第4話 魔狼(1)

 魔物と化して能力が上昇する代わりに、慎重さを失って凶暴さを増す個体が多い。僕の前に出てきたのも、そうしたうちの一頭なのだろう。


 だからこそ慎重な魔物はより危険なんだけど、今はそんなことを考察してる場合じゃないよね。


「頼みはこの短剣のみ。アハハ、変な笑いがでてきたよ」


 どうやら僕は絶望すると、妙におかしくなってしまうタイプの人間だったらしい。


 短剣を持つ手は震え、しっかり握れているかも怪しい。脚もガクガクだ。これではまともな踏み込みなんてできないだろう。


 そもそも僕は付与師であり、戦闘の訓練を受けたことがない。いくら特効の武器があるとはいえ、使いこなせなければ意味がないのだ。


 魔狼が右足を前に出す。普通の狼よりも黒っぽい肢体は無駄なく鍛えられていて、一般人など容易く仕留められそうだ。


「そうだ。僕には鑑定という武器もあるじゃないか」


『種族:魔狼

 名前:なし


 群れを迷子になった個体。普段は若手の有望株として調子に乗っているが、実際はさほど能力も高くなく、若手には嫌われている。


 生命力:60

 魔力:15

 腕力:25

 体力:15

 敏捷:35

 状態:怯え』


 ……おう。なにやら辛辣な説明があるんですが。


 いい仕事してると鑑定さんを褒めればいいんだろうか。


 まあ、とりあえずさすがは最高レベルの――ん? ちょっと待って?


「……怯え?」


 僕がなんとなしに短剣を前に出すと、魔狼がビクッとして一歩後退りした。


 どうするべきかわからず、ジッと見つめること数秒。魔狼がガウガウワウワウとこちらを威嚇するように吠えだした。犬か。


「う……うわあああ!」


 似合わないと知りつつも、こちらも大きな声で対抗すると、たちまちビクつきをひどくする魔狼。完全に見掛け倒しである。


「でも、油断は禁物だよね」


 以前にレイーシャに聞いた話によれば、装備がない限りは攻撃力は腕力を、防御力は体力が基になるという。


「腕力の25がそのまま攻撃力だとすると、防具を装備していない僕は一撃で殺されちゃう。それに向こうの体力も人間に比べて高い」


 ……のだけど、考えてみれば魔狼側も、僕の持つ短剣が当たれば確殺なんだよね。


 となれば怯えるのも当然……なのかな? ううん、わからないや。


 考えるのはあと回しにして、追い払うべく踏みだしてみる。


 自分で聞いても力が抜けそうな雄叫びしか上げられないのが、なんとも情けない。


 しかし効果は抜群だ。


 汗をかいているのが見えそうな焦りぶりで、魔狼がバックステップで距離を取る。魔物の特徴で赤く染まった目は、常に右手の短剣を捉えていた。


「魔物の本能なのかな。この短剣が危険なのがわかるんだ……あ、もしかして付いたっていう魔狼殺しの称号の方かな」


 短い時間で考察をしていると、魔狼が目つきを鋭くした。


 犬っぽいなんて思ってみても魔物は魔物。怖いものは怖い。


 失禁しそうになるのを堪え、深呼吸をして向こうの出方をうかがう。


 すると大きく息を吸い込み、魔狼は遠吠えを始めた。


 まさか……助けを求めた!? 僕みたいな弱そうなのと一対一なのに!?


 いや、弱そうなのは自己判断なだけで、向こうには魔狼殺しの影響でとてつもなく強大な敵に見えてるのかもしれない。


「囲まれたらどうしようもない。逃げるか、早く前の敵を倒すか……!」


 悩んでいる余裕はないというのに、すぐの決断ができない。戦士とすれば致命的だが、生憎と僕はただの付与師である。


「どうしよう、どうしよう、どうしよう」


 半ばパニクっておろおろしていると、魔狼がニヤリと笑ったように見えた。


 そして時間が経過していき、けれど、この場には誰もこなかった。


「ガウ!?」


 今度は魔狼が焦りだした。


 彼か彼女かは不明だが、どうやら相手の想定では、とっくに助けがきていないとおかしいようである。


「……もしかして君も追放された系?」


 なんとなくそんな気がして話しかけると、人間の言葉が理解できるのか、魔狼は「キュウン」と肩を落とした。


 やっぱり犬っぽいという感想はさておき、僕はおっかなびっくり近付いてみる。


 兄の目には、僕も調子に乗っているように見えたのだろう。そしてきらわれた。


 そのことを思うと、どうにも目の前の魔狼を他人みたいに思えず、僕はフッと微笑んで静かに左手を伸ばし……容赦なく食われそうになった。


「あぶな!? いきなりは卑怯だと思うんだ!」


 抗議してみたが、魔狼は舌打ちしそうに悔しがるばかりで、こちらの言葉を理解しているとは思えない。


 恐らくは僕の態度で敵意が薄れたのを感じ、不意をつくために演技をしたのだろう。ずいぶんと知恵が回るようだ。さすが元は狼。


 迂闊にも間合いを詰めたことにより、敵は自慢の俊敏性を活かして急所である喉を狙ってくる。


 手脚をバネみたいに使い、飛び跳ねる速度はかなりのもの……なはずなんだけど。


「なんか遅い……」


 サイドステップで回避し、背中を向けて着地した魔狼を斬りつけてみる。


「先に不意打ちをしてきたのは君なんだ。卑怯だという文句は受け付けないよ」


 自分で考えていた以上に身体がスムーズに動く。頭でイメージしたままに、魔狼の厚い皮をものともせずに切り裂いた。


「ひいいッ!?」


 噴水みたいに真っ赤な血が舞い、慌ててその場を飛び退く。


 血に慣れてない僕にとって、この光景だけでも十分な恐怖だ。


「ガウアアア!」


 魔狼がかなりのダメージを負いつつも、反転してこちらを睨みつける。


「あ、あれ? 短剣の攻撃力なら一撃のはずなのに……」


 見た感じで、致命傷には至ってないのがわかる。


 事ここに至って敵も覚悟を決めたのか、低い声で唸りだし……また遠吠えを行った。


 人間で言うなら、助けてと泣きわめてるのかもしれない。


「こ、こうなったら、とどめを……でも、うう、怖い……」


 武器が優れていても、扱う人間がヘタレだと役に立たない典型だった。


 それでもなんとかしようと、頬に冷や汗を流しながら距離を縮めようとした時、森の入口の方から「誰かいるのか!」と声が聞こえた。


 僕と魔狼の視線がそちらを向く。


 ふくらはぎ近くまで伸びている雑草を掻き分け、こちらへやってきたのは白銀のフルプレートアーマーを装備した女性らしき人間だった。

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