第13話
吾輩は灰色の狼の背中を追いながら、雪深い大地を歩いていた。アラスカの荒涼とした風景が広がり、寒さは容赦なく吾輩の体にしみ込む。しかし、狼の足取りは実に軽やかで、雪をものともせず前へ進んでいる。そのたくましい姿を見ていると、吾輩の中に妙な感情が芽生え始めた。「吾輩もこんな風に強くなれるのだろうか」という疑問と、どこか微かな憧れが交じり合っている。
「お前、寒さに弱いな。家犬ってのは、これだから困る」灰色の狼がちらりと吾輩を見やり、鼻で笑う。
「いや、吾輩は…ただ、まだ慣れとらんだけや」と吾輩は精一杯に返したものの、震える足が言葉に反しているのを自分でも感じていた。
「慣れだと?」狼はその答えに呆れたように鼻を鳴らした。「この地に生きるには、慣れなど意味がない。野生に身を置く者は、ただ生きるための力を持つのみだ。覚えておけ、ここはお前の知っている世界とは違う」
吾輩はその言葉に返すことができなかった。ただのイッヌとして家族と平和に暮らしていた吾輩にとって、目の前の狼が語る「野生」というものは、どこか別の次元の話のように思えたのだ。しかし、家族の元に帰るためには、この厳しい地を生き抜く力を身につけなければならない。それだけははっきりしていた。
そうこうしていると、吾輩の前に一頭の白い狼が現れた。その白い毛並みは美しく、彼女は静かに吾輩を見つめている。瞳は優しくも鋭い輝きを放ち、吾輩はその視線に思わず目をそらしたくなったが、何かに引き寄せられるようにその場に留まった。
「あなたが、噂の家犬さんかしら?」彼女が柔らかな声で尋ねる。吾輩は彼女の言葉に少し戸惑いながらも、うなずいてみせた。
「吾輩は、ただのイッヌや。名前はないが、ここでは意味のないものになってしもた。で、そっちは…?」
彼女は微笑んで答えた。「私はリリー。この群れの一員よ。あなたの噂を少し耳にしたの。野生の中で生きようとしているイッヌがいるってね」
リリーという美しい白い狼は、吾輩をじっと見つめ、その瞳にはどこか懐かしさが宿っているように感じられた。家犬としての自分に誇りが持てず、ただ戸惑いの中にいる吾輩とは対照的に、彼女はこの大地にしっかりと根を下ろしているように見えた。
「リリー、お前が相手をするのは無駄かもしれんぞ」と、灰色の狼が軽く笑った。「彼はまだ自分が何者なのかさえ分かっていない」
吾輩はその言葉に少しカチンときたが、反論する言葉が見つからなかった。確かに、今の吾輩は家族と共に過ごしたぬるま湯のような生活しか知らない。彼らのように野生に生きる術も覚悟も持ち合わせていないのだ。
リリーはそんな吾輩の内心を察したかのように、そっと近づき、「家族が恋しいのね?」と優しく囁いた。
吾輩はうなずくことしかできなかった。この冷たい荒野で一匹ぼっちでいると、どうしてもあの温かい家族の顔が脳裏に浮かんでしまうのだ。キッズの笑顔、スマホママの愛情深い手、なんJニキのからかい、そしてタケルの気楽な声。それらが吾輩の心に柔らかな灯火をともしているのを感じる。
「けれど、この地で生き抜くには、強くならなければいけない」とリリーは続けた。「あなたが本当に生き延びたいと願うなら、この地での掟を学び、そして受け入れる必要がある」
リリーのその言葉に、吾輩は心の中で何かが呼び起こされるのを感じた。自分がただ家族に頼るだけではなく、今ここで自らの力で生きるための決意が必要だということが、少しずつ理解できるようになってきたのだ。
「ほんなら…教えてくれへんか?この地で生きる術を」と、吾輩は覚悟を込めてリリーに頼んだ。
リリーは小さくうなずき、そして灰色の狼にも目配せをした。「ボス、彼に生きる術を教えてあげて」
ボスは不満げに鼻を鳴らしつつも、どこか興味深そうに吾輩を見下ろした。「いいだろう。ただし、甘えることは許さない。ここで生きる者には、誰も手を貸してはくれない。それでも、お前にやる気があるなら、ついて来い」
こうして吾輩は、リリーとボスに導かれる形で、この冷酷なアラスカの地での「野性の掟」を学ぶことになった。寒さ、飢え、そして命を奪い合う荒々しい自然の中で、吾輩の心に眠っていた本能が少しずつ目覚め始めていく。
吾輩はただのイッヌだった。しかし、今はこの厳しい世界に身を置き、かつての自分とは異なる何かに生まれ変わろうとしているのだ。
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