第26話 踏み出した先にあった世界

 地元から離れ、知り合いが誰もいない場所での新生活が始まった。

 一人暮らしを始めて、どれだけ親に頼っていたか思い知らされた。仕送りをしてもらっているけれど、できるだけ生活費は自分で稼ぐというつもりだったのでバイトを始めた。

 さらに人とできるだけ関わる機会を増やすために、またサッカーを始めた。正確に言えば、フットサルのサークルで、緩い雰囲気でみんなで楽しくがモットーのお遊びサークルに近い集まりだった。

 週に一、二度練習をする日を設けているが、真面目に練習をするというよりは集まって話す口実になっているという感じで、それでもたまに学内外のサークルと練習試合をしたり、一般開催されている大会に参加したりした。

 中学までは真面目にサッカーをしていたので、どこか物足りなさを感じるけれど、それでも久しぶりにボールを蹴って、走り回るのは楽しくて、小学校のころにみんなで休憩時間や放課後にサッカーとも呼べない球蹴りで遊んでいたころの気持ちを思い出せた。

 そう言えば、俺は昔から、運動が好きだった。

 人と話したり、楽しいことを共有して、笑い合う時間が好きだった。

 そういう、かつては当たり前に自覚していたこと、そういうことをしていた当時の原風景と呼べるものをひとつひとつ取り戻していった。

 少し前まではそんなことを思い出したりする暇や余裕はないほどに、世界から消えてしまった弓月ゆみづきはるかという女の子のことを第一に考え、忘れないために自分の全てを注いで、他のことを犠牲にしていたのかもしれない。

 その縛りも、今の俺にはない。

 ハルちゃんのことは、もうほとんど覚えていない。

 大学を機に引っ越してからは、影を感じることもなくなった。

 新しく生まれ変わったかのように新鮮な気持ちで、日々を過ごしていた。


 講義を受けて、大学で知り合った友達とご飯を食べて、キャンパスの外ではバイトをして、たまに遊んだりしてと、充実した毎日だった。

 そのなかで今、一番楽しみなことがサークルかもしれない。

 フットサルを通してコミュニケーションを取り、プレーやコート外での動きを見ていれば、性格や考え方が透けて見えるので、人となりを自然と知ることができる。

 そのうちサークル内でも、とりわけやる気のあるグループの人たちと特に仲良くなり、話したり関わる時間が増えていった。だからとって、熱量が高くないサークルのメンバーと溝があるわけでもない。

 先輩とも同級生とも基本的には仲がよく、色んな話をしたり、聞いたりした。

 楽な講義や面白い講義、受けない方がいいきつい講義などの情報交換、食堂の新メニューの情報とそれを食べたレビュー、大学近くの美味しい店や安くてたくさん食べられる店の情報。それ以外にも、面白い動画や音楽、漫画を教えてもらったり、誰かのバイト先でキャンペーンやサービスが始まったという情報まで色々と耳に入ってくる。

 そのなかで、やる気のあるグループでは、サッカーの話題が比較的多いので、そういう点で居心地の良さがあった。

 一人暮らしをしている誰かの部屋に集まって、サッカーの代表選を観戦した。誰かと一緒にサッカーを見るというのも久しぶりで、ただ純粋に試合を観て楽しんだり、気になるプレーについて意見をぶつけたりもした。

 それ以外にも、先輩に連れられて行ったスポーツバーで、席が隣り合っただけの見知らぬ人たちと盛り上がったり、結果に一喜一憂したりして、まるでスタジアム観戦しているような空気感が楽しかった。


 大学生活は、楽しいことばかりではないけれど、毎日があっという間に過ぎていき、今のところは振り返ればいい思い出しかない。

 だからといって、過去が嫌だったというわけでも、捨て去ったわけでも、一度リセットしたかったわけでもない。

 ずっと仲がいい健太や拓也、それ以外にも横沢や高山、吉川とは今も何かあれば連絡を取り合っている。

 健太は県外の私立大に進学して、教員免許を取るための勉強をしている。部活の顧問でもサッカークラブのコーチでもいいから、サッカーの楽しさを伝えたいという夢を叶えるためだと笑っていた。だから、俺がフットサルを始めたと聞いたときは喜んでいたし、いつかまた一緒にプレーしたいと約束もした。

 拓也はいわゆる難関国立大に進学した。高校の卒業式の日に、ずっと片思いをしていた高山に告白したが、長く友達でいすぎたせいで、好きだけどどういう好きか分からないと返事を保留されたままになっている。今では、講義について行くのが大変だと愚痴をこぼす程度には立ち直って、「俺はまだフラれてないから、チャンスはあるだろ」と前向きな言葉を口にしていた。

 その高山と横沢は家から通える専門学校へと進学したそうで、学校は違えど、頻繁に会って遊んでいるらしい。

 吉川は進路を最後まで悩んでいたが、家から通える国立大に進学することになった。


「幼稚園からずっと一緒だったから、近くに羽山がいないっていうのがどんな感じなのか、なんだか想像できないんだよね。私、羽山がいなくても、上手くやっていけるかな?」


 そうやって少し不安げに笑っていたのが、印象的で今でもよく覚えている。


「それさ、高校進学のときに健太たちがいないという状況で不安だわって感じてたのと一緒じゃない? 結局、吉川は、周りに溶け込んで友達もできて、上手くやって来たんだから、それをまたイチからやればいいだけだし、大丈夫だって」


 そう励ますような言葉を吉川に口にしながら、自分に言い聞かせていたことは今となっては少し懐かしさを感じてしまう。

 そして、吉川とは高校卒業まで仲のいい友達の一人で、クラスメイトという関係は変わらなかった。

 というのも、吉川から告白されるということも、俺から何かを言うこともなかったからだ。

 吉川の気持ちを知っていただけに、何もなかったことに少なからず安堵していた。


 こうして、また仲がよかった人と路が別れていく。

 この別れが永遠じゃないと信じて、また遠い未来でも路が交わり、重ならずとも笑顔で隣を歩けたらいいなと思っている。

 弓月悠という女の子と、いつか路が重なることがあるかもしれない。

 そのときに俺がどうなるかは分からない。ハルちゃんのことを思い出せないままかもしれないし、すべてを思い出し、いなかったことになった世界から、いたことになっている世界に変わるかもしれない。


 ただ、今の俺の隣にいるのは、藤村ふじむら明日香あすかという女の子だった――――。

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