第11話 君のいた場所
夏休み明けの朝の教室で、いつもの仲のいい友達と集まって楽しくお喋り。
きっと他のクラスメイトから見たら、俺はそんな風に見えていることだろう。
しかし、実際は誰とも共有できない苦しみに
だから、表向きは楽しく話しながらも、頭の中はハルちゃんのことでいっぱいだった。
視線は自然と夏休み前までハルちゃんが座っていた席へと向いてしまう。
その席には鞄も何も掛かっておらず、ハルちゃんがいない空白を物語っているようだった。
今の席の位置関係では俺の方が後ろに座っているので、授業中もなんとなくハルちゃんが目に入り、そのまま見てしまうなんてことも多かった。
真面目に授業を受けている姿に、自分もがんばろうと思えた。
眠気に襲われウトウトしているのを見ると、自分まで眠たくなる気がした。
そんな光景をもう見ることがないと思うと、途端に世界は灰色で退屈なものに思えた。
そして、その世界に生じた空白が、見たことのない色で埋められていった。
ハルちゃんの席に、見たことのない女の子が座ったのだ――。
「なあ、健太」
「ん? どうかしたか、悠?」
「あんな子、うちのクラスにいたっけ?」
小声でそう話しかけながら、ハルちゃんの席に座った女の子を指差した。
しかし、健太からは何も言葉が返ってこない。健太に目を向ければ、心底ありえないという表情を浮かべ、俺のことを見ていた。
「いや、悠。それはないわ。冗談としても笑えないし、まじでありえない」
健太が大きなため息をつきながらそう言うと、拓也や横沢、高山も話を途中で止めて、こちらに注意を向けた。
「何がありえないって、健太?」
拓也が尋ねると、健太は「ちょっと聞いてくれよ――」と切り出した。
「悠のやつ、
「まじで? たしかにそれはないわ、悠」
「だよな、拓也? だって、吉川は、俺や悠とは幼稚園からの付き合いだぜ?」
健太が何を言っているのか分からなかった。本当に幼稚園からずっと一緒というのなら忘れるわけがない。
拓也も健太同様に呆れたとばかりの表情で、横沢や高山にいたっては顔をしかめている。きっと俺の知らないあの女の子は、みんなにとっては友達かそれに近い存在なのかもしれない。
ここで言葉の選択を間違えれば、俺は間違いなくこのグループにいられなくなると思った。
「な……なんか夏の間に雰囲気が変わった気がして……」
苦し紛れの言葉に、横沢はすっと吉川と呼ばれた女の子に目を向ける。
「ああ、そういうこと。
「羽山はああいう綺麗系が好きだったんだ。そういうの知らなかったかも」
横沢と高山はニヤニヤとまたからかうような表情を浮かべてくる。
「俺も知らなかったよ。悠が好きなのは髪は短めのかわいい系だと思ってた」
「だよね。吉川さんは悠の好みとは逆だよね?」
健太と拓也が予想以上に食いついてくる。少し前までの、険悪になりかけていた空気はもうどこにもなかった。
「お前らさ、俺の好みの何を知ってるんだよ?」
「そりゃあ、悠がいいって言うゲームや漫画とかのキャラ、だいたいそういう感じじゃん」
「芸能人とかでも、黒髪ロングの分かりやすい美人よりも、かわいい系の人の方が興味あるって感じだったし」
健太と拓也の言葉に何も言い返せなかった。それは事実だったからだ。同時によく見てるなとも思った。
そういう外見の好みは、俺の中でハルちゃんが基準になっていた。
ハルちゃんはずっとボブヘアーで、それが似合っていて、俺の中でのかわいい髪型の代名詞みたいなものだった。俺の記憶違いでなければ、ハルちゃんは髪が一番長いときでも肩にかかるかどうかくらいだった。
ハルちゃん本人もボブくらいが気に入っているようだった。
前に横沢に一緒に髪伸ばそうよって言われたときにも「部活とかで身体を動かす邪魔になるし、手入れが面倒だからやだよ」と笑って断っていて、横沢は一人で髪を伸ばし始めたなんてこともあった。
そんなやり取りも、今みたいにみんなでどこかで集まって喋っているときのことで、それが学校だったか誰かの家だったか、それとも駅前のファーストフード店やカラオケでの話だったか、そこまでは覚えていない。
それほどまでにみんなでいる時間は長く、いろんな話をした。
「ねえ、
横沢が声を掛けると、吉川は柔らかな笑みを浮かべてこっちに近づいてきた。そこに躊躇も戸惑いもないので、こういうことはよくあることのかもしれない。
「どうしたの、玲奈?」
「聞いてよ。初玖が夏休みの間に雰囲気が変わったからって、羽山が誰だっけって、言い出したんだよ。ひどくない?」
「たしかに、親にも雰囲気変わったねって言われたけど、さすがにそれはひどい」
「だよね」
横沢が笑い出すと、吉川は目を細め、手で口元を隠すようにしながら控えめな笑い声をあげる。
「ねえ、羽山。私、他人に見えるくらいに違って見えた?」
吉川の少し低めな声は不思議とすっと耳に届き、聞き馴染みがある気がしてしまう。
俺の感覚では初対面だけど、みんなや目の前にいるこの
「うん。一瞬、本当に誰だか分からなかった」
言葉に本当のことを混ぜたおかげで、自然なトーンで口から言葉を出すことができた。
「まだこの髪型に慣れないけど、似合ってると思う?」
吉川が胸の上あたりにやや内巻きになって垂れている髪の毛の先をいじりながら、少し不安そうに尋ねる。
横沢は「大丈夫。めっちゃ似合ってるって」と抱きつきながら言い、高山も「初玖は元から美人だからね。小顔が際立つし絶対に今の方がいいと思う」と頷いている。拓也も「俺も似合ってると思うよ」といい、健太も「いいと思う」と親指を立てている。
俺にはそもそも変わる以前の吉川の姿を知らない。
だけど、その場の流れに合わせて、「すごいいいと思うよ」と思ってもない言葉を口にする。
そんな俺の言葉に吉川は、嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう、羽山。みんなも。なんかみんなに言われたら、ちょっと自信出てきた。思い切ってよかった」
「あれ? 初玖……褒められて照れてる? かわいいなぁ、もう」
横沢は抱きつく手に力を込め、吉川もそれを受け入れながら横沢の腕に自分の手を重ね一緒になって笑っていた。
「初玖、羽山に褒められたのがそんなに嬉しかったの?」
「ち、違うよ! みんなが褒めてくれるのが嬉しかったの!」
「本当に?」
「本当だよ、彩佳」
横沢に抱きつかれたまま高山にからかわれ、その様子に拓也や健太も笑い出し、みんなの笑い声が混じり合う。
俺も素直に楽しいと思えればよかった。
場の空気を読んだ愛想笑いではなく、本気で笑えればよかった。
だけど、笑い声の中にハルちゃんの声はない。
みんなの輪の中にハルちゃんがいない。
ハルちゃんと入れ替わるように現れた吉川初玖というクラスメイト。
ハルちゃんとは、笑い方が違う。声が違う。髪の長さも、何もかも違い、似ているところが何ひとつない女の子。
それなのにハルちゃんがいた場所に、そのまま収まっていた――。
ハルちゃんのことを誰もが忘れた世界で、俺だけがハルちゃんのことを覚えている。
俺が忘れてしまうようなことがあれば、誰もハルちゃんを思い出すことも知っている人もいなくなるということだ。
そのときに本当の意味で、ハルちゃんという存在は世界から完全に消えてしまうのかもしれない。
だから、ハルちゃんのことを、ハルちゃんとの思い出や記憶を失わないように、何度も何度も思い返そうと決めた。
それが前向きなことではないと分かっている。
世界に抗うことになっても、後ろ向きだと言われても、ハルちゃんは俺にとっては、たった一人の心の底から好きになった女の子だ。
ハルちゃんは大事な幼馴染で、家族と同じ距離感の存在で、初めての恋人で――。
俺にはハルちゃんとの記憶にしがみつくことくらいしか、できることは残されていなかった――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます