吾輩はイッヌである

第10話

家の中が静かになってから数週間が経った。天才イッヌ騒動はすっかり落ち着き、家族も普段の生活に戻りつつあった。スマホママはインスタで普通の投稿を再開し、タケルもなんJニキも、何事もなかったかのように日常を楽しんでいる。

しかし、ある日、キッズが元気なく家に帰ってきた。その日は、いつものように「イッヌちゃん、ただいま！」と明るく声をかけてくれなかった。吾輩は心配になり、キッズのそばに寄り添った。

キッズは吾輩をじっと見つめ、ぽつりと言った。「イッヌちゃん、私、学校でみんなにいろいろ言われちゃった…」

どうやら、学校で「天才イッヌの家の子」として注目を集めたことで、同級生から変な視線を向けられたり、ちょっとしたからかいを受けているようだった。最初は誇らしかった「天才イッヌの家の子」という称号も、次第に負担となり、キッズを悩ませるようになっていたのだ。

「イッヌちゃん、みんなが『お前んちの犬、ほんとはすごくないんだろ？』とか『お前も天才なの？』って…嫌なこと言うの」と、キッズは少し涙ぐんでいる。

吾輩はその姿に胸が痛んだ。家族を見守り、時には笑いながらもどこか冷静に距離を保ってきた吾輩だが、キッズだけは特別だ。吾輩にとって、彼女は唯一無二の友であり、彼女が悲しむ姿を見るのはとても辛かった。

「ワン」と、吾輩は小さく吠え、キッズの手を優しく舐めた。キッズはその温もりに少しだけ微笑み、「ありがとう、イッヌちゃん」と吾輩に寄り添ってくれた。

その夜、吾輩はキッズの部屋にそっと入り込み、彼女の隣で眠ることにした。彼女が小さな寝息を立てているのを聞きながら、吾輩は心の中で彼女を守りたいと強く思った。

そして翌日、キッズは再び学校に行くために吾輩に「行ってきます」と声をかけた。彼女の表情は少し晴れていたが、まだ心に残る不安が完全に消えていないことは吾輩にもわかっていた。

「やれやれ、ほんまに人間の世界も大変やな」と、吾輩は独りごちた。だが、それでも彼女が元気を取り戻すために、吾輩にできることがあるかもしれないと考え始めた。

その日、吾輩はリビングで静かに昼寝をしながら、何かしら彼女を助ける方法を思案していた。すると、なんJニキがやってきて、吾輩の目の前でスマホをいじりながらつぶやいた。

「やっぱ、イッヌが普通のイッヌだったってオチのほうが面白いかもな。普通で何が悪いってな」

その言葉に、吾輩はピクリと耳を立てた。

なんJニキは何気なく言った言葉かもしれないが、吾輩にはその意味が少しずつわかってきた。普通であること、何も特別でないことが、本当はどれだけ尊いことなのか。それをキッズがわかってくれたなら、きっと彼女も安心するだろう。

吾輩は翌日、学校から帰ってきたキッズを玄関で出迎えた。彼女が吾輩を見つけると、少し笑顔を見せてくれた。

「イッヌちゃん、私ね、思ったんだ。イッヌちゃんが普通でいてくれるのが一番なんだって」と、キッズが言った。

吾輩はその言葉に感謝を込めて「ワン」と一声鳴き、彼女に寄り添った。

キッズは心の中で何か吹っ切れたのか、もう他人の言葉に振り回されることはないように見えた。彼女が穏やかに吾輩を撫でている時、吾輩は「やっぱりワイはただのイッヌでええんや」と再確認する。

吾輩にとって、特別である必要はない。キッズにとって、そして家族にとって、ただそばにいてくれる存在がどれだけ大切なことなのか、彼女の温かい手から伝わってくる。

こうして、吾輩とキッズは改めて「普通でいることの幸せ」を感じながら、静かな日常に戻っていくのであった。