第18話 かつて望んだ未来と現実の乖離

 高校二年生になり、クラス替えもあった。

 そこで吉川よしかわ初玖はつきとまた同じクラスになった。


「羽山、また同じクラスだね。三年生はクラス替えないみたいだし、これで高校でも三年間同じクラスになったね」


 始業式が始まる前の教室で、吉川は落ち着いた口調で話しかけて来た。

 きっと周りから見れば、普通の友達同士の会話に聞こえたことだろう。

 しかし、俺にしてみれば望んでいないことで、そのことを表情に出さないように苦慮していた。

 そして、吉川のことを知ってる人間から見れば、口元がわずかに緩んでいたり、目を細めていることから、嬉しいのか喜んでいるのかまでは分からずとも、機嫌がいいことはすぐに分かる。

 そのことに気付けるのは吉川との付き合いも長くなったせいか、それとも俺が知らない吉川との幼い頃からの積み重ねの記憶が根付いているからかもしれない。

 吉川は去年から一緒の仲よくしている女子に呼ばれ、「じゃあ、今年もまたよろしくね」と笑顔を残して離れていった。

 吉川は俺の気持ちを知らないので、当たり前のように踏み入ってくる。

 俺がバイトをして、吉川とは違う塾に通い、距離を取ろうとしているにもかかわらず、空いた距離をものともせず、むしろ離れた分を埋めるかのように近づいてくる。

 登下校で、同じ教室内で、廊下で――。


「おはよう。今日、提出の課題多くない? おかげでちょっと寝不足なんだよね」

「ねえ、さっきの授業のノート見せて? ちょっとノート取りきれないところあってさ」

「羽山、体育のバレーですっごい目立ってたね。さっすが元サッカー部」

「よかったら、今日一緒に帰ろうよ」


 毎日飽きもせず、吉川は俺に話しかけてくる。

 他のクラスメイトが周りにいなければ、横沢や高山にしか見せていなかった様々な表情や感情も俺に向けてくる。

 普段は真面目で落ち着いた印象を与えている吉川が、気怠そうな表情を浮かべ、愚痴を口にする。

 気が回り、優しいので周りから頼られることばかりの吉川が、俺には遠慮なく頼ってくる。

 からかわれたり、いじられたりする役回りになることが多い吉川は、俺にはいたずらっ子のような言動をみせる。

 美人で注目を浴びがちだけど、本人は恥ずかしがり屋であまり目立たないように行動しているのに、誰かに聞かれたら驚かれるような発言を時々小声でしてくる。


 吉川にとっては、この高校で俺だけが付き合いの長い仲のいい友達で、本当の意味で気を許せる相手なのかもしれない。

 そういう気持ちが透けて見え、同じ境遇ゆえに共感することもできるので、突き放すこともできない。

 それでも、もし違うクラスになっていたら、自然と距離を取ることもできたかもしれない。

 しかし、その場合も登下校や廊下で同じことをし、教科書などの貸し借りをする相手として、別のクラスの俺のところにやって来る、なんて状況になっていたかもしれない。

 そうなっていれば、同じクラスの今よりも、多くの人間に吉川との仲を誤解させることになっていたかもしれない。

 そして、いつかのように吉川に好意を持っていると誤解されていたように、今度は関係性すらも邪推され、その間違った認識で噂が広まり、事実として固定化されていたということもあったかもしれない。

 それこそ、中学に入学したばかりのころに俺とハルちゃんがされたように。

 今なら、相手がハルちゃんだったなら、胸を張って、喜んで肯定したいたに違いない。

 そもそも恋人同士という関係を隠すこともなく、見せつけるくらいに堂々と仲良くしていたことだろう。


 行き場のないやりきれない思いを抱えたまま、高校二年生という時間を過ごしていた。

 そうして、また今年も多くの行事を吉川と同じクラスで経験することになった。

 体育祭では、今年もリレーに選ばれた。ハルちゃんの声は相変わらず聞こえないのに、吉川の応援する声はクラスメイトの中に混じって聞こえてきた。

 定期試験では塾に通っている成果もでて、成績は上向きだった。

 夏休みには、部活でレギュラーになった健太の応援にいつもの仲のいいメンバーで行った。

 花火の日には、今年こそはと健太たちに誘われたけれど、今年も積極的にバイトのシフトを入れて、それを理由に断った。


 そして、秋の暮れには修学旅行という大きな行事があった。

 旅行先は北海道で、個人的にも初めて行く場所だった。そもそも飛行機に乗ること自体も、初めての経験だった。

 今まで旅行と言えば、小学校の修学旅行は広島で、中学校の修学旅行は京都を中心とした関西圏で、移動はどちらも新幹線だった。

 家族と行く旅行は、基本はハルちゃんの家族と合同で、車で行くものというイメージが強かった。旅行先は、温泉やキャンプ場などがメインで、その周りにある観光地や、牧場のような自然豊かな場所に寄るという感じだった。

 子供の視点からすれば、刺激が足らないと思うこともあったけど、隣にはいつもハルちゃんがいて楽しくないわけがなく、旅先では普段の生活では経験できないことも多く、さらにはご飯も美味しくて、終わってみればいつも楽しかった思い出と満足感に満ちていて、またすぐにでも行きたくなった。


 俺は高校の修学旅行には、今は思い出と心の中にしかいないハルちゃんも連れていくことにした――。

 それは、もしハルちゃんがいたらという想像の延長で、惨めな妄想でしかない。

 そんな現実逃避のようなことをしたくなったのも、ハルちゃんが恋しかっただけではない。

 修学旅行の行動班で、吉川と同じ班になったというのも大きな理由の一つだった。

 女子三人、男子三人というグループで、吉川は気付いているかは分からないけれど、明らかに俺と吉川をどうにかしようという意図があるように思えた。

 周りに何をされても心を揺さぶられることはないと断言できる。

 だけど、せっかくの旅行の楽しい雰囲気を壊さないようにだけ気を付けながら、現実にはいないハルちゃんのことを思い浮かべ、心の平穏を保ちたかった。

 ハルちゃんにとって、寒くなり始めた時期に北海道に行くというのはきっとある種の拷問だったかもしれない。

 ハルちゃんは寒いのが苦手で、さらには高所恐怖症だ。

 北海道に着く前から厚着をして、暖かい飛行機の機内では暑いと文句の一つでも言っていたかもしれない。

 ハルちゃんも飛行機に乗った経験は俺と同じでないはずで、離着陸の振動に顔を強張らせ、シートベルトを外してよくなっても、不安でつけたままにしていたかもしれない。

 そんな怖がっている姿は容易に想像できて、もし座席が隣なら、手を握って離してくれなかっただろうなと思った。

 ただ現実では、隣に座っているのは吉川だった。手すりを強くギュッと握りしめていて、その表情には余裕がない。


「もしかして、吉川って高所恐怖症?」

「う、うん。高いところもだけど、地に足が付いてない感じが苦手で」


 吉川は俺に助けを求めるような不安に満ちた目でこっちを見てくる。

 ハルちゃんがそういう目や表情をしたのなら、「じゃあ、手でも繋ぐ?」と気楽に言えたのだろうが、吉川にはそんなことをいう関係性も義理もない。


「何かで見たけど、飛行機は最も安全な乗り物って言われてるくらいだし、大丈夫じゃない」


 できるのは、そんな誰にでも言うような気休めを言うくらいだった。

 それからすぐに飛行機は動き始めた。

 ブレザーが引っ張られるような感覚がして目を落とせば、吉川が俺のブレザーの肘の辺りを摘まんでいた。

 きっと無意識にやっていることなのだろうと、俺は気付いていない振りをすることにした。


 修学旅行は始まったばかりだ。

 吉川が同じ班という以外は楽しみなことが多いので、隣に座っているのがハルちゃんだったらと思いながら、座席に深く身体を沈ませた――。

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