第20話 知りたくなった想い
ホテルのロビーはとても静かだった。
夜の九時を回り、周りに他の宿泊客の姿もなく、外を走る車の数も少ないせいかも知れない。
そんなロビーの端にあるソファーに座り、小野と話したり、スマホをいじったりしながらだらだらしていた。
「このあたりでいいかな?」
人が近づく気配と共に、話し声が聞こえてきた。
とっさに身体をソファーに深く沈めながら、小野に気付かれないように静かにしようと口元に人差し指を当てて合図を送った。
小野も気配に気づいていて、俺の合図にどうするべきか察したのか、同じように深くソファーに腰かけ、息を押し殺した。
ソファーのすぐ後ろには大きめの観葉植物があるが、完全にこちらを隠してくれるわけじゃない。
だから、せっかく誰かと秘密の会話をするために来ているのであれば、会話が聞こえてしまうのは不可抗力としても、それ以上の邪魔はしたくなかった。
「急に呼び出してごめん」
「ううん、それは別にいいよ。それで私に話って?」
声に緊張感が混じっているようで、それだけで勇気を振り絞って、誘い出したんだろうなということが感じ取れた。
明日以降の自由時間に一緒に回ろうと誘うのか、もしかすると告白なんてこともあるのかもしれない。
今はここから離れたくても動けないので、成り行きにそっと聞き耳を立てることくらいしかできることがない。
「吉川さんとは、二年でクラスが別々になったから、話す機会もずいぶんと少なったよね」
「そうだね。でも、二年になっても昼休みによくこっちのクラスに来て、羽山とか小野くんと話してるよね?」
「まあ、そうなんだけどね」
ふいに自分の名前が出てきて驚いてしまう。それは隣の小野も同じでようで、俺と顔を見合わせる。
そして、名前が出されたからではなく、声で誰が話しているのかも分かってしまった。
呼び出した方の男子は
そして、呼び出されたのは、よりによって
「俺が休憩時間にそっちのクラスに行くのはさ、羽山たちと話すだけが理由じゃないんだ。本当は吉川さんとも話したくて……話せなくても顔だけでも見たくて行ってたんだ」
「そう……だったんだ」
ここまで野田が話せば、どういう話をしたがっているのかは明白だ。野田が寸前で日和らなければ、告白をするつもりなのだろう。
吉川もそれに気付いているのか、反応に困っているような相槌を返している。
会話がうまく続かず、訪れた沈黙に二人の息遣いまで聞こえてきそうで、気まずさや緊張がこちらまで伝わってくる。
そのなかで小野は、隣で音を立てないようにゆっくりと体勢を変えていて、完全な野次馬で観客に成り下がっていた。
俺は多少は驚いていたけれど、基本的には誰が誰とどういう関係になろうと、もしくはなりたいと思っていてもあまり興味がない。
もし告白をしようとしているのが中学までずっと一緒で仲もいい健太や拓也だったり、話をされている側が横沢や高山なら、隣の小野と同じように好奇心から覗き込むという悪趣味なことをしていたかもしれない。
それがハルちゃんだったなら、空気を読まずに飛び出していたに違いない。
だけど、吉川は別だ。吉川とは仲がいいわけでもなく、距離を置きたいと思っている。
だから、このまま野田と上手くいくようなら、俺にとっては都合がいい。
思い返せば、野田は最初から吉川のことを美人だと言っていて、仲良くしたそうだった。俺のことを利用していたのかもしれないが、吉川とくっついてくれるなら、それは利用された甲斐があるというものだ。
「……俺、吉川さんのことが好きなんだ。だから、よかったら俺と付き合ってくれないかな?」
長い沈黙の後に、野田は絞り出すように告白の言葉を口にした。
「ごめんなさい」
吉川は誤魔化すことなく、はっきりと断っていた。
「そっか。もしかして、好きな人いるとか? 例えば、羽山とか」
吉川は何も言葉を発さない。だけど、野田は少し悲しそうな声音で、
「それなら諦めもつくよ。あいつといるときの吉川さんは少し違うからさ。あいつ、本当にいいやつだし、同じ男から見てもかっこいいしな。そんなこと……俺より付き合いの長い吉川さんの方がよく知ってるか」
そう言い、はははっと空笑いをしていた。無理に平静を保とうとしているのは丸わかりで、少しだけかわいそうに思えてくる。
「ちゃんと返事してくれてありがとう。できれば、これからも友達として仲良くしてくれるとありがたいんだけど……虫のいい話だよね?」
「そんなことはないよ。すぐに今まで通りとはいかないかもしれないけど……」
「そうだよね、ありがとう。吉川さんの恋は上手くいくといいね。俺は気持ち的に協力するのは難しいけど、吉川さんが幸せになれるよう陰ながら応援してるよ」
「……うん。ありがとう……」
それから足早に去っていく足音が聞こえ、その少し後にゆっくりとした足取りでもうひとつ足音が遠ざかっていく。
「野田が吉川さんにとは、驚きだったな」
「そうだな」
「で、思わぬ形で当事者になった羽山くん。たまたまとはいえ、吉川さんの気持ちを知ってしまったわけだけど、どうするつもりですかい?」
「小野、その話し方うざいからやめろ」
「悪かったって。でも、まじでどうするんだ?」
「どうもしないよ。だって――」
その言葉の続きは飲み込んだ。
俺にはハルちゃんという好きな人がいて、今はいないけれど恋人だ。
そして、消えてしまったハルちゃんの代わりに現れた吉川のことを、恨めしく思っても好きになることはない。
スマホに目を落とすとロック画面の時計が目に入った。そろそろ消灯の時間で、先生の見回りが来る頃だ。
「だって、なんだよ? 何か言いかけたなら最後まで言えよな。気になるじゃん」
「小野には分からない話だよ。あっ、分かってると思うけど、さっきここで聞いた話は――」
「誰にも言わねえし、言えねえよ。当たり前だろ」
「だよな。じゃあ、そろそろ消灯の時間だし、部屋に戻ろうぜ」
ソファーから立ち上がって、吉川や野田の姿がないことを確認する。
そして、ロビーを横切ってエレベーターホールへと向かった。
俺の後ろを小野が慌てて追いかけてくる。小野はちらちらと俺の顔色を窺っているので、できることなら俺のことを問いただしたいのだろう。
俺が何を言いかけたのか。吉川のことを本当はどう思っているのか。
もし吉川が告白して来たら、どう返事をするつもりなのか。
それ以外にも聞きたいことや話したいことはあるのだろうが、今は踏み込んでこない。
小野はそれなりに空気を読む、お調子者で優しいやつだ。
だから、吉川と俺をくっつけようとする策略に協力していたし、野田の告白のことは誰にも話さないだろう。
野田はしばらくは休憩時間に話しに来たりすることはないかもしれない。
もしかすると、このまま付き合いがなくなるかもしれない。
理由を知らなければ、突然野田が離れていったと思い、もやもやとしていたかもしれないが、今はそっとしておいてあげようと思える。
人間関係はこうやって少しずつ変わっていくのかもしれない。
もちろん変わらないものもある。
例えば、健太や拓也とは学校が違っていても親友同士で、横沢や高山も気の置けない異性の友達だ。
そして、心の中心には今もハルちゃんがいる。
ハルちゃんに会いたいのに会うことができない寂しさや、声が聞きたくとも思い出すことすらできない辛さに比べたら、だいたいどんなことも大したことがないと思える。
それなのに、エレベーターが下りてくるのを待ちながら、俺は悩んでいた。
不可抗力とはいえ、吉川が俺に好意を持っていることを知ってしまった。
それが、今までのどんなに距離を取ろうとしてもその距離を埋めてくる吉川の行動の理由で、俺の前でだけ言動や表情が変わる理由でもある。
気持ちを知ったからと言って、俺が吉川を遠ざけたいと思う気持ちが変わるわけでも、心が動かされるわけでもない。
俺の中にある恋愛感情はハルちゃんに向けられていて、そこには誰も踏み入ることも、歪めることもできない。
なんたって、ハルちゃんがいなくなっても好きという気持ちは消えなかったのだから。
それなのに、吉川のことを強引な手法を使っても突き放すということができないのはなぜだろうか。
記憶になくとも付き合いの長さが体や心に染み付いているから。
同じ仲のいい友達のグループにいて、その友達の手前、ないがしろにすることもできないから。
そもそもそういうことをする非情さを、俺が持ち合わせていないから。
ひねり出そうと思えば、理由はいくつも考えられる。
だけど、どれも間違っていないのに、しっくりくるものではなかった。
吉川に対してだけ、言葉にできない何かが俺の中にあるのかもしれない――。
修学旅行は、今日で折り返しだ。
得体のしれない気持ちを抱えたまま、俺のことを好きだという吉川の隣に明日からもいなければならないことは、大したことないとは思えないことだった――――。
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