第12話

吾輩はイッヌである。名前は、まだないが、今となっては何の意味もない。吾輩は、どうやらここアラスカの広い雪野に取り残されてしまったらしい。つい先ほどまでは、家族と一緒に賑やかな車に乗り、うとうとと心地よい昼寝を決め込んでいたのだが、ふと目を覚ますと、あの暖かな車も家族の声も見当たらず、ただただ広がる白い雪と冷たい風ばかりが吾輩の周りを吹き抜けている。


「これ、ちょっとしたドッキリやろ?」と、吾輩はその場で「ワン」と鳴いてみる。しかし、返ってくるのは風の音だけである。周りを見回してみても、遠くまで白い雪が続き、そこには吾輩一匹のみ。だが、この寒さは冗談にしては少々骨身にしみるようで、冗談でない可能性がじわじわと心に染み込んでくる。


吾輩はこの冷たい風をじっと耐えながら、まずは立ち上がって周囲を見渡した。見渡す限り、どこにも家族がいる気配はない。いつもならキッズが「イッヌちゃん」と優しく呼んでくれるはずだが、今はその声が聞こえない。スマホママやなんJニキもいないし、タケルもあの軽い調子で「おい、戻ってこーい」などと言ってくれるわけでもない。どうやら、これは本当に吾輩一匹で、ここで生きていかなければならないらしい。


雪の上に立ち、吾輩は再び「ワン」と声を上げてみたが、どこか虚しい響きがするばかりだ。家族のもとでのんびりと過ごしていた吾輩にとって、この広くて厳しい自然はただの「寒い場所」だったはずだが、今はその寒さが皮膚を刺し、足の裏からじわじわと体にしみてくる。


「どうしたもんやろな…」と吾輩はため息をつき、ふと自分の足跡を見つめた。雪の上にくっきりと残る吾輩の足跡が、一歩一歩、ただ自分のためだけについているのを見て、思わず少し震えた。これからどこへ行くのかもわからない。だが、ここでじっとしているわけにもいかない。


そうして吾輩は、意を決して雪原の中を歩き始めた。冷たい風が容赦なく吹きつけてくるが、足を止めてはいけない。今はただ、一歩でも前に進むしかないのだ。


しかし、歩き始めた吾輩の背後から、どこか遠くで低く唸るような声が響いてきた。振り返ると、そこには見慣れぬイッヌの姿がある。いや、イッヌではない。灰色の毛並みと鋭い目をした、それは「狼」であった。吾輩は思わず息を呑み、彼の視線を受け止める。


「お前、こんな場所で何をしている?」


低く響くその声に、吾輩は少しだけ震えながらも返事をする。「…吾輩は、ただのイッヌや。家族が…気づいたら、どこにもおらんようになってしもてな」


狼はその言葉に何かを感じ取ったのか、少し鼻をひくつかせて冷たい目で吾輩を見下ろす。


「ここはお前のようなイッヌが来る場所じゃない」と、狼は言った。その目には、何か試すような光が宿っている。「だが、お前に生き残る意思があるなら、俺について来い。ここで凍えて死にたくなければな」


吾輩はその言葉に背筋が凍りつくような思いがしたが、同時に彼の言葉に抗いがたい何かを感じていた。都会のイッヌとして、ただ家族の傍らで穏やかに生きるだけだった吾輩にとって、この言葉は「野性の呼び声」として胸に響いてくる。


「ほんなら…頼もうか」と、吾輩は小さくうなずき、狼の後について歩き出した。


吾輩はただのイッヌだ。しかし、今、この冷たい大地で彼らと共に生き延びるための力が必要だと、本能が囁いているのを感じたのだった。

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