気持ち悪い存在に見えてしまい辞めてしまった。
自分を満たしてくれる誰かを求めて、飲み歩く頻度が増えた。
何をしていても、誰といても満たされず、心が潤うこともなく、乾き続けるばかりだった。
学年が上がるにつれ、塞ぎ込む時間や一人でいる時間が増えていった。
それでも、バイトや大学のゼミなど、人の目があるところでは明るく振る舞っていた。
自分というものを完全に見失っていて、大事なものが欠けているという気がしてならなかった。
「俺はどうしたらよかったんだろうな……」
大学進学を機に、俺は地元から離れた。
成人式も同窓会にも出席しなかった。年末年始にもお盆にも、帰省をしなかった。
それほどまでに覚悟を持って、地元から離れて過ごしたのにもかかわらず、何も得られるものがなく、自分の中に何か足らないということが分かっただけだった。
かつての自分ならそれでも心の中にいる
だけど、俺には支えになる想いもメールを送るという選択肢もなかった。
代わりに、気が付けばほんやりと自分の手の平を見つめている。
そこに誰かの温もりが残っている気がするけれど、それが誰のものか分からず、思い出すことも、上書きすることもできなかった。
その温もりの相手を探そうにも、自分を満たしてくれる温もりを与えてくれる人を探そうにも、また嫌悪感と不快感、自己嫌悪の底が見えない沼に飛び込まなければならず、それは同時に誰かを傷つけることにもなる。
そこまでして探す気力も覚悟も、もう残っていなかった。
寄り添ってくれる誰かの温もりがあることだけを感じながら、乾ききった心はひび割れ、ゆっくりと朽ち始めていた――――。
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