第14話 君がいなかったという裏付け
ハルちゃんの声を思い出せなくなり、そのことに深い絶望を感じ、立ちすくんでしまった。
「悠くん? こんなところでどうしたんだい?」
ふいに名前を呼ばれ、ショックで止まっていた時間が動き出す。
声を掛けてくれたのはハルちゃんの父親で、スーツを着ているところを見るとこれから仕事に行くのだろう。
おじさんの表情からは、本気で心配してくれているているという切迫感があった。何か言わないと、と頭では分かっているのに言葉が何も出てこず、ぼんやりとおじさんの顔を眺めることしかできなかった。
「悠くん、顔が真っ白じゃないか。家まで送ろうか?」
「だ、大丈夫です」
慌てて無理に作り笑いを浮かべる。
そして、すぐに学校に行かなければならないことを思い出した。
スマホで時間を確認してみれば、ハルちゃんの家の近くで十分以上呆けていたようで、時間の感覚のなさに驚きを隠せない。
早足か走るなりしないと遅刻しそうで、目の前に迫る現実的な危機と焦りから、半ば強制的に正気に戻された。
「今日、卒業式なんです。まだ急げば間に合いそうなんで、失礼します」
話を切り上げ、駆けだそうとした瞬間におじさんに肩を掴まれた。
「体調悪そうな悠くんをこのまま行かせられないよ。僕もこれから出勤だから、学校の前まで車で送ってあげるよ。卒業式の日に走って、体調が悪化して、たどり着けなかったってのも困るだろうし、汗だくになりたくないだろう?」
「そう……ですね」
「それに、ここで放っておくなんてこと、僕にできると思うかい?」
おじさんは俺の肩をポンと叩き、俺を安心させるように優しく微笑むような笑顔を浮かべた。
おじさんはハルちゃんがいたころと変わらず、困っていると実の子供にするように当たり前に手を差し伸べてくれる。
そういう優しさは子供のころから触れてきて、よく知っているものだった。
だからこそ、少しだけ胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「うん。それじゃあ、行こうか」
近くの駐車場に止めてあるおじさんのミニバンに乗り、学校までの道のりを走り出した。
ハルちゃんがいない世界ではどうかは分からないが、おじさんの車には数えきれないほど何度も乗ったことがある。
二家族合同でのキャンプや週末に突発で行ったドライブや天体観測、チケットが手に入ったからとスタジアムにサッカーを見に行ったり、それ以外にも俺だけがハルちゃんの家族の買い物や外食に連れ出された、なんてこともあった。
翔は赤ちゃんだったころやチャイルドシートに座っていたころの名残で、二列目のキャプテンシートの一つが翔の定位置になっていた。二列目のもう一つの席は翔が赤ちゃんの時はおばさんが座ったり、おむつなどが入った大きな鞄など荷物を置いたりすることが多かったので、俺とハルちゃんは自然と三列目のシートに隣り合って座っていた。
ある日、大きくなった翔が「姉ちゃんばっか、ユウ兄ちゃんの隣に座ってずるい」と不平を言うので、席に余裕があるのに関わらず、三列目のシートに俺を真ん中に三人で座るようになり、狭い思いをするようになったのは、今では微笑ましく懐かしい思い出だ。
そして、今は乗り慣れない助手席に座り、おじさんの運転する車に揺られている。
おじさんのおかげで、遅刻ギリギリどころか余裕をもって学校に辿り着くことができた。
お礼を言うと、「僕と悠くんの仲じゃないか。気にしなくていいよ」と笑っていて、別れ際に「悠くん、卒業おめでとう」と誰よりも先にお祝いの言葉を掛けてもらった。
学校に着いてからは、ゆっくりと落ち着く暇がなかった。
教室に入るやいなや、健太や横沢たちいつもの仲のいいグループに呼ばれ、スマホで写真を撮り始めた。クラスメイトや別のクラスの友達、同じサッカー部だった同級生とも写真を撮ったり、式典後に卒業アルバムに寄せ書きをし合おうと約束をしたりした。
卒業式はつつがなく終わり、戻った教室で先生とも写真を撮ってもらった。
貰ったばかりの卒業アルバムの白紙のページは真っ黒になり、友達たちの白紙を文字で黒くしていった。
先生にそろそろ帰れと追い出されるように送り出され、いつもの仲のいいメンバーで中学最後の帰り道を話しながら、いつもよりゆっくりとしたペースで歩いた。
中学校の三年間はあっという間だった。
横沢と健太とは三年間同じクラスで毎年「また同じクラスかよ」って笑ったこと、修学旅行で行った奈良公園で拓也がなぜか鹿に突き飛ばされていたこと、文化祭のステージでこのメンバーでダンスをしたこと。
何回もこうやって歩いてコンビニで買い食いをしたり、自販機で買った飲み物を手にどこかでただ駄弁ったり、そのまま誰かの家に遊びに行ったり――。
特別な日も、何の変哲もない日々の中にも、思い出が溢れていた。
「じゃあ、一回解散して、夕方の五時くらいに駅に集合だからね」
帰り道が分かれる場所で立ち止まり、横沢がこのあとの打ち上げの待ち合わせの確認をする。みんな同時に頷いて、「じゃあ、またあとで」と手を振って、バラバラになった。
いつもならここから健太と吉川と一緒だが、今日は一人になりたかった。
「じゃあ、俺は一人で少し寄りたいところあるから」
そう言い、二人とも手を振って別れた。
きっと人生もこうやって少しずつ違う路に進んでいくのだろう。
夏のあの日にハルちゃんがいなくなり、吉川が加わった。この先、俺だけがいつもの仲のいいメンバーの中で別の高校に通うことになる。厳密に言えば、吉川も同じだけれど、俺にとっては半年ほどの付き合いでしかなく、高校でも一緒に行動するかもしれないが、きっと新しい環境で知り合った友達を優先することになるだろう。
それに表面上はどんなに親しくしていても、
お前さえいなければ、そこにハルちゃんがいたかもしれないのに――。
という、どす黒い感情が心の奥底にある。それを表に出さないために、自然と距離を取るようにしていた。
ひとりになって向かったのは、ハルちゃんと花火の日に一緒に来た公園だった。
平日の日中という時間帯のせいか、人影も少なく静かな公園内の遊歩道を歩き、最奥とも言える場所にあるあの穴場にやって来た。
そこで鞄の中から卒業アルバムを取り出して、ペラペラとページをめくっていく。
ハルちゃんとも俺は三年間同じクラスだった。ハルちゃんとは、そのことでよかったと安堵しあった。
個人写真のページで手を止める。いつもの仲のいい友達、見慣れたクラスメイトの顔が並ぶ中にハルちゃんの写真がない。
そもそも個人写真やクラスの集合写真を撮ったのはハルちゃんがいなくなった後のことなので、当然というべき結果だ。
しかし、ハルちゃんがたしかにいたはずの春先にあった体育祭の写真の中にも、一学期の終わりごろに撮った部活ごとの集合写真にも写ってはいない。
ハルちゃんがいるはずの場所に、いるはずだった場所に、ハルちゃんがいない。
それなのに、ハルちゃんがいたはずの場所に、
ハルちゃんがいなかったという証明にもなりえる写真の数々に目を背けたくなり、卒業アルバムをそっと閉じた。
そして、目を閉じて、記憶の中に、まぶたの裏に焼き付いているハルちゃんの姿を思い浮かべ、想いを馳せ、そのまま思い出の世界に浸る。
しかし、思い出の中の世界は、とても静かだった――。
聞こえてくるのは、肌寒い風が吹き抜けて樹の葉を揺らす音、遠くを走る車の音、公園のすぐ近くを流れる川の水音、その川沿いの遊歩道を歩く細かい砂利を踏む靴音――。
世界はこんなにも多様な音に溢れているのに、ハルちゃんの声だけ聞こえてこない。
幾度となく名前を呼んでくれた声も、あんなにも幸せを感じていた神社での告白の返事も、花火が上がるのを待っている間に今いるこの場所でした会話も、ハルちゃんから発せられる音だけが思い出せない。
「こんなことって、あるのかよ――」
耐えられなくなって目を開け、制服のポケットからスマホを取りだし、いつものように連絡帳に登録し直した
今の俺の支えはこれだけと言っても過言ではなかった。
だから、このメアドに込められたハルちゃんの“想い”を教えてもらった会話を、また思い出すことにした――。
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