第7話 君のいない半月の夜
さっきまで隣にいたはずのハルちゃんが、突然いなくなった。
「ハルちゃん?」
スマホのライトで辺りを照らしながら、何度もハルちゃんの名前を呼んだ。
だけど、ハルちゃんの姿はなく、呼びかけに何かしらの反応が返ってくることもなかった。
もし気が変わっていきなり帰るにしても、俺に気付かれずになんて不可能だ。
なぜならずっと手を握っていたからで、離されたり振りほどかれた感覚は一切なかった。それどころか、まだ手にはハルちゃんの体温や感覚がそのまま残っている。
「そうだ。電話――」
スマホを操作して、いつも履歴の上の方にあるハルちゃんの名前を探したが見つからなかった。
仕方なく連絡帳に登録している“弓月悠”の名前を探した。
しかし、いくら探しても、検索をかけても、俺のスマホには“弓月悠”という名前は登録されていなかった。
背中や額に、嫌な汗が流れる。
ただでさえハルちゃんがいなくなったという現状が理解できず混乱しているのに、これではまるで――
最初から、ハルちゃんがいなかったみたいじゃないか――――。
「いきなり人が消えるなんて、あるわけないだろ……きっとスマホのバグだ」
そう無理に理由付けをして、またハルちゃんを探し始める。
何かしてないと落ち着かない。今の状況を冷静に考えることが怖いし、理解したくない。
ただ焦りだけが大きくなっていく。
いてもたってもいられず、歩き出す。次第に早足になり、公園の中の通ってきた遊歩道を戻りながらハルちゃんの姿を探した。
手掛かりひとつ見つからないまま、公園の出口までたどり着いた。もしかすると会場に戻っているかもしれないとそっちに向かうことにした。
花火の音が聞こえる中、空を見上げることもなくただ一人を見つけるために走った。
会場まで戻ってきて、人の多さに愕然とした。
立ち止まって花火を見上げている人、流れに沿って花火の見やすい場所へと移動している人、屋台で買い物をする人――人、人、人……。
目の前に広がる人混みと喧騒の中でハルちゃんを見つけるのは、常識的に考えれば不可能に近い。そんなことができたとしたら、それはもう運命的で奇跡と言ってもいい。
そして、そういうことを起こせるほどの絆が俺とハルちゃんの間にはあるはずだ。
俺はどんなときでもハルちゃんを他人と見間違えない自信がある。どんなに騒がしいなかでもハルちゃんの声を聞き分ける自信もある。
それに今日のハルちゃんはいつもは下ろしている髪を、少し低めの位置でまとめてお団子にして、前髪をサイドに流していた。それだけでなく白地で黒の牡丹のような花唐草があしらわれた落ち着いた大人っぽい雰囲気の浴衣を着ていた。
その姿を今日ずっと隣で見ていたのだから、後ろ姿だけでも、顔がよく見えなくてもすぐに見つけられる。
そんな風に
このまま立ち止まっていては、今にも不安や恐怖に飲み込まれてしまいそうになる。そんなすぐ後ろに迫ってきている暗闇から逃げるように、人の流れの中に飛び込んだ。
何度も人と肩や体がぶつかった。そのことで怒鳴られて、そのたびに謝って、またハルちゃんを探すために、人の波をかき分ける。
ふと、この人波の中からハルちゃんを――正確には、俺とハルちゃんを見つけた人たちがいたことを思い出した。人の流れから外れて、スマホを取りだし、ハルちゃんとのことをメールしてきた友達の一人で親友の
「早く出てくれよ、健太」
しかし、なかなか電話に出てくれない。花火の打ち上がる最中にいきなり電話を掛けられても迷惑だろうし、出られる状況ではないのかもしれない。単純に気付いていないだけなのかもしれない。
いつもは気にしないコール音の一回一回の長さが異様に長く感じる。苛立ちや焦りが強くなっていくが、走ったりして乱れていた呼吸を深呼吸で整えがてら、落ち着かせていく。
深呼吸をしていると、ようやく電話が繋がった。
「どうした、
「なあ、健太。ハルちゃん見なかった?」
「えっと……ハルちゃん? すまん、知らないな」
「わかった。花火見てるときに悪かった。じゃあ、今急いでるから、またな」
まだ何か健太が話しているような声が聞こえた気がしたが、申し訳ないと思いつつ、電話をぶつ切りした。
健太に電話をしたことで、俺とハルちゃんがはぐれたということは伝わったはずだ。
花火を見るのを中断してまで探すということはしないだろうが、もし健太たちがハルちゃんを見かけたり、見つけるというようなことがあれば、連絡してくれるに違いない。
だから、俺は先に帰ったかもしれないという可能性にかけて、ハルちゃんの家に向かうことにした。
花火の音が次第に遠ざかっていく。
そんなことを気にする余裕もなく、息が切れても、心臓がはち切れそうでも、ハルちゃんを探しながらただ走った。
二人で歩いた道を今は孤独に押しつぶされそうになりながら、泣きだしたい気持ちをこらえながら走った。
ハルちゃんと待ち合わせた神社の前で足を止め、辺りを見回し、神社の中も見て回ったがここにもハルちゃんの姿はない。
ハルちゃんの家に近づくたびに、足が重たくなっていく。それは体力が尽きかけているからだけではない。
ただ怖いのだ。
突然姿を消しただけでなく、スマホからもハルちゃんの名前が消えてしまっていたこと。
健太がハルちゃんのことを本当に知らなかったこと。
健太はハルちゃんのことを「ハルちゃん」と呼ばない。健太だけでなく、男女問わず仲のいい友達は誰も「ハルちゃん」だなんて呼ばない。
それはまだ気持ちを素直に口に出せていた小学校低学年のときに、俺とハルちゃんから「ハルちゃん」と呼んでいいのは俺だけだと、クレーム込みの
きっとハルちゃんの家に辿り着けば、現実を思い知らされてしまう。
そんな現実を知りたくなくて、受け入れたくなくて、確定させてくなくて――それでも、立ち止まらないのは、ハルちゃんと会える可能性をまだ信じているからだった。
いつの間にか花火の音は聞こえなくなっていた。
ハルちゃんの家に辿り着き、一度大きく深呼吸をする。息は整わないし、心臓の鼓動もうるさいままだ。それでも喋るだけならできる。
震える指でハルちゃんの家のインターホンを鳴らした。
「悠くん? こんな時間にどうしたの?」
すぐにインターホンから、聞き馴染みのあるハルちゃんの父親の声が聞こえてきた。
夜も更け始めたので、おじさんが応対したのだろう。
すぐにでもハルちゃんのことを聞きたいけれど、俺のことを名前でいつものように呼んでもらえたことが嬉しくて、言葉に詰まってしまう。
ハルちゃんの家族とは、俺とハルちゃんが幼稚園で一緒になったことがきっかけで知り合い仲良くなった。だから、面識があり、いつものような親しさを感じられるということは、ハルちゃんがちゃんと存在しているということに他ならないのだ。
「って、悠くん、汗だくじゃないか。すぐにタオル持って行くからそのまま待ってて」
三十秒も経たず、慌てた様子でおじさんがタオルを手に飛び出してきた。そのタオルを受け取り、顔の汗をぬぐい、汗で雨に打たれたように濡れた髪を拭き始める。
「その格好……悠くんは花火に行ってたのかい?」
「はい……。それで……おじさんに聞きたいことがあるんですが……」
「ん? 何かな?」
髪を拭いていたタオルを首に掛け、ひとつ大きく息を吐いた。
「ハルちゃんはいますか?」
おじさんは、一瞬だけ固まり、俺の顔を見つめてくる。
そんなに変なことを聞いただろうか。それとも俺と一緒じゃなかったのかと
「えっと……ごめん、悠くん。誰のことかな?」
おじさんの言葉に、俺は言葉を失った。
なんで立っていられるのかも不思議なほどに、無茶した体は疲労感が噴き出し、膝はガクガクと震えているし、一瞬でも期待した反動で絶望の衝撃も大きく心は折られてしまった。
これではもう現実を認めざるをえなかった。
ハルちゃんは――
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