2-1 こっからいい景色が見えるからついてこい

 月曜日は憂鬱な気持ちになりがちで、自殺者が多いと聞いたことがある。要するに休みという楽しみを満喫したあとに、学校やら職務やらと向き合うのが辛いっていう。そんな話。長期の休み明けは特にその傾向にあるとか。夏休みとかね。

 昨日は木曜日。今日は金曜日。明日は休み。そして私は女子高生。友達はそれなりに多くてオシャレを楽しんでおり、人生に一度しかない瞬間を謳歌している真っ最中。世間一般的に言えば、最高にハッピーな状況だと思う。だけど私の気分は最高に重かった。明日の休みを誰かに譲って解放されるなら、迷わずそうする。


 もう、帰らなきゃいけない。私は帰りのホームルーム後の、賑やかでどこかいろめき立った教室を少しだけ疎ましく思いながら、帰り支度を整えていた。私が勝手にママと喧嘩しただけなのに。楽しそうな表情でここにいる人達が、どうやったってウザったい。

 バイトも許されていない、人と遊ぶ予定もない私みたいな生徒は大人しく帰るしかないのだ。帰りたくなんてないのに。どこにも行きたくないのに、何かから逃げたがる心が、私をここから離そうとした。


「佐久」

「……三佳島?」


 低く、落ち着いた声に呼び止められた。私は鞄を背負ったばかりで、三佳島はまだ帰り支度を整えてすらいなかった。あんまり見てなかったけど、そういえば最後の挨拶の時に、立ち上がってすらいなかったと思う。要するに、爆睡してたんだ、コイツ。

 寝ぼけて私の名前を呼んだのだろうか。だとしたらお生憎様。今日の私は、結構機嫌が悪い。友達に当たりたくもないから、このまま一人で帰るつもり。


「……悪いけど、私、もう帰るから」


 三佳島の返事を聞く前に、彼女に背を向けた。なんでって、なんか言われたら嫌だったから。なんかあった? とか。話聞くよ、とか。そういう白々しい仲良しごっこが、昔から好きじゃない。捻くれてるって言われそうだけど。

 三佳島の口から、もしそんな言葉が飛び出したら、私はがっかりすると思う。単純に一人になりたいだけなんだけど。なんで一人になりたいかっていうと、それらが関係してるんじゃないかなって。人付き合いは大事だけど、人と付き合わない時間も同じくらい大事なんだ。私にとっては。


「今日じゃないと意味がないのでダメ」

「は?」


 私の手首を掴んで、彼女は立ち上がった。反対の手には鞄を持っている。どうやら教室に戻るつもりは無いようだ。そして、急にズンズンと歩き出す。ちょっ、そっちから引っ張られると、私の肩外れそうになるから。


「痛い痛い!」

「可哀想に」

「お前のせいだよ!」


 こいつ、もしかして人と手を繋いで歩いたこととか無いの?

 ……うん、無さそう。普通分かるでしょってこと、普通に分からないって言いそう。それはまだいいとして、痛いって言ってるんだから気にしろよ。


 拙く強引な三佳島に翻弄されながら、私はふらふらどかんという勢いで教室を出た。

 廊下に出てからも三佳島は止まらなかった。急いでたと思っていた歩調が急に緩やかになる。なんだか不自然な歩き方だと思い、少し上にある彼女の顔を見つめた。


「どこに連れて行かれるのかは分からないけど、急いでるなら走るけど?」

「確かに急いでいた。だけど、急ぐ必要はなくなった」

「間に合わなかった臓器ドナーになった気持ちだよ」


 急ぐ必要がなくなったって、そういうことだろう。なんだろう、今日は凹むことばっかだな。


「逆。間に合いそうだから、急がなくてもいいかなって」

「……どこに連れてく気?」


 昇降口に着くと、三佳島は上履きからスニーカーに履き替えた。どこに行くのか分からなかったけど、彼女がそうするなら私もそうするまでだ。

 もうここに戻ることはないようなので、三佳島に倣って鞄も持っていく。このまま真っ直ぐ帰りたい気持ちは、実はまだちょっとあるんだけど。これほど強引に私を、いや、誰かを連れ出そうとする三佳島なんて見たことがなかったから、ちょっと興味が湧いたっていうか。帰っても予定はないしね。


 彼女は私が靴を履き終えるのを静かに待った。絶対に勘違いなんだけど、それを通り掛かったり同じように帰ろうとしている生徒達に見られているような気がする。

 ポケットに手を突っ込んで、のんびりと私の「行こ」を待っている三佳島だけど、当然これまで通りのキャラクターという訳にはいかなかった。先日の貼り紙事件から、「あの人頭おかしいのでは?」という噂がまことしやかに流れ始めているようだ。噂じゃないんだけどな。

 しかし、私の友達はまだ「あの三佳島さんがそんなことするワケないじゃん」派である。私はローファーを履き終えると、声を掛ける前に、三佳島を観察した。


 無表情、すらっとしてる、かっこいい。それは知り合う前の三佳島の印象そのものだった。そう、やっぱり黙ってたらすごく絵になる女なんだ。ただちょっと定期的に狂うだけ……。

 今日は変なこと言われないといいな、と思いつつも、三佳島の名前を呼んだ。


 にしても、まさか外に連れて行かれるとは。さらに、そのまま校門に向かうと思われた足取りは、ギュインと急カーブを描いて敷地内の裏山へと向かった。え……? まさかと思うけど、三佳島、私のこと埋めたりしないよね……?

 頑なに行き先とそこで何をするのか告げられなかった私は、怯えきっていた。だって、放課後に裏山なんか行く?

 小学生ならまだしも、女子高生がさ。マジで何?


「あの、三佳島、なに……?」

「もしや、裏山に登ると思っている……?」

「裏山しかねぇだろうがよ、この道はよ」


 恐怖でめちゃめちゃ口が汚くなってしまった。しかし、主張としておかしいことは言っていない。これ以上進むなら事情を説明しろと言う私と、困った様子の三佳島と。数秒睨み合ったものの、折れたのは三佳島だった。


「仕方ない。裏山のさらに裏。学校側からは決して見えないところに、花壇があるのは知っている?」

「え……? 知らない……」


 内心では、ウソでしょう? なんて、ちょっとだけ思っている。だけど、それは私が聞いたことがないだけ。私達の通う学校はこの辺では最も歴史が深い建物で、戦前の資料が出てきたりなんて話はこれまでにもあった。

 生徒から見えないところに、ちょっとした花壇があるくらい、可能性としてはなんら不思議ではないというか。


 もうすぐだから。そう言ってどこか嬉しそうに私を見つめる三佳島の顔が、ウソをついているようには見えない。差し出された手を取って、顔を覗かせると……。


「わぁー……! マジで綺麗じゃん……!」

「うん。佐久、好きそうと思って」


 目の前に広がる光景を見つめ、これを花壇と表現した三佳島を叩きたくなった。確かに、花壇はある。だけど、それだけではない。緑生い茂げる藤棚まで設置されたそこは、ちょっとした憩いの場だった。

 忘れ去られた場所と呼ぶには手入れが行き届き過ぎている気がする。自由に咲き誇るバラや、等間隔で並ぶパンジーなど、ここに人の手が加わっていないというには違和感があるというか。さらに、雑草がほとんど見当たらない。不思議そうにする私を見兼ねたのか、三佳島はぽつりと呟いた。


「園芸部の人達が手入れをしているらしい。別に内緒にされているワケではないけど、わざわざこんなところに人が来ないから、知る人ぞ知るスポットになっているとか」

「へぇー……こんなに綺麗に手入れされてのに、見てもらいたくなったりしないのかな」

「こっち」


 三佳島に手を引かれて背の高い植物の後ろに周り込むと、そこには花壇に背を向ける形でベンチが設置されていた。植物と似たような色をしていて保護色みたいになってるのが気になるけど、細かいことは言いっこ無しだ。

 こんな素敵な空間を背に休憩するだなんて、なんだか背徳的な贅沢を感じる。


「座って」

「う、うん」


 私が腰掛けると、三佳島は当然のように隣に座った。振り返ると花壇が見えるかと思ったけど、私達が迂回してきた植物に阻まれて、あまりよく見えなかった。少し頭を動かすと、視線の向こうで陽が沈もうとしている。

 そこで、時間が無い、という三佳島の言葉を思い出した。そうか、ここで、夕暮れを私に見せたかったのか。この素敵な場所で。


 ちょっとロマンチックなところがあるんだな、とか。三佳島って意外にも植物とか好きなんだな、とか。色々と思うことはあったけど、今はその不器用な優しさに甘えることにした。

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