第16話

翌朝、吾輩は冷たい空気の中で目を覚ました。昨夜の出来事が心の中で静かに燃えている。ボスとリリーと共に、あの巨大なグリズリーに立ち向かい、群れを守り抜いた記憶が誇らしくもあるが、何かが胸の奥にずっしりと残っている気がした。


「この地で本当に生きていけるのだろうか?そして…家族に戻ることはあるのだろうか?」そんな思いが心をかすめるが、吾輩はかぶりを振って冷静さを取り戻した。今はまず、目の前の一日一日を生き延びることが先決だ。


その日も、群れは食料を探して森を歩いた。吾輩はボスの指示に従い、慎重に足音を殺しながら周囲に気を配った。寒さに体が少しずつ慣れてきたのか、以前よりも雪をかき分けるのが楽に感じられるようになっていた。


途中、リリーが吾輩に近寄ってきた。「昨日は本当に立派だったわね。家犬だったあなたが、こんな風に野生で強くなれるなんて」と、柔らかな目で吾輩を見つめている。


吾輩は少し照れくさくなりながらも、「吾輩はただ…この場所で生きるために必要なことをやってるだけや」とそっけなく答えた。だが、リリーの優しい視線が吾輩の心を温かく包んでくれた気がした。


その時、ボスが群れの皆に警戒を促した。「静かにしろ、近くに何かいる」と低くつぶやく。吾輩はピンと耳を立て、鼻をひくつかせると、森の奥から微かな異臭が漂ってきた。それは何かしらの腐臭で、危険の兆しを感じさせるものだった。


ゆっくりと森の奥へ進むと、見覚えのない物体が雪の中に転がっているのが見えた。近づいてみると、それは動物の死骸だった。大きなシカが傷だらけで横たわっており、その周りには、何かが残した爪痕がくっきりと刻まれていた。


「これは…グリズリーの仕業か?」と吾輩はつぶやいたが、ボスは首を振った。「いや、グリズリーのものではない。これはもっと小さくて俊敏な何かだ」


ボスはさらに警戒を強め、吾輩に目で合図を送り、「お前も気を抜くなよ」と小声で伝えてきた。吾輩は身を低くし、周囲の気配を探りながら進んだ。リリーも緊張した面持ちで吾輩の横に寄り添い、森の中を進む。


突然、茂みの影から素早い影が吾輩たちの方へ飛び出してきた。それはカリブーの子供だった。必死に雪を蹴り、逃げようとしているが、後ろから何かが追いすがっているのが見えた。


その「何か」は、大きな体に黒い毛並みをした一匹のオオカミだった。その鋭い目は飢えに満ち、周囲を威圧するような力強さを感じさせる。ボスやリリーとは違う、完全に野性に染まった獰猛な存在がそこに立っていた。


オオカミはカリブーの子を追い詰めながら、吾輩たちにも視線を投げかけてきた。「この地に、余所者が入る余地などない」と、まるで宣言するかのような鋭い目つきだ。


ボスが低く唸り、群れの皆を守るために前に出た。「ここは俺たちの狩り場だ。お前に荒らされる筋合いはない」


オオカミは軽く鼻で笑い、「そうか。だが、俺にはこの土地の掟など関係ない。強い者が生き残り、弱い者が死ぬ、それが自然の摂理だ」と、冷たく言い放った。


吾輩はその言葉に胸がざわついた。これまで群れの仲間と共に助け合ってきた吾輩にとって、彼の冷酷な理論はあまりに無情に思えた。だが、同時に、この荒々しい土地の真実でもあるのだ。


「お前、家犬のくせにここで生きていけるとでも思っているのか?」とオオカミが吾輩に鋭い視線を向ける。


吾輩は一瞬怯みかけたが、ボスやリリーの存在を感じながら、強い口調で言い返した。「吾輩は、仲間と共にこの地で生きていく覚悟がある。家犬やったかもしれんが、それが何や」


オオカミは少し驚いた顔を見せたが、すぐに表情を引き締め、「覚悟があるか。だが、覚悟だけではこの地では生き残れない。お前もいずれ、それを知ることになるだろう」と、吾輩を冷ややかな目で見つめた。


その後、オオカミは軽く体を翻し、森の奥へと消えていった。その背中を見送りながら、吾輩は胸の中に熱い何かが湧き上がるのを感じていた。彼の言葉に屈することなく、自分の意思を貫いたことに、微かな誇りを感じていた。


ボスが吾輩の背を軽く押し、「よくやった。お前は少しずつこの地に馴染んできている」と言った。リリーも微笑み、「あなたはもう立派な仲間よ」と優しく囁いた。


この冷たいアラスカの大地で、吾輩は確かに変わりつつあった。家族の温もりが恋しい気持ちは消えないが、ここでの生活が吾輩の中に新たな強さを育んでいるのを感じる。


吾輩はただのイッヌだったが、今ではこの地で生きる「野性の仲間」としての誇りを持ち始めていた。

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