第3話

 茫然と歩いていると自転車を不動産屋に停めたままであったことを思い出した。引き返そうと視界を横に向けると、ホテルがあった。普段は気にもしていないローカルホテルだった。歩美は見開いた。あの点滅が終わるまで、このホテルに泊まろう。

 ホテルの受付は閑散としており誰もいなかった。呼び鈴を鳴らすとポマードでがっちりと固めたホテルマンが出てきた。

「宿泊のご予定は?」

「一泊ですけど、場合によっては二泊になるかもしれません。大丈夫ですか?」

「かまいません。ただ早めにおっしゃっていただけますと幸いです」

 通された部屋はきれいにされていたものの、古びた印象が否めなかった。壁はどことなく黄ばんでおり、エアコンは完全に日に焼けてクリーム色だった。子どもの頃住んでいたアパートのエアコンを彷彿とさせた。濃い茶色のテーブルはところどころ傷がついており、本来の木の色が覗いている。

 何よりもうれしいのはこのホテルの通路は蛍光灯ではないということだった。

「このライトってLEDですか?」

「え、ええ。おそらく……」

 念のためにホテルマンに尋ねていたのだ。露骨に不審がられたがかまいはしない。LEDなら半永久的に持続するので点滅することはあり得ない。

 両手を振ってベッドに飛び込んだ。ふくらはぎのなかにめいっぱい疲労を溜め込んだという例えがふさわしいくらいには疲れ切っている。安堵感を抱くと瞼が途端に重たくなってくる。明日は日曜日だ。とりあえず日曜日まではここにいておこう。

 カーテンがわずかに揺れた。隙間から何か見えるような気がする。気のせいだと思っても誰から見つめている気がする。上体を起こしてベッドから降りた。足の裏をゆっくりと床に落とし、慎重にカーテンへと近づいた。一気に開けると、三人の中年の男女が蒼白な顔で歩美を睨みつけ、「ははは」と笑っていた。悲鳴が喉に突っかかって出てこず、すぐにカーテンを閉めた。完全に力が抜けてへたり込んだが、なんとか這いつくばってドアに向かう。

 ドアノブに手をかけて開けて通路に出た。だが、廊下に轢いてあるカーペットの色が濃淡を繰り返している。歩美は鼓動が大きく荒れた。上を見ると、LEDライトが点滅している。ドアに体を寄せながら違和感に気づいた。ドアの上方には『201』と記載されていた。

「なんで……」

 部屋を予約するときは、四〇五号室だったはず。

 ドアノブがゆっくりと押し下げられた。反射的に歩美はドアから離れ、ガラス窓に体をぴたりと密着させた。

「誰か助けて!」

 叫ぶが誰も来る気配がない。いや、どの部屋にも人がいる気配すらない。金属のさび付いた音を鳴らしながらドアがじらすように開いていく。ドアの奥に広がっているのは歩美の部屋だった。

 歩美の悲鳴はホテル中に響き渡った。ガラス窓に体を押しやると背中に異常な冷気を感じた。振り返るとさきほどベランダにいたうちの一人が窓の外側から歩美を見つめていた。廊下へ繰り出そうとすると目の前にはまた男がいた。ならば反対へと向かおうとするとまた頭の割れた男が突っ立っていた。

「やめて! お願い!」

 歩美はどの開いた部屋に入っていった。やはり間取りや家具、小物に至るまで昼間のままだった。三人の男と女も部屋に入ってくる。

「来ないで! 来ないで来ないで来ないで」

にじり寄ってくる三人は異様な冷気を漂わせ、歩美をベランダに追いやった。

「おちろ、おちろ、おちろ」

 三人の呪詛のような声が歩美の耳を蝕んだ。二階なら死なないかもしれない。歩美は壁に足をかけ、三人から逃げるように体を宙に浮かした。しかし、落ちる気配はない。宙に浮いたままだった。それどころかみるみる上昇していった。

「もうやめて!」

 歩美の悲鳴と同時に体は一気にアスファルトに吸い込まれていき、頭から落下した。

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笑う蛍光灯 佐々井 サイジ @sasaisaiji

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