第22話 本当の絶望の始まり
修学旅行も最終日を迎えた。
今日は一日通して自由時間になっており、夕方の飛行機で帰るという予定になっていた。
俺の班は、事前に決めた行きたい場所を見て回りながら、お土産を買うことにしていた。
俺は家族へのお土産に北海道の安くて美味しそうな海産物の詰め合わせを宅配ですでに送っていて、あとは自分用や今は違う学校に通う健太や拓也たちへのお土産を買うだけだった。
そのお土産をどうしようかと吟味しながら頭を悩ませていると、
「ねえ、羽山。羽山も、玲奈たちみんなにお土産買うんだよね?」
いつの間にか隣に立っていた吉川に声を掛けられた。
「そのつもりだよ。あいつら、お土産期待してるからって、わざわざ連絡してきたしな。それにあっちが先に行った修学旅行のお土産も貰ってるし、お返しをちゃんとしないとって思ってたんだよね」
「そうだよね。じゃあ、よかったら、みんなへのお土産一緒に選ぼうよ。何種類かお菓子買って、みんなで分ければいいと思うんだよね」
「分かった」
そうして、吉川と一緒にお土産を見て回ることにした。
今、隣にいるのは吉川だけど、この修学旅行中にずっとしていたように、頭の中ではハルちゃんがいたら、どうしていただろうと思い浮かべる。
ハルちゃんは甘いものが大好きだった。北海道のお土産には、魅力的なお菓子類のお土産が多いので、自分用にたくさん買っていただろうなと思った。
――こんなに種類あると選べないよ。ねえ、ユウくん。こっちを私が買うから、ユウくんはそっちのやつ買って、それで帰ってからシェアしようよ。
そんなことを言い出して、俺と二人で手分けしてできるだけたくさん買って帰ろうと提案してくる。
それを隣にいる俺にため息混じりで、「ハルちゃんさあ、甘いもの食べ過ぎると、太るよ?」とからかわれて、ハルちゃんはムッと不機嫌そうに頬を膨らませる。
――ユウくん、女の子に“太る”は禁句じゃない?
「でも、事実だろ?」
――その分、ご飯控えたり、運動するもん!
「その運動に、なぜか俺も付き合わせれることになるんだろ?」
――えっ? 付き合ってくれないの?
「別にいいけど、それだと俺だけが痩せちゃいそうだよね?」
――そうならないように、ユウくんにもたくさん食べてもらうもんね。
じゃれ合うような掛け合いをして、最後には顔を見合わせて笑い、どれがいいかという話に戻っていく。
そんな光景が、隣に立つハルちゃんの姿が、鮮明に脳裏に思い浮かぶ。
いや、思い出せると言った方が正確かもしれない。
なぜなら中学校の修学旅行で実際にそういうやり取りがあったからだ。
高校生になっても、きっと同じことを繰り返し、前にもこんなことあったよね、と笑い合っていたに違いない。
「ねえ、羽山。羽山は何選んだ?」
吉川の言葉に現実に引き戻される。吉川が持つ買い物かごにはいくつか箱が入っていた。ちらりとしか見ていないが、甘い系のお菓子類ばかりだった。
「生チョコとかベタなところとと、健太と拓也に渡す用のラーメンの詰め合わせかな」
「ラーメン……そういうのもいいね。お父さんが喜ぶかも」
「じゃあ、もう少し見てなよ。俺は選び終わったから、先に会計してくるから」
「分かった。あとでみんなへのお土産分のお金渡すから」
「はいよ」
ご当地ラーメンを吟味し始めた吉川を残し、レジで会計を済ませた。
お土産の入った紙袋を受け取り、振り返った店内にハルちゃんを探してしまう。
ハルちゃんならきっと、レジに行く前に最後にもう一度、お菓子類の置いてあるコーナーに戻って、苦悶の表情を浮かべていたに違いない。
ちょうどいま、吉川がしているように――――。
「あれ? よしか……わ?」
ハルちゃんがしていただろうなと思う行動を、吉川が取ることは今まで何度もあった。
そういうときはハルちゃんの姿が吉川に重なって見えて、ハルちゃんじゃなかったことにショックを受けていた。
それなのに、今は現実の吉川の姿だけがはっきりと見えていた。
それは普通に考えれば当たり前のことで、毎回重なるわけでもないのでいつもは気に留めることもしない。
それなのに、今は胸がざわめいてしまう。
なぜだか目のピントが合っていない気がして、まばたきを何度も繰り返した。
まばたきをするほどに、心の中から何かが零れ落ちていく。
焦燥感に駆られているのに、同時に強烈な不安感に苛まれていて、身動き一つ取ることができない。
心を落ち着かせるために、ハルちゃんの姿をそっと思い浮かべる。
今まで何度もしてきたように、この修学旅行で隣にいる姿をずっと見てきたように――。
そうして、ようやく異変の正体に気付いた。
「ハルちゃん……って、どんな顔をしてた?」
会計をする前までは、あんなに鮮明に姿を、表情を思い浮かべることができていたはずなのに、今はハルちゃんの顔を思い出すことができなくなっていた。
毎日欠かすことなく思い返していたハルちゃんの顔も、好きだったはずの笑顔も、絶対に忘れることがないと、忘れまいと心に刻み込んだはずの最後に見た隣で花火を見上げる横顔さえも。
「嘘……だろ……」
花火の日のハルちゃんは、髪を綺麗にセットしていて、白地に黒の牡丹のような花唐草があしらわれた浴衣を着て、とても大人びていた。
だけど、持っていたおばさんに買ってもらったかごバッグは歳相応にかわいい系で、そのちょっとしたアンバランスさまではっきりと覚えている。
それなのに、ハルちゃんの顔にだけ、
どんな目をしていたか分からない。
どんな風に笑っていたか分からない。どんな風に感情を表情に出していたのか全く覚えていない。
ハルちゃんのことは俺が一番知っているはずで、一番見てきたはずで、顔を見るだけで何が言いたいか分かる気がして、表情のわずかな変化で今どう思っているか分かったはずなのに。
ハルちゃんの顔を覆っていた
気が付いたときには、ハルちゃんの姿は濃い霧の中に消えていた――。
「花火……俺は誰と行ったんだっけ……」
呼吸が浅く速くなっていく。
「忘れたくない……思い出さなきゃ……」
そうやって無理に思い出そうとすればするほど、霧は深く濃くなっていく。
背の高さはどれくらいで、どんな体型をしていたか分からない。
中学校の制服姿も、よく着ていた服も、家族以外には見せなかった部屋着姿も、ついさっきまで覚えていたはずの浴衣の柄さえも、もう思い出せなくなっている。
視界が
自分の中からハルちゃんの存在が零れ落ちていく。
ハルちゃんのことを思い出そうとするたびに、違う記憶が再生される。
中学校の最後の部活の試合を、友達とみんなで応援しに行った。その応援を受けながら、横沢と吉川が点を奪うたびにハイタッチをしている。負けた後に悔しいはずなのに、「サッカー部の応援行くから、私たちの分もがんばってよね」と背中を押された。
吉川とは小学校からずっと同じクラスで、いつからか覚えてないくらい昔から友達の輪の中にいた。
吉川は幼馴染かもしれないけど、住んでる場所は少しだけ離れていて、俺の初恋相手でも、好きな女の子でもなく、当たり前だけど恋人でもない。
体に力が入らなくなり、持っていた紙袋を床に落とし、その場に倒れた。
夜のコンビニまで並んで歩いたのは――月を一緒に見上げたのは、誰だったか。
窓から差し込む月明かりに照らされて笑っていたのは、いったい――。
俺の周りに人が集まってくる。
「お客様、大丈夫ですか?」
ついさっき会計をしてくれた店員の女性の声が聞こえる。
「おい、羽山! どうしたんだ?」「……羽山?」
小野の焦ったような声や、同じ班の女子の信じられないとばかりに名前を小声で呟く声も。
「ねえ、羽山!! 羽山ってば!!」
そのなかでひと際心配そうに声を掛けてくれる女の子の声。ずっと昔から聞いてきたからか、耳に馴染み、すっと届いてくる女子の中では少しだけ低い声。
いつの間にか閉じていた目をゆっくりと開けると、今にも泣き出しそうな女の子の顔があった。
俺の名前を呼ぶたびに、緩く巻かれた綺麗な髪が鎖骨の辺りで揺れる。
「君は……誰……なんだよ?」
それは目の前のよく知っているはずの女の子に言ったのか、それとも違う別の誰かに言ったのか、自分でも分かっていなかった。
呼吸をするのも辛く、ゆっくりと意識が薄れていく。
今、俺に分かるのはひとつだけで、それをどうして分かるのかも分からなかった。
大切な人がいなくなっていく――。
そんな絶望だけを実感しながら、ぷつりと意識が途切れた――――。
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