第10話 君がいない学校

 俺にとって、文字通り世界が変わった夏休みが終わった。

 制服に着替えたが、今日は始業式だけだというのに家を出る前からすでに気が重たくなっている。

 ハルちゃんがいなくなった学校がどのように変わっているか予想できないし、そもそもハルちゃんがいない学校生活というものがそもそも想像できなかった。

 それに今日からは、学校に行くのも一人だ。

 今までは朝練や体調不良などで予定が合わないとき以外は、先に準備ができた方が相手の家の中や玄関先で待って、一緒に登校していた。

 だけど、今日は待ってくれてる人も待つ相手もいない。

 ハルちゃんの家の前で立ち止まり、ちらりとハルちゃんの部屋だった場所を見上げ、学校へと歩き出す。

 朝の通学路が退屈で静かで、憂鬱な気分になってくる。不思議と学校までの距離が遠く感じられ、何度途中で引き返そうと思ったか分からない。

 学校に着き、上履きに履き替えながら、それとなくハルちゃんの下駄箱に目をやるが、名前シールにハルちゃんの名前は書かれていなくて、それだけで気落ちしてしまう。

 重たい足取りで教室に入ると、


「悠! やっと来たな! 早く来いよ!」


 と、大きな声で呼ばれた。その声に、教室内は一瞬の静寂の後に俺の方に視線が集まったが、すぐに元の空気に戻っていった。

 俺を呼んだのは健太で、その健太は俺の席に座り、隣の席の増田ますだ拓也たくやと一緒に、俺に向けて笑みを向けながらひらひらと手を振っていた。拓也も小学校からずっと仲良くしている友達の一人だった。

 小さく息を吐き、自分の席に近づいていき、健太に「朝っぱらからうるせえな。なんなんだよ?」と文句を言いながら、鞄を机の横に掛け、椅子は健太が使っているので、机に腰かけた。


「いやあ、花火のときの意味深な電話の理由――教えてもらおうと思って」

「そうそう。なんか悠は夏休みの最後の方、外出禁止とかでろくに話を聞く機会もなかったしさ」


 健太と拓也が興味津々とばかりに俺の顔を覗き込んでくる。

 どう話せばいいかと悩んでいると、「みんな集まって、なんの話してんのー?」と横沢よこさわ玲奈れいな高山たかやま彩佳あやかと腕を組んで近づいて来て、話に入ってくる。

 横沢も高山も小学校からずっと一緒で、男女関係なく仲良くしている相手だ。二人ともハルちゃんと仲がよくて、横沢はハルちゃんの親友だった。

 ハルちゃんがいるときは、横沢が腕を組む相手はもっぱらハルちゃんで、高山はハルちゃんか横沢の後ろから抱きつくようにして付いてくるというのが恒例だった。高山は一人だけ三年になってクラスが別になり、こっちのクラスに顔を出しては「私もレイナやハルカのいるこっちのクラスがよかったなー」とよく愚痴をこぼしていて、そのたびにハルちゃんと横沢の二人から頭を撫でられたり、抱きしめられたりして、慰められていた。


 そんないつもの仲がいいグループの輪の中に、ハルちゃんだけがいない。


 だけど、ハルちゃんがいないことを誰も気にする様子もなくて、そんな今の世界での些細な当然に、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。


「花火のときのことを今から悠に聞こうとしてたとこ」

「あれ、私も気になってたんだよね」


 健太の説明に横沢が食いついて、さっさと話せよとばかりに俺に視線を向けてくる。そんな横沢の隣で腕を絡ませたままの高山が、


「なんだっけ? 羽山が電話で意味わからないこと言ってきたって、畑迫が混乱してたやつよね?」


 確認するように尋ねると、健太は「そう、それそれ」と指を鳴らしていた。

 花火には今、目の前に四人で行っていたのは、写真が送られていたから知っている。その写真はハルちゃんがいなくなってしまった後でもちゃんと見ることができた。

 しかし、その後のハルちゃんと歩いているところを見たというメールは消えていて、代わりに『お前も来いよ』『来ないならメシテロしてやるよ』と、楽しそうにしている写真や屋台で買った食べ物の写真が送り付けられていた。

 いつものような流れるようなやり取りに、もしハルちゃんがいたら、こういう流れで花火のときのことを聞かれていたのだろうと思った。そこで付き合いだしたことをを報告して、祝福されたり、からかわれたりと、そんなやり取りをしていたに違いない。


「それで、なんだったんだ? あの電話」


 健太が代表して、改めて尋ねてくる。その言葉で現実に引き戻され、みんなが俺がどう答えるのかとじっと待ち構えていた。


「えっと……深い意味はないよ。一緒に花火に行った人とはぐれたから、もしかしたら見かけてないかなって」

「なあ、悠。頼ってくれるのはいいけど、俺らの知らない人を見なかったかってのは、ちょっと無理じゃね?」


 健太の指摘はきっと至極真っ当なものなのだろう。俺以外が健太の言葉に笑っている。そのなかで横沢は「それで誰を見てないかって、聞かれたんだっけ?」と笑いながら健太に尋ねると、


「たしか――“ハルちゃん”、だっけ?」


 健太が俺の表情を伺いながら答えると、横沢が「ハルちゃんって、誰だよ」と笑っていて、拓也が「悠が仲良くしている女の子でそんな感じの名前の女の子いたかな?」と聞くと、みんなは少し考えて、知らないと首を横に振った。

 高山が真面目なトーンで「男の子の可能性もあるんじゃない?」と続けると、「あら、やだ。悠くんはそっちの趣味があったの?」と健太がふざけた口調で乗っかり、さらに笑い声が大きくなった。

 きっといつもなら悪ノリに付き合ったり、言い返したりだとかして、一緒に盛り上がって笑っていられた。

 だけど、今は笑うことができなかった。

 みんながいつも通りであればあるほど、みんなとの間に埋めることができないみぞの存在を感じてしまう。

 大切な人がいなくなり、そのことを仲がよかった友達の記憶からも消えてしまっているという現実が辛かった。


「そのへんにしないと、さすがに悠も怒るんじゃない?」


 拓也の言葉に笑いの波は引いていく。俺が笑っていないことで拓也は何かまずい空気を感じ取ったのかもしれない。


「大丈夫。怒ってないよ」

「本当か、悠?」

「本当だって、健太。で、なんだっけ? 電話のことだっけ? あれはさ、弓月ゆみづきはるかって、女の子と一緒に花火に行って、はぐれただけだから」

「だからって、俺に電話することないだろ? って……弓月!? 弓月って、翔の苗字だよな? 翔の親戚かなんか?」


 健太はこの中でも翔との付き合いも深い方なので、そういう推論を立てるのも早かった。


「いや、苗字は同じだけど、おじさんもおばさんも知らないって――」


 そんな今の世界での事実を口にする。俺の認識に照らし合わせれば、嘘を言っているので、言葉にするだけでも心に傷をつけている感覚があった。


「そっか。それで花火の日に女の子とデートしてたってか? まじでいい身分だな」

「しかも、その日の帰りが遅くなって外出禁止になったんだよね、悠? もしかして、すでに大人の階段を……?」


 健太と拓也がさっそくいじりにかかる。


「羽山って、客観的に見れば、性格いいし、優しいし、意外に顔もいいもんね」

「そうだねー。でも、羽山がいいって話、私ら女子の中で不思議と聞かないんだよね」

「私のクラスでも聞かないかも」

「そっか、そっか。ついに、そんな羽山に初彼女か……」


 高山と横沢も口元に笑みを浮かべ、楽しそうにしている。


「まじでそういうのじゃないから! だから、もう勘弁してくれっ!」


 俺が大きな声で否定すると、みんなはいっせいに笑い出した。高山が「そんなマジに否定しなくても」と笑い、拓也が「男子からの評価は高いから自信持っていけ」と謎のフォローをし、横沢がそれに腹を抱えて笑っていた。


「まあ、何かあるならいつでも話聞くからな」


 健太は笑いながらも優しい声でそう言うと、他のみんなもそれに頷いていて、本当にいい友達だと思ってしまう。

 だけど、そんな友達にもハルちゃんのことをもう話せない。


 今までなら、こういう話や他の女子と何かしたみたいな話になると、横沢は「ハルカがいるのに、この浮気者」となじり、高山も「ちょっと幻滅」と白い目を向けてきて、健太や拓也は「弓月さんがいるのに何考えてんだ?」「弓月さんに言いつけるぞ」とからかい半分でクズ男認定されていた。

 今思えば、俺とハルちゃんがずっとお互いのことを好きだったことは、一番近くから見ていたみんなにはバレバレで、それをからかったり、優しく生暖かく見守ってくれていたのだということに気付ける。

 だけど、俺もハルちゃんもそんなこととは知らず、誰にも気づかれていないと思っていた。

 もしかするとハルちゃんは横沢や高山に相談していたかもしれないが、今となってはもう確認しようがないことだった――。

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