第二章 君がいなくなった夏

第3話 始まりの日

『今年は一緒に花火見に行こうよ』


 中学三年の夏休みも終わりが見えてきたとある日の夜、ハルちゃんからそんなメール届いた。それを見て、考えるよりも先に『分かった。行く』とすぐに返信していた。返信して、ひと息つく前にハルちゃんから電話が掛かってきた。


「本当にいいの? ユウくん」

「自分から誘っておいて、その確認いる?」


 そう言いながらクスリと笑うと、つられるようにハルちゃんも電話の向こうで小さく笑っているような気配がした。


「そうだけどさあ……ユウくんは誰かと約束とかはしてないの?」

「まあ、いつものメンバーで行こうかって話してたくらいだけど、予定が合えばってくらいだしな。ハルちゃんの方こそ、誘われたりしてるんじゃない?」

「うん。でも、今年はユウくんと行きたかったから。もしユウくんに断られたら、そのときは友達と行こうと思ってた」

「俺がハルちゃんからの誘いを断るわけないだろ?」

「本当に? 中学生になってから少しよそよそしくなってたくせに?」

「それはハルちゃんもだろ?」

「そうだね。でも、そういうの気にしなくていいところだといつも通りだったじゃん」

「それもそうだな。学校行くのも途中までは一緒によく行ってるし、ハルちゃんはたまにウチで母さんとお菓子食べてるし」

「そういうユウくんは、ウチでお父さんや翔と夜遅くにだったり、たまに早朝からサッカー観たりしてるよね」

「おじさん、観る専だからやる方は微妙だけど、サッカーの知識はガチだからなー」

「そういうとこだよ! 私とお母さんからしたら、たまに呪文にしか聞こえない会話してるし」


 ハルちゃんは少しムキになったように言い、すぐに楽しそうに声をあげて笑い出した。今度は俺がつられて口元に自然と笑みが浮かんでしまう。


「ずっとこんな感じだよな、俺らは」

「それもそうだね」


 俺もハルちゃんもきっと本質的には何も変わっていない。

 だけど、中学生になってからは周りの目を気にして、学校ではお互いを名字で呼び合ったりしている。きっかけは中学校から知り合った俺とハルちゃんの関係を知らない同級生を中心に、関係を邪推され、からかわれたからだった。

 今なら軽く流したり、どういう関係か説明すればいいと冷静に対処できるけれど、思春期に入ったばかりで、知り合ったばかりのよく知らない人から向けられる好奇心の奥に悪意が透けて見える発言にどう反応していいか分からなかった俺とハルちゃんは、誤解されたりすることが恥ずかしいと思ってしまった。

 だから、面倒事やトラブルを避けるために、学校では距離感というものを意識していた。

 表向きは仲良くし過ぎないように気を付けながら、気にする必要のない家族や友達の前、それ以外にも顔見知りがいないような場所では、いつもの幼馴染で家族でという近すぎる距離に自然に戻って接していた。

 その流れで、普段遊びに行くのも、初詣や花火大会、祭りのような行事やイベントに行くのもそれぞれの同性の友達と行くようにしていた。

 しかし、元々は仲がいいグループが男女で色分けされただけなので、遊びに行った先や祭りの会場だとかで合流したり、学校でも集まって話したりすることが多かった。去年行った修学旅行もそうやって同じ班になったり、現地で仲がいいグループとして一緒に行動していた。

 中学三年になり、そんな友達たちの大半と同じクラスになってからは、自然と距離感はかつてのものに修正されつつあったが、最初に意識させられた距離感のせいで学校ではぎこちなさが残り、壁のようなものを感じることがあった。

 ただ、その壁の正体にも察しはついていた。

 中学校に入ってから、自分たちも周囲も成長して多感になっていき、恋愛というものに興味を持ち、恋人という関係性の同級生だとかを間近でみたことで現実味のある事として認識した。

 次第に俺とハルちゃんも互いに異性として意識せざるを得なくなった。

 なんとも思ってなかった手や肩が触れたり、息遣いを感じるほどに顔が近づいたりするということに敏感になった。「好き」という言葉が持つ本来の重さを知ってしまい、お互いに気持ちを気軽に口にできなくなった。

 それでも、俺とハルちゃんは互いに一番近しい存在だと思っていることは同じだと、確認せずともそうだと言い切れる実感も自信もあった。

 そして、同時にお互いの心の奥底にしまい込んでいる本当の気持ちに気付いていながら、そのことには確信も自信も持てず、居心地がいい幼馴染で家族という関係に落ち着いていた。

 壁を感じながら、その壁の存在に安心していたのかもしれない。


「じゃあ、ユウくん。待ち合わせの時間や場所とかはこっちで決めていい?」

「いつも通りどっちかの家に集合だとダメなの?」

「ダメではないけど、たまにはこういうのもいいじゃん」


 ハルちゃんは悪戯を思いついたときのように、声を噛み殺したように笑った。何か企んでいるなと分かっていても、ハルちゃんがしたいことがなんなのか気になった。

 同時に、今までは二人でどこか出かけるときは特にちゃんとした待ち合わせなんてしたことがなかったから、なんだかデートみたいでいいなと思っていた。

 それから夏休みの宿題の進捗状況など、なんでもないことを話して、「またね」と言い合って、電話を切った。


 ハルちゃんの楽しそうな声を聴くだけで、心の奥底がじんわりと温かくなった。さっきまで話していたはずなのにもう物足りなさや寂しさを感じてしまっている。

 自分の心に、気持ちに素直に耳を傾けたなら、壁を壊して踏み込むべきだと叫んでいるに違いない。

 きっとそれは今に始まったことではない。

 なぜなら最初から抱いていた感情で、その感情の名前を知って、輪郭が定義され、ようやく本当の意味でその言葉を口にできるようなったのかもしれない。


 「好き」――そのたった二文字を言うのがこんなにも苦しく、難しいことだなんて思わなかった。


 それを伝えるためのきっかけや何かひと押しがあればと思っていたところに、今回の誘いだ。

 だから、あとは覚悟を決めるだけだった。

 そんなことを一人考えていると、なんだか顔と耳が熱い。

 その熱を冷ますために窓を開けた。夜だというのに張り付くような蒸し暑い空気と全く涼しさの欠片もない風を感じた。それでも火照った体を冷やすには十分だった。

 見上げた空には月は見えず、明るい星だけが空で瞬いて見えた。

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