第5話 ずっと月を見ていた

 参拝を終え、ハルちゃんと参道を歩いた。周囲には自分たち以外の人影はなく、吹き抜ける風に揺れる葉音と隣を歩くハルちゃんと自分の足音がよく聞こえた。

 ふいに空を見上げると、夜の色が濃くなり始め、上弦の月が浮かんでいるのがはっきりと見えた。その月に手が届けばいいのにと、なんとなく手を伸ばした。


「どうしたの、ユウくん?」


 ハルちゃんの声に足を止め、視線を隣に戻すと、空に手を伸ばしているところをばっちり見られていたと気付き、恥ずかしさから足を止めてしまう。

 ハルちゃんも足を止め、俺の顔をじっと見つめてくる。笑うつもりもからかうつもりもない真面目な表情と、何か気になることがあったのか、何をしていたのか知りたいと思っているような真っ直ぐな視線に、


「空を見てただけだよ。今日は、半月はんげつ……だなって」


 そう正直に答えた。半月は俺が一番好きな月の形だった。

 ハルちゃんも隣で空を見上げたので、俺もまた空に浮かぶ月を見つめる。


「本当だ。今日は半月だったんだ」

「うん。俺もいまさっき気付いたんだ」

「そっか……ねえ、ユウくん。知ってる?」


 空を見上げたまま、ハルちゃんの声に耳を澄ませる。


「半月はね、その形から“弓張ゆみはづき”や“弓月ゆみづき”とも呼ばれているんだよ」

「うん、知ってる。昔、キャンプに行ったときにおじさんに一緒に教えてもらったんだっけ。それからは半月のたびに今日は“ハルちゃんの月”だね、って話してたよね」

「そうだね。私の部屋で電気を消して、月をよく一緒に見たりしたよね」

「そんなこともあったね」


 当時を思い出して、笑みがこぼれた。見なくてもハルちゃんも同じように笑顔になっていることが分かる。隣で月を見上げる淡い月明かりに照らされたハルちゃんは、いつも笑顔だったからだ。

 あの頃は月がどうして輝いているのか、月の模様がなんなのか分からなかった。

 だけど、今なら説明は難しくとも、月が綺麗な理由を知っている。


「ねえ、ハルちゃん。俺さ、ずっとハルちゃんのことが好きだったんだ。幼馴染としても、友達としても。そして、ひとりの女の子としても――」


 言葉の節目で「うん」と相槌を打つハルちゃんの声が心地よかった。今ならどんな言葉も真っ直ぐに届く気がした。

 俺の言いたいことはまだ半分だった。だから、続きを言うために視線を月からハルちゃんへと移すと、ハルちゃんはじっと俺の顔を見つめながら言葉の続きを待っているようだった。

 そして、溢れだす気持ちを、もう止めなくてもいい想いを、言葉に変換する。


「ハルちゃん、好きだよ。俺と付き合ってほしい」

「うん、いいよ。私もね、ずっとユウくんが好きだったんだ」


 ハルちゃんはそう答えて、ニコッと微笑むように笑いかけてくる。

 ハルちゃんのいつもより甘さを感じさせる声は脳にまで直接響くようで、見慣れていたはずの笑顔もいつも以上にかわいく見えた。

 俺とハルちゃんの関係に、恋人という関係性が加わった瞬間だった。

 それを実感して、嬉しさがこみ上げてくる。だけど同時に、胸が締め付けられるようで苦しい。体の力が抜けて、座り込みたくなる。恥ずかしさや照れくささから顔をそむけたくなる。だけど、ハルちゃんの顔をこのまま見つめていたいとも思ってしまう。

 「幸せ」という感情はこんなにも甘美で苦しいものなのかと、現在進行形で感じていた。


「ユウくん、そろそろ会場に行こうよ」

「そうだな。昼から何も食べてないからお腹の空き具合やばい」

「まじで? 私は軽くだけど食べて来たよ」

「花火とか祭りの日は、屋台で食べないともったいなくない?」

「気持ちは分かるけどさ」


 そう言い合いながら、ハルちゃんと歩き始めた。

 そのまま何も言わずに、そうするのが当前とばかりに自然に手を繋いだ。

 子供のころは手を繋ぐことは何も考えずともできたことだった。隣にいる好きな人と手を繋ぐということに意味なんてなかった。

 だけど、今はそこに特別な気持ちと意味が込められているから、初めて指を絡めた恋人繋ぎをした。

 俺もハルちゃんも、もう周りの目を気にする必要がなくなった。知り合いに見られても、それをもとに関係を邪推されたり、からかわれたりしても、自分たちは恋人なのだからと胸を張ればいいだけだ。

 それでも繋ぎなれていない、いつもより密着度の高い手の握り方に、少しだけ恥ずかく、緊張をしてしまうのも事実だった。

 緊張して冷たくなった手の平は、お互いの体温ですぐに温かくなり、同じ温度になる。

 夏の熱気と、燃え上がりそうな気持ちに汗ばむのを感じる。手汗をかいて、ハルちゃんが不快に思ったらどうしようだとか、自分の速くなっている鼓動が伝わってしまうのではないかと不安になる。

 それも逆の立場なら気にしないし、今は手を離すのが嫌だと心から思っていて、ハルちゃんもきっと同じだとハルちゃんの握る手が強くなったことで確信する。

 繋いだ手から感じる温度と隣にいる大事な存在こそが全てだ。心まで繋がっているのではと思うほどに手からハルちゃんの好きという感情が流れ込んでいる気がする。だから、俺も好きという気持ちを込めて手を握り返す。

 このまま二人でならなんでもできてしまいそうな万能感があった。

 それでも、今日のいつもとは違う雰囲気のハルちゃんに「かわいい」の一言が言えなかった。ようやく「好き」という言葉を伝えられたところまではよかったが、そこで勇気を使い果たしたみたいだった。


 肩が触れるほどのすぐ隣を歩くハルちゃんの横顔をそっと覗き見ようとしたタイミングで、ハルちゃんもちょうど俺の方に顔を向け、目が合うとニコッと笑みを浮かべた。

 ハルちゃんは顔を少し赤らめていて、今までに見たことがなく嬉しそうで満たされている顔をしていた。それを世界一かわいいと思った。

 何か言ってしまえば、そのもっと見ていたい表情を崩してしまいそうで何も言えなくなった。

 きっと「かわいい」と言えば喜んでくれると分かっている。だから、後日、改めて、浴衣姿がかわいかったと伝えて、また少しだけ照れたように笑う顔を見よう。

 それに俺とハルちゃんは付き合いだしたのだ。

 これから先は今まで以上に一緒にいられる時間が増えることになるだろう。

 そうなれば、これからは何度でも「好き」や「かわいい」という言葉や想いをハルちゃんに伝える機会は訪れるのだから、焦る必要もないと思った。

 一歩ずつ、一歩ずつ、同じ時間をハルちゃんと一緒に未来に進んでいくのだから――。

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