第21話 混濁していく世界

 吉川よしかわ初玖はつきの気持ちを、不可抗力のような状況で聞き、知ってしまった。

 それを偶然の事故だと割り切っていいのか、それとも何かしらの力――それこそ運命と言うべきものに導かれた必然でそうなったのかは分からない。

 ただどちらにしても、吉川と距離を取るという選択を変えるつもりはない。

 むしろ、そうしなければならないと強く思った。


 ロビーでの例の一件の後、部屋に戻る途中のエレベーターの中で、今回の吉川と俺をくっつけようとしているのは誰なのか、小野を問い詰めた。

 エレベーターという逃げ場もなく、他に人がいない空間で、小野は同じ班の吉川以外の女子二人が首謀者であることを教えてくれた。

 修学旅行の前から、俺と吉川をのぞく班の四人でLINEのグループを作り、そこで相談や打ち合わせをしていたそうだ。

 さらに、修学旅行中も女子たちから指示が出ていたそうだ。小野がコイバナをしたがったのも、その話の流れで、俺に好きな人がいるのかということを確認するというミッションが女子から出ていたからだった。

 エレベーターを降りて、部屋に戻る前に小野にそのグループにメッセージを送ってもらった。


『羽山、好きな人いるらしいけど、吉川さんじゃないっぽい』

『あと、無理に吉川さんとくっつけようとし過ぎたせいで、羽山の不機嫌がやばい』

『なんか羽山が、これが続くなら、個人行動か別の班と合流しようかと思ってる、って言い出してるんだけど』


 小野は俺に頼まれた内容のメッセージを送りながら、


「これ、やめさせるためのただの脅しだよな?」

「いや、ガチだけど。みんなと修学旅行を楽しみたいから我慢してたけど、さすがにね。それに小野が俺の立場だったらどう思うよ?」

「ああ……面倒くさいな。じゃあ、もしこれでやめないようだったら、二人で班抜けて回るか?」

「修学旅行で男二人でとか、むさすぎじゃね? でも、後で笑い話になりそうだし、悪くはないな」

「だな。そんときはラーメン奢ってくれよ? 羽山、バイトしてるから小遣いに余裕あるだろ?」

「それくらいならいいよ」

「約束だかんな」


 小野とそんなやり取りをして笑い合ったが、結果として、二人で班を抜け出すということはせずにすんだ。

 首謀者の女子がさすがにやり過ぎたと思っていたのか、『羽山に抜けられるのはマジで困る』『この計画は中止ね』『あと羽山と吉川には、このことは言わないように』というメッセージが連続で投稿されていた。


「だってさ、羽山」

「これでようやく修学旅行が楽しめるよ。ありがとな、小野」

「いいって。それに羽山に友達やめられたくないし」

「やめないって。てか、そこをまだ気にしてたのかよ。小野のことは高校の友達の中で、一番仲いいと思ってるよ」

「お前、ずるいな。そういうことをさらっと言えるから、お前の周りには人が集まってくるんだろうな」

「思ってることは、それがポジティブなことなら、相手に伝えて損はないだろ?」

「普通はなかなか言えないんだって。だから、羽山は男女問わずモテるんだろうな。まじで納得したわ」


 小野はそう言いなら笑っていた。

 俺も少し前までは、思っていることをなかなか言えなかった。

 ハルちゃんになかなか「好き」という気持ちを伝えることができなかった。

 勇気を振り絞り気持ちを伝えて、ハルちゃんと恋人になった後でも、ハルちゃんに「かわいい」の一言が言えなかった。


 そのことが心残りで、ずっと後悔している――。


 そんな後悔をしないように、俺はできるだけ自分の気持ちは表に出すようにしている。

 もちろん、なかには表に出せない言葉や感情もある。

 ハルちゃんが好きという気持ちや、忘れたくないという強い想い。

 吉川に対する負の感情全般と、距離を置きたいと願っていることもそうだった。



 翌日から、吉川と俺をくっつけようとする露骨な行動は鳴りを潜めた。

 バスの座席が隣なのは今さら変えることはできないが、それ以外では無理に二人にしようだとか、そういうことはされなかった。

 おかげでようやく修学旅行を純粋に楽しむことができるようになった。

 班のみんなと様々な場所を回りながら、そこにハルちゃんの姿を重ねる。

 誰かがふざけたりバカなことを言えば、一緒になって笑い、甘いものに目を輝かせ、美味しそうに食べる姿を思い浮かべる。

 きっとハルちゃんなら、もしハルちゃんがいたら――そんな想像や仮定を積み上げていく。


 そして、何の因果か、それを吉川が実行しているので、自然とハルちゃんの姿が重なっていく。

 笑い方が違う。髪の長さが違う。性格も違う。声も違ったはずだ。

 それなのに、ハルちゃんと俺の関係そのままに幼稚園からずっと一緒で、ハルちゃんと同じように俺のことを好きになった女の子――。

 吉川初玖という存在が、俺とハルちゃんの間に入り込んできていた。




「やっぱり夜の北海道は寒いね」

「うん。手袋やニット帽も持ってこればよかった」

「だねー。にしても男子はすごいね。セーターすら着てないやついたよ」

「本当に?」


 夜の函館山から夜景を見るために駐車場でバスから降りて、展望台に向かっていた。

 前を歩く吉川たち女子は楽しそうで、どこか寒そうで。

 俺はヒートテックとセーター、マフラーで防寒しているけれど、顔や耳が寒さで痛いほどだった。


「あっ……どうしよう?」

「どうしたの、吉川さん?」

「バスにマフラー置いてきちゃって……」

「まじで?」


 吉川たちは来た道を振り返る。自分たちの学校の生徒だけでもそれなりに数が多いのに、さらに他の学校の修学旅行生もいたりと辺りは混みあっていた。


「さすがに取りに戻れそうにないね」

「そうだね。寒いの我慢するしかないか」


 吉川は無理に笑顔を作って、強がってみせる。そんな吉川に少しでも温かくなってもらおうとしているのか、話していた女子の一人が身体を寄せて、腕を組んでいた。

 その光景が、冬の教室で帰り道で、寒さに震えるハルちゃんに同じように身体を寄せている横沢や高山とピッタリと重なって見えた。

 少しだけ照れたように笑うハルちゃんの笑顔が目に映る。

 だから、いつものようにマフラーを外して、ハルちゃんに手渡していた。


「これ使いなよ」


 そう声を掛けて振り返ったハルちゃんは、今日は少し驚いた様な表情をしていた。


「いいの? ありがとう」


 その声で、さっきまでハルちゃんに見えていた存在が吉川に変わる。

 差し出した手から、するりとマフラーが吉川の手に渡り、首に巻かれる。

 普段なら絶対に人に貸すことなんて考えもしない、ハルちゃんに選んでもらった記憶の残っている大切なマフラー。

 俺の気遣いに周囲は色めき立つが、俺は急激に冷静になり、ひどく後悔していた。


 時の流れとともに、吉川にハルちゃんが重なって見えることが多くなっているように思える。

 修学旅行でそれは加速していて、ついには完全に見間違えてしまった。

 ハルちゃんと吉川は、全く似ていない。

 ハルちゃんは綺麗なものを見て感嘆しているとき、目を大きく開いてしっかりと見ようとする。それに比べて、今、隣にいる吉川は目を細めるように見つめている。

 そういう違うところを一つ見つけては、心の中で安堵する。

 それなのに、次の瞬間、煌めくような夜景を見下ろしながら笑みを浮かべている吉川に、あの夏の日、花火を見上げていたハルちゃんの横顔が重なって見えた――。


 そうして、俺はまた一つ絶望を重ね、目の前の世界が濁っていく――――。

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