第28話 *

 きっとこんな日は、もう二度とない。

 私が新しい恋をする頃、有馬には彼女が出来ているかもしれない。だって有馬類はいつだって特別な「話題の人」だもん。有馬を想っている子も星の数ほどいるだろう。その中には美人や可愛い子や頭のいい子もいて、有馬はその中の誰かと恋に落ちて、今日のことなんて忘れるかもしれない。

 

 それがちょっと寂しいと思うのは、我儘だろうか。


「あのさ、来週の日曜って暇?」

「……来週?暇だけど、なんで?」


 無意識に俯いていた顔を上げて隣を見ると、悔しいくらいに綺麗な輪郭に、胸の奥が苦しくなった。


 有馬は明日からも、私を見てくれるだろうか。

 話しかけたら、笑ってくれるかな。


「デートしない?」


 そう言った横顔が、すっと私の方を向いた。


「え……デート?」

「今度は、17歳の相良星名とデートしたい」


 優しく目を細めて言った有馬の言葉は、まるで難しい数学の公式のようだった。その意味を理解するのに、脳は暫く停止してしまった。


「聞いてる?」

「あ、えっと」


 瞬きをして、真っ直ぐに有馬を見る。

 有馬は、何を考えているの?


「ねえ相良、キスしてもいい?」

「キス?」

「うん」

「な、なんで?」


 その距離が、さっきまでよりも近づいた気がする。


「デートだし、相良は可愛いし」

「な、何言ってるの?」

「星名」


 その唇が、私の名前を紡ぐ。

 甘い響きに、何かが崩れていく音が聞こえた。


「あ、ありま」


 ドキドキして、おかしくなりそうだった。

 近づいてくる有馬のことを、好きになりそうだった。


 だから必死で瞼を閉じた。


 有馬が王子様だったら良いのになんてバカなことを考えた直後、私の頬にその唇が優しく触れた。きっとあと数ミリずれていたら、唇に重なっただろうキス。


「あ、あの、ほっぺ?」


 驚いて目を開けると、意地悪な瞳につかまった。


「期待した?」

「違うっ!だって!」

「いつかはするけどね」

「へ?」

「相良が俺を好きになったら」

「私が、有馬を?」

「うん。その時は相良星名の全部を貰う」

「えっと、あのつまり有馬は……」


 戸惑う私の横で、有馬は「帰るか」と立ち上がった。


 9月の夜空の下、その背中が先を進む。

 まだ立ち上がることの出来ない私は、突然目の前に現れた新しい道に、踏み出すことを戸惑っていた。


 恋を始める時、どんな言い訳が必要ですか?

 どんな理由で人を好きになる?


 わからなくても、二人でなら始められるだろうか。


「星名」


 有馬類が私を呼んだ。

 月よりも綺麗な瞳に、私だけを映しながら。


「好きだよ、星名」


 その手はまだ、私を離さない。


「だから俺とデートしよう」



 相良星名、17歳。

 まだまだ子供な私は、来週デートをする。

 17歳の、有馬類と。






ダンスホール・セプテンバー

    第1章・完


 

   恋が、はじまった。

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ダンスホール・セプテンバー 卯花かなり @unohanak

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