第六章 この世界での在り方

第29話 帰ってきた街で

 意を決して、地元から飛び出し、帰省をすることもなく過ごした大学時代。

 その四年間で、俺は強く思い知らされることになった。

 俺の探し求めているものは、外にはなかったということを。

 だから、こうなることが最初から決まっていたかのように、地元に戻ってきて就職をした。


 たった四年という月日の流れで、地元は姿を変えつつあった。

 よく使っていた駅と、駅の周辺の再開発が始まっていたのだ。

 就職活動で戻ってきたときには、駅ビル工事が始まっていて、街の玄関口の変わり果てたに、見覚えのない場所に帰ってきたという感覚に襲われた。

 きっと地元にいれば、そういう変化はゆったりとしたもので、時々でも帰省していれば、その移り変わりに触れることができ、驚くことも疎外感のようなものを感じなくてすんだのかもしれなかった。

 よくみんなで駄弁っていた駅横のファストフード店はなくなり、拡張されたバスローターリーになっていた。

 いつ営業しているのか分からない小さなタバコ屋やスナックの入っていた建物がなくなっていた。他にも、個人経営の小さな喫茶店や牛丼チェーン店もなくなり、メガネの大手チェーン店は場所を変えて営業をしていた。

 慣れ親しんだ場所や景色と一緒に、そこにあった思い出も失われた気がした。

 そのことにどこか寂しさを感じながら、新しくなった場所では弓月ゆみづきはるかの残滓や欠片と言うべき影を感じることがなく、感情が波立つこともないので安ど感も同時に感じていた。

 ただ実家の周りや生まれ育った地域には、ほとんど変わっていないので、いまだにハルちゃんの影が濃く、そこかしこに感じられた。

 そのことに精神は疲弊していき、耐え切れなくなった俺はすぐに一人暮らし始めた。

 社会人として自立するためではなく、逃避をするためだけの一人暮らし――。


「俺は何をしたいんだろうな……」


 そう一人でぼやくことが増えた気がする。

 地元に戻ってきたにも関わらず、地元で仲のよかった友達の健太や拓也たち、高校時代の友達の小野とも遊んだりすることもなかった。

 成人式や同窓会に出席しなかったことや、自分の心を満たしてくれる人を探してすさんでいた時期もあったことで、次第に連絡を取る頻度は減り、疎遠になってしまっていた。

 勝手に距離を置いたというのが、正確かもしれなかった。

 それに、大学時代に連絡を取り続けたいと思えるような友達との出会いもなかった。

 思い返してみれば、誰かを傷つけ続けたという自責の念と、何も残らず過ぎ去っていった時間だった。

 失っていくばかりの日々だったように思えた。


 誰も誰かの代わりにはなれない――。


 そんな当たり前のことに、気付けなくなっていた。

 それなのに、いざ社会に出てみれば、自分の代わりはいくらでもいるという厳しい現実を目の当たりにすることになった。

 結局、俺は特別な何者になることができなかった、ということなのだろう。

 今は新しい環境で、会社での人付き合いも避け、近所付き合いもすることもなく、ただ生きるため、生活するために働く日々を送っていた。



 そんな無味乾燥で、灰色な社会人一年目の冬の終わりごろ。

 仕事から帰るための会社の最寄り駅の構内で、


「羽山?」


 と、誰かに声を掛けられた。

 ここに当たり前にいた高校生までの自分と、今の自分の姿はかなり違っているはずだ。

 過去に引きずられながらも未来を見据えていて、辛いことがあっても楽しいことも多い日々で、背筋を伸ばし、真っ直ぐに前を見ていた高校生までの自分。

 今は、スーツを着て、マスクをして、似合わない眼鏡を掛け、背中を丸めて。他の疲れた顔をしているサラリーマンたちの作る流れに沿って、社会の歯車として自分の意志もないような表情で歩いている。

 そんな別人にしか見えないだろう、過去の自分と今の自分を結び付けられる人がいるとは思えなかった。


「やっぱり羽山だよね?」


 俺としては、人違いだと思って欲しかった。

 大学時代の経験から、誰かと向き合ったり、付き合ったりするということに消極的になっていた。

 それなのに、その声はまた俺の名前を呼んだ。

 気付かないふりをして、無視をしてもよかったけれど、足を止めてしまった。

 きっとその俺の名前を呼び女性の声が、耳に馴染む声が、心の底にまで届いてしまい、懐かしさから泣いてしまいたくなったからかもしれない。

 心がざわついてしまったからかもしれない。

 声がした方に目を向けると、見知った顔の女性が立っていて、ハルちゃんの影が重なって見えた。

 驚きと笑顔の混じる表情で駆け寄ってきて、俺の前で立ち止まった。


「吉川……?」

「うん、久しぶり。それでなんで羽山がここにいるの?」

「そりゃあ、就職でこっちに戻って来たからだけど?」

「だったら、連絡してよ。成人式にも同窓会にも来なかったし、いつものみんなでたまに集まって遊んだりしてるのにも参加しないし、最近は既読すら付けてないみたいだしで、みんな羽山のこと、心配してたんだからね」


 吉川は不満げに口を尖らせながらも、どこか楽しげな口調で話している。

 その僅かな会話で、吉川や健太たち、仲のいいみんなと当たり前にいた当時の空気感に戻されてしまった。


「まじでなんなんだよ、これ」


 嬉しさと困惑が混じったひとり言がこぼれ落ちた。マスクの下では、久しぶりに感じる心からの楽しさや気の置けない友達と再会した嬉しさから、口元が自然に緩んでしまっている。


「えっ!? なんか言った?」

「いや……なにも」

「そう? ねえ、よかったらこれからご飯食べに行こうよ。羽山捕まえたって言えば、みんなすぐに集まってくれると思うんだよね」

「いやいや。ずっと連絡取ってなかったのに、今さらみんなとどんな顔で会えばいいんだよ?」

「そのまんまの顔でいいんじゃない?」


 吉川は悪戯っぽく口にするけど、すぐに表情を崩して、見慣れた笑顔で笑い始めた。

 目を細めて、口元を手で隠しながら控えめに笑う、見慣れた吉川の笑顔――。


「これからみんなで行くのはな……ちょっと気持ちの準備ができてないし、急に集まれってのも、みんなに悪いしな」

「そっか。じゃあ、二人で行く?」


 吉川の言葉に、すぐに反応できなかった。

 心の奥底でから、自分の知らない気持ちが溢れてきた。


 お前がいなければ――。


 そんな声が、自分の中から聞こえた気がした。

 そしてすぐに、その声も思いも自分の中から消えていった。

 同時に、吉川なら心の飢えを潤してくれるかもしれないという直感めいたものを感じた。


「まあ、二人なら……」

「じゃあさ、この駅の近くにご飯が美味しい居酒屋知ってるんだけど、そこでいいかな?」

「いいよ。俺、美味しい店とかに詳しくないし、変にこだわりもないしな」

「なに、羽山? いつからそんなにモテない男みたいなこと言うようになったのさ?」

「うるせえよ」


 吉川と笑い合いながら、さっきまで目指していた改札とは逆方向の、駅の出口へと向かって歩き出した。

 吉川はすぐにでも話し込みたいという気持ちを抑えているのか、俺が知っている吉川の歩く速度より幾分か速かった。

 そんな吉川の姿を斜め後ろから付いていきながら見つめていた。


 そういえば、誰かと食事をするということが随分と久しぶりな気がした。

 チェーンの牛丼屋や定食屋などのカウンター席で、隣に見知らぬ誰かがいるということはある。

 だけど、誰かと一緒にご飯を食べに行ったり、飲みに行くということは大学時代まで遡らないとないように思えた。

 大学時代も最後の方は、誰かを傷つけることを避けるために、自分が傷つく結果になりたくなくて、誰かに期待をするということもしないように、人を遠ざけ孤立するようになっていた。


「羽山、早く!」


 吉川が俺の手を引いて、さらに歩くスピードを上げた。

 誰かの温もりを感じるということに対して、どうしようもない違和感を感じたり、嫌悪感を抱いていた。

 それなのに、不思議と相手が吉川だと、不快感は一切なく、吉川が導く先へと歩みを進めた――――。

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