第13話 卒業式の日に始まる絶望

 受験も無事終わり、俺もみんなも無事に志望校に合格した。

 その結果、俺だけがいつもの仲のいいグループの中で進路が別になることになった。

 健太と横沢は家から一番近いからという理由で地元の公立高校を選び、高山は横沢や他の仲のいい友達が行くから、拓也は高山がいるからという理由で同じく地元の高校を選んだ。

 拓也は俺と健太との三人で通話を繋いで受験勉強をしていた休憩時間に、高山が好きだということをカミングアウトした。

 俺と健太からすれば、拓也が高山のことを意識しているのは気付いていた。高山には特に優しいし、中学校でソフトテニス部に入ったのもそういうことなんだろうと察していたので、カミングアウトに驚くことはなかった。

 どちらかというと、拓也が元は俺と同じ高校を受験する予定だったのに、わざわざ親と先生を説得し、ランクを下げてまで高山と同じ高校に進むことを選んだことのほうに驚いた。

 拓也の恋の行方はどうなるか分からないが、俺と健太は応援すると約束した。

 そして、何の縁か因果か、ハルちゃんと入れ替わるように現れた吉川よしかわ初玖はつきは俺と同じ高校に行くことが決まった。

 それを偶然と片付けていいのか、何かしらの要因で決まっていたことなのかは分からない。


 ハルちゃんがいない生活も半年が経ち、いないことに対する絶望を感じるが、そのことに対する痛みは最初の頃に比べれば幾分か和らいだものになった。

 ただ痛みが減るということが、いいことなのかは分からない。

 怪我をして痛みに慣れて、感覚が鈍化していくのと同じならば問題はない。

 だけど、怪我が治っていき、傷があったことも痛かったことも忘れたからというのなら、それは話が違う。

 ハルちゃんを忘れていくことから生じる緩和なら、痛いままでいいと思っている。

 そう思ってはいても、日々の生活で記憶は新しく増え続けていく。そして、昔の記憶が薄れていくようにハルちゃんの記憶が押し出されているのかもしれないと思うと、焦りは大きくなるばかりで、忘れるということは自分のハルちゃんに対する気持ちが弱くなったせいではないかと自己嫌悪してしまう。

 受験が終わり、特に何かするわけでもないモラトリアム期間に入った。

 いろいろと考えることができるくらいに心と時間に余裕が生まれたのはいいことだが、負の感情に心が満ちている状態では、こんな風に自然と悪い方向へと思考が流れていき、そのことに嫌悪し、また負の感情を溜めるというスパイラルにはまりつつあった。

 それでも高校に通いだせば、目の前のことに忙殺され、余計なことを考えなくなり、日々の生活に追われることになるのかもしれない。


 そうして迎えた、卒業式当日――。

 スマホのアラームでいつもように目を覚ました。

 今日もまだハルちゃんのことを覚えている。

 そして、また今日もハルちゃんがいない一日が始まる――。

 ゆっくりと身体を起こすと、耳鳴りがした。甲高い音が耳の奥に響き、反射的に手で耳を覆った。

 しかし、外から聞こえてくる音ではないので無意味で、頭が割れるのではと思うほどの痛みを感じ、それが一分以上も続いた。

 ゆっくりと音が小さくなっていき、それに伴い頭痛も和らぎ、最後には最初から何もなかったかのように音も痛みも消えた。

 耳鳴りが収まったことに安堵し、耳を覆っていた手を下ろすと、不思議な感覚に襲われる。


「……あれ? 音が……」


 雪がしんしんと降り続いているときのような静けさに包まれていた。

 まるで音がなくなってしまったのではないかと錯覚してしまうほどに、張りつめたような無音。

 その中で自分の息を吐く音が聞こえる。布団から抜け出す衣擦れの音に、素足で床を歩く足音。窓を開ける音の先に、いつもの朝の音が聞こえだす。

 家のすぐ前の道路を走り抜けていく車の音、スズメやカラスなどの鳥の鳴き声。

 春らしさの欠片もない肌寒い風が頬を撫で、慌てて窓を閉めた。

 そこに今度は家の中から、廊下を歩く足音が近づいて来て、部屋の前で止まり、ノックなしで母さんが部屋に入ってきた。


「なんだちゃんと起きてるじゃない。早くご飯食べて、学校に行く用意しなさい。卒業式の日に遅刻するつもり?」


 母さんに急かされ、朝ご飯を食べ、身支度を整える。

 今日で最後になる中学校の制服を着て、自分ひとりで買ったことになっている去年の冬にハルちゃんに選んでもらったマフラーを首に巻いた。

 いつもと変わらない時間に家を出て、中学校へ向かって最後の登校を始める。

 今日もハルちゃんの家の前を通るが、待ってくれている人影はない。

 ハルちゃんがいたころ、今日みたいな寒い日はハルちゃんは家の中で待っていた。

 インターフォンを鳴らし、ハルちゃんは玄関にいればすぐに出てくるし、寒いのが苦手だからギリギリまでこたつで粘っていれば慌てて出てくる。俺が玄関に近づく足音や気配で、インターフォンを鳴らす前に扉を開けて驚かしてくるなんてこともあった。

 そして、いつでも変わらず、ハルちゃんは、


 ――おはよう、ユウくん


 と、俺に微笑みながら朝の挨拶をしてくれた。

 その顔を見るのが好きだった。その挨拶を聞くのが好きだった。

 そんなかつては当たり前で気付くことすらできずにいた幸せだった日々を、毎朝ハルちゃんの家の前を通るたびに思い出していた。

 しかし、今日はいつもと違っていて、思わず足を止めてしまった。


「声が……ハルちゃんの声が……」


 ハルちゃんにどんな表情で何を言われたのかは鮮明に覚えているのに、どんな声をしていたのか思い出せなくなっていた。

 いつでもどんな場所でも、ハルちゃんの声は聞き分けることができたはずなのに。

 ハルちゃんの両親よりもきっと多くの言葉を交わし、一番ハルちゃんの声を聞いてきたはずなのに。

 今、自分の身に起きていることが信じられなくて、一時的なものだと思いたくて、記憶の中のハルちゃんの声を再生しようと試みる。

 だけど、どんな声で俺の名前を呼んでくれていたのか分からない。

 笑っている顔は思い出せるのに、どんな笑い声をしていたのか分からない。


「なんで……思い出せないんだ。昨日まではたしかに覚えていたはずなのに……」


 俺の忘れたくないという気持ちとは無関係に、ハルちゃんの声も世界から消えてしまった――――。

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