第4話 願いごと

 花火大会当日。

 ハルちゃんに指定された家からは少し離れたところにある神社の入り口で、ひとり待っていた。

 目の前には自分たちと同じ目的地を目指すであろう人たちが通り過ぎてゆく。

 家族連れ、仲のよさそうな友達連れだったり、どこかで待ち合わせをしているのか足早に通り過ぎる人。そして、恋人と思われる男女二人組も多く見かけた。

 その中に混じった俺とハルちゃんは周りからどう見られるだろうか。

 きっと祭りの熱気や人の多さの中にいれば、顔見知りや悪目立ちをしているということでなければ気にすることも、あえて見ようとも思わないのが現実だ。

  待っている人がいるからソワソワして、流れる人波が気になってしまうのだろうと、気と暇を紛らわすためにポケットからスマホを取りだし画面に目を落とした。

 そろそろ待ち合わせの時間が近づいていて、新着メールの通知もあった。メールは仲のいい友達からで、『お前も一緒に来たらよかったのにな』というメッセージと共に、写真が添付されていた。

 写真には昔からずっと仲がいい男友達だけでなく女友達も写っていた。

 屋台で買ったであろうたこ焼きを見せつけるように持っていたり、イカ焼きに大げさにかじりつくようなポーズを取ったり、かき氷を片手にカメラにピースしていたりと、写真の中のみんなは仲の良さが距離感や表情に滲みだしていて、楽しいという気持ちが伝わってくるようだった。

 去年はその写真の輪の中に俺もハルちゃんもいて、似たような写真をみんなで撮って笑っていた覚えがある。一昨年は男女別で花火に行き、撮った写真を後日、ハルちゃんと見せあった。

 ハルちゃんと待ち合わせをしていなければ、本気で羨ましがっていたかもしれない。そこにもしハルちゃんが写っていれば、予定があってもなんとかして抜け出して、みんなと合流しに行ったかもしれない。

 だけど、今のハルちゃんと待ち合わせをしている俺の心の中にあったのは、期待感と緊張だった。

 その緊張も写真のおかげで少しほぐれた気がした。


「ごめん、ユウくん。待たせたかな?」


 いつもの聞き馴染んだ声がすぐ隣から聞こえてきて、スマホの画面から声のした方に視線を向ける。

 そこには浴衣姿のハルちゃんが立っていた。浴衣だけでも驚いたのに、今日はいつもと違う髪型で、細い首筋がはっきりと見えていて、垂れた髪を耳にかけ直す仕草はいつもに増して魅力的だった。

 その姿につい見惚れてしまい、ハルちゃんと顔を見合わせたまま少しの間固まってしまった。

 この一瞬だけは、二人だけの世界で、周りにいるはずの人も、聞こえていたはずの虫の声も車の走る音も全てが消えてしまったように思えた。


「ユウくんは甚平……なんだね」


 ハルちゃんの声に一気に現実に引き戻される。ハルちゃんの視線の先を辿って、自分の着ている甚平の合わせ部分を軽く摘まみ、そうだったと思い出す。


「うん。朝起きたら、なんか母さんに渡されてさ。これを着て、今日の花火に行けって言われたんだよね。急なことだし、意味わからないと無視しようと思ってたら、これ着て行かなかったら小遣い減らすって脅されてさ……」

「そんなことあったんだ」

「まあね。でも、ハルちゃんが浴衣で来るって知ってたら、すんなり着たのにさ」


 ハルちゃんはいつものようにニコッと微笑むように笑う。いつもとは雰囲気の違う格好をしていてもその表情を見るだけで、いつものハルちゃんだと思えて安心する。


「私ね、大人っぽい浴衣着て、髪もちゃんとしてユウくんを驚かそうと思ってたんだ。だから、内緒にしてたし、お母さんとかにも内緒にしてって口止めしてたんだよ。それなのに、ユウくんが甚平着てたから、逆に驚かされちゃったよ」

「そうだったんだ。じゃあ、もしかして俺が甚平着てるのって、母さんかおばさんの仕込みってことかな?」

「それあるかも。お母さんと浴衣買いに行ったときに、買い忘れがあったってお母さんだけでお店に戻っていったの。それで待ってる間に飲み物でも飲んでなさいって言われて小銭渡されて、私は素直に買いに行ったんだよね。それで自販機近くのベンチに座って待ってたら、このかごバックの入った袋を手に戻って来たから喜んでたんだけど、もしかしたらそのときに甚平も買ってたのかもね」

「で、知らないうちにお互いにサプライズを仕掛けられていたと……今ごろ、母さんとおばさんが上手くいったと笑ってるのが目に浮かぶよ」

「本当にね」


 ハルちゃんと顔を見合わせて、人目も気にせずに声を出して笑った。笑い波が落ち着いたところで、ハルちゃんが眩しい笑顔を向けながら、


「じゃあ、行こっか」


 俺の顔を見上げるように口にする。それはずるいなと思いながら、頷いて花火の会場のほうに向けて歩き出した。


「そっちじゃないよ、ユウくん」


 ハルちゃんは慌てて、背中の辺りを摘まみながら呼び止めてきた。驚いて立ち止まったけれど、そもそも花火に行くために待ち合わせていたはずなのに違うと言われて、意味が分からずつい首をひねってしまう。


「ねえ、ユウくん。なんでここで待ち合わせしたと思う?」

「花火に行くためだろ? それ以外に何かあるの?」

「それ以外にあるんだよ。ただ花火に行くだけなら、この浴衣姿見せて驚かすってことを踏まえても、待ち合わせは会場近くでも、近所のどこかでもそれこそ家の前でもよかったわけだし」


 ハルちゃんの言うことはもっともだと思った。俺はいつもとは違う待ち合わせの仕方にデートっぽい雰囲気を感じて、深く考えずに喜んでいただけだった。


「それでね、夏休みが終わったら、きっと学校でもそれ以外でも受験のことで大変になっていくと思うんだよね。夏期講習から塾に通いだしたって話も聞くし、受験が近づくほどに遊びに行ったりする気持ちの余裕もなくなるかもしれないでしょ?」

「これから楽しもうって時に嫌な話するなよな。まあ、そうなるかもしれないとは思うよ。俺も塾行くか迷ってたし」

「なんか盛り下げるようなこと言ってごめんね。それで、一足先にユウくんと一緒に合格祈願したいなって」


 ハルちゃんはダメかなと、俺を真っ直ぐに見つめてくる。ハルちゃんは口では謝っていたけれど、表情の端々に俺が断るはずがないと思っているのか、不安そうな影は全くなかった。

 そもそも断る理由はないし、ハルちゃんのフリでも懇願するような表情を間近で見せられては、断れるはずもなかった。

 そういうことならと、二人並んで花火の会場に向かう人の流れから外れて神社の境内の中へ。

 花火の日だからと言っても、それに合わせて特別な何かがあるわけでも催しをしているわけでもないので、神社は閑散としていて、社務所もすでに閉まっていた。

 敷地の外の喧騒から切り離されたような静かな場所で、ハルちゃんと並んでお参りをした。

 俺は自分の合格祈願と一緒に、志望校が同じハルちゃんの合格祈願もした。

 ちらりと横目で真剣に願い事をしているハルちゃんを見て、もう一つだけ願いごとを心の中で唱える。


 ――ハルちゃんとずっと一緒にいられますように。

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