第三章 世界から音が消えて
第12話 変わらない日常の中で
幼馴染で恋人だったハルちゃん――
どんなに悲嘆にくれようとも、ハルちゃんといた時間に戻りたいと望んでも、時間は戻ることは決してなく無情に刻々と流れ続ける。
そんな世界の摂理の中で、否が応でもハルちゃんがいない日々を送らなければならなく、それはハルちゃんのことを唯一覚えている俺にとっては、苦悩に満ちていた。
それでも立ち止まることも、ゆっくり振り返ることもできなかったのは、目の前に高校受験という大きな岐路があったからだ。
仲のいい友達との間にも受験や勉強の話題が増え、遊ぶ頻度は目に見えて減っていった。
学校の教室の中にも、受験本番が迫ってくる焦燥感や、将来に対する漠然とした不安感が満ちているようで、その中では俺の苦悩する姿は目立つことはなかった。
そして、勉強さえしていれば、周囲から浮くこともなく、その間だけはハルちゃんのことを考える余裕もないからか、苦しみから解放される気がした。
だけど、あの日以前に俺が望んだ未来は、同じ志望校のハルちゃんと支え合いながら勉強をし、一緒に受験を乗り越えるというものだった。
それなのに、本当にハルちゃんがいないこと以外は、何も変わらない日常が続いていた。
ハルちゃんがいれば、一緒に勉強をして、休憩にただのんびりしたり、外の空気を吸うために散歩したりと、定期試験の勉強をしていたときと同じような感じでがんばっていたに違いない。
ハルちゃんのいない世界では、健太や拓也をはじめとした友達と息抜きにオンラインで一緒にゲームをして、身体を動かしたいと思えば、健太や翔を誘い、ランニングやサッカーをしたりした。
そして、気分転換を終えると、また勉強をという繰り返しだった。
そんな生活の中でも、俺の心の真ん中にはずっとハルちゃんがいた。
次第に寒くなっていくなかでコンビニに立ち寄り、肉まんなどが入ってるケースの中が充実しているのを見かけると、よくハルちゃんと別々の商品を買ってシェアしたなと懐かしくなり、家にこたつが出ると昔からそうだったからという理由だけで並んで座っていたなと思い出して、こたつが広く感じられた。
寝る前には、ハルちゃんの声を、顔を、感じた温もりを、一緒に過ごした思い出を、最後に見た花火に照らされた横顔を思い返しながら眠りにつく。
そうすれば夢の中だけでもハルちゃんに会える気がした。
朝、目が覚めて、ハルちゃんのことをまだ覚えていることに安堵し、ハルちゃんがいない世界に絶望する。
それが、今の俺の日常だった――。
年が明け、いつもの友達グループで初詣に行き、合格祈願をした。
そこにはハルちゃんの代わりに現れた
俺の感覚では夏休み以降の付き合いだが、吉川やみんなが話している内容から、昔からずっと仲がいいことがうかがえた。
横沢と高山はハルちゃんと同じソフトテニス部で、横沢はハルちゃんとペアを組んでいた。ハルちゃんのいないこの世界では、横沢のペアの相手は吉川だった。
夏の最後の大会に優勝候補の一角に三回戦で当たらなければもっと勝てたはずで、俺や健太が応援してくれたのにいいところ見せられなかったという横沢の話も、その横沢たちの試合の裏で同じくソフトテニス部の拓也が誰にも応援されずにひっそりと負けて文句を言っていたという笑い話も、その応援のお返しにみんなでサッカー部の応援に来て、準決勝まで勝てたのは自分たち女子の応援があったからだよねと恩を売ってきて、帰りに駅前のファストフード店でシェイクを奢らされることになった理不尽な話も、全部まだ記憶に新しい思い出だ。
それなのに、その登場人物がハルちゃんだけが違っていて、吉川と入れ替わっていた。
吉川のことは知らないはずなのに、俺の知らない確かな積み重ねがあって、みんなを含めた思い出の共有ができてしまうのだ。
それが不気味な反面、吉川自体はいいやつだということは短い付き合いでもはっきりと分かるので、気を許してしまいそうになってしまう。
俺は身の振り方が分からず、表向きはみんなと仲良くしながら、現実から逃げるようにハルちゃんとの思い出の中に浸っていた。
お参りも終え、その帰り道に横沢が、
「ねえ、彩佳や初玖とも話してたんだけど、これからはこれで連絡取り合わない?」
そうスマホを見せながら、切り出してきた。
スマホには、LINEというアプリ上で交わされた横沢、高山、吉川の三人でのチャット画面が表示されていた。そこには今日の初詣の待ち合わせの時間や何を着ていくかとか、もうすぐ着くだとか、そういう会話がされていた。
「メールよりも気軽にみんなと話せるし、通話も無料だしさ」
「最近、これで玲奈や彩佳と三人でビデオ通話繋げて、一緒に勉強してたんだ」
「一人だと集中続かないってこともあるけど、これだとみんなで頑張る時間と息抜きする時間合わせられて、けっこう勉強捗るよね」
女子三人でこの間は夜遅くまでやったよねとか、メールよりも早いいし複数人でもいけるのいいよねと盛り上がっている。
それを聞いて、拓也が「なんか聞いてる限りはいいな、それ」と頷いていて、健太も「普段、悠とかゲームとかするときはSkypeとか使ってるけど、これもいいかもな」と自分のスマホでアプリの情報を見ながら言っていた。
俺自身はメールと電話、チャットや無料通話ならSkypeで事足りているけれど、みんながそちらに移行するというのならば、それに従うだけだった。
その場でアプリをダウンロードして、さっそくみんなでグループを作った。
そこに今日撮った写真を共有していく。
「いつの間にこんなの撮ったんだよ」という健太が大きなあくびをしている瞬間の横顔の写真に、「私の不幸を晒さないでよ」という高山が凶のおみくじを引いて泣きまねをしている写真、「お前らはなんでカメラ目線なんだよ」という高山が自撮り風にみんなを盗撮した写真に俺と横沢だけが気付いてそれぞれ決め顔で顔の前でピースサインをしている写真――そうやってたくさんの写真が次々に貼られていき、思い出を共有しながら笑い合う。
「今度、これで通話繋げてみんなで勉強しようよ。で、分からないところとか教え合おうよ」
横沢が顔の横でスマホを軽く振りながら笑顔でそう提案した。誰も断る人なんていなくて、ただただ仲のいいグループの俺とみんなはそれに頷いて、いつから始めようかと予定を立て始めている。
そんな楽しいはずの時間も、俺は物足りなさを感じてしまう。
だけど、そんな心の内は誰にも言えず、スマホを操作して、登録し直した“弓月悠”という名前とメアドをただ見つめる。
もしあの日の続きがあったなら、二人で初詣に来ていたのかもしれない。
今日のようにみんなで来て、同じようにLINEをはじめ、その後で二人だけで別行動ということになったのかもしれない。
そんな日は訪れることもなく、冬の寒さに体を震わせ、スマホごと手をポケットの奥に押し込んだ。
そして、現実では、高山が「どこか店に行こうよ」と言い出し、「今は店が開いていても、どこも混んでるだろ」と健太が現実的なことを言い、「じゃあ、コンビニか誰かの家にする?」と拓也が修正すると、「コンビニは結局は外になるから寒いからやだ」と横沢が文句を言い、そこに吉川が「親戚からたくさんみかん貰って余ってるから、ウチに来る?」と提案し、あっという間にこれからの予定が決まっていった。
そうして行った吉川初玖の家で、快く歓迎してくれた吉川の両親はやはり見覚えがなく俺にとっては初対面で、それなのに「みんないらっしゃい。ゆっくりしていっていいからね」と俺のことも昔から知っている一人として、当たり前のように迎え入れてくれる。
吉川の家で久しぶりに見る小学校の卒業アルバムには、この場にいるみんなが写っていて、今と当時の写真を見比べて笑ったりした。
そのなかでハルちゃんが写っていない当たり前に密かに心を痛めていた。
楽しいと思われる時間は流れていき、今日も一人で家路につく。
変わってしまった世界での変わらない日常は、俺の心と精神をゆっくりと確実に
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