2-2 こっからいい景色が見えるからついてこい


「三佳島、なんか、ありがとね」

「え?」

「実は、昨日ママと喧嘩しちゃってさ」


 私はゆっくりと話し始めた。ママに「知り合いから猫を引き取るかも」って言われて、楽しみにしてたこと。でも、他の人に先に貰われちゃって、なかったことになっちゃったこと。喧嘩したけど、ママが悪いわけじゃないって、分かってること。

 人に話してみると、改めて私が悪かったなって思う。


「残念だったと思うけど……猫はまたチャンスがあれば引き取れる」

「うん」

「生き物だから、環境やタイミングというものがある」

「そうだね」


 そこまで話すと、三佳島はスマホを取り出した。画面を点けて、すぐに消す。時刻を確認したようだ。私の肩に腕を回し、ぐっと背を丸めるように力を加えてきた。え、何? 顔近いんだけど。


「ちょ、ちょっと……?」

「見せたいものがあると言った」

「だから、この場所でしょ? あと夕陽?」

「違う」

「え」


 違うんかい。私が絶句して言葉を失っていると、背後から男女の声が聞こえてきた。それは段々と近付いてくる。

 植物の影に隠れている私達に気付くことはないだろうけど、というかそもそも隠れているつもりはないんだけど、やっぱりちょっとドキドキする。隠れるような配置だし、このベンチ。


 足音が止まると、沈黙が流れる。

 何が始まろうとしてるんだ……?


「こんなところ呼び出してゴメン! オレ、その」

「だからいいって。別に暇だったし。で、どうしたの?」

「えっと、オレ、木村のこと、前からいいなぁって思ってて、それで」

「え……」


 驚く女の子の声に被せて、私まで「え」って言いそうになったわ。急に告白が始まったんだけど。まぁ、雰囲気いいとこだし、告白には持ってこいかもしれないけど。

 それにしても道のりが長過ぎるわ。気がある相手ならそりゃルンルンで付いてくけど、呼び出してきたのが興味の無い相手だったら最悪だな。キレるかも。


「オレと付き合って下さい!」

「え、えーーー……」


 女の子は困ったように笑っている。植物の隙間から姿を窺うと、そこには下級生の色のリボンを付けた可愛らしい女子が立っていた。顔はあまり見えないけど、あの佇まいは絶対可愛い。

 でも、あの誤摩化すようなはにかみは、多分ノーってことだよね……男子、可哀想だな……頑張って告白したのに……。


「言うの遅いよーもー」

「……!」

「これから、よろしくね?」

「……っしゃー!」


 いやオッケーなんかい。女子なのに女心が分からなさすぎて辛くなってきちゃった。隙間から見える二人は、結局顔は見えなかったけど、手を繋いでここを離れていくのはしっかりと見えた。なんだよ、お幸せに。

 二人が居なくなり、やっと大きなため息をついた私だったが、三佳島はまだ背後の気配に気を配っているようだ。


「まさか告白の現場に遭遇するとは……びっくりしたね」

「びっくり? してない」

「しろよ、どんな心の構造してんだよ」


 なんだこいつ。普通驚くでしょうが。言いふらしたりはしないけど、人が話してきたのはつい聞いちゃう程度にはこういう話は気になるし。

 聞こうと思って聞けるもんじゃないから、ちょっとだけ貴重な体験をしたかもくらいには思ってるよ。


 三佳島がその手の話題に疎いのはなんとなく察していた。

 っていうか色恋沙汰に聞き耳立ててる三佳島なんて嫌だな。私の抗議を耳にした彼女は、声を潜めて告げた。


「元々これが目的だったのに、驚くなんておかしい」

「は……?」

「ここが告白スポットになるように、学校の掲示板に「17日の金曜日。夕陽が沈む前にここで告白すると幸せになれるとか……!?」という書き込みをしておいた」

「は???」

「佐久、こういうの好きかと思って」

「わざわざ生成しなくていいんだよ」


 悪趣味にもほどがあるだろ。しかし、三佳島の想像を正面から否定できるほど、私だって品行方正な人間ではない。

 私の表情の意味を読み取ったのか、またあのニヒルであどけない笑顔を見せた。


「でも、面白い。違う?」

「……まぁ否定はしないけどね」


 こうして私はため息一つ分、三佳島に対して素直になった。自分を正当化するつもりなんて無いけど、私はどちらかというと多数派だと思う。ベンチに座り直すと、打ち付けられたどこかが軽く悲鳴をあげた。


「お誂え向けの場所にベンチまであるのはすごいけど……気を付けて座らないと、音でバレそうだね」


 隠れて他所様の乗るか反るかの告白を見守ることについてはちゃっかりと受け入れつつ、私は現実的な問題へと目を向けた。三佳島は難しそうな、どこか残念そうな表情を浮かべて言った。


「うん。さすがにいきなりベンチを作るのは難しかった。日曜大工を舐めていたと認めざるを得ない。色は結構上手に塗れたと思うんだけど」

「え? 作ったの?」

「張り込むならあった方がいいと思ったので」

「なんでそんなガチなんだよ」


 本当になんなんだこの人。道理で変な色のベンチだと思ったよ。全体のバランスを考えたら、絶対に茶色の方が合うもん。


「あ、あんまり座ったままおしりを動かさない方がいい。かんながけ、上手にできなかったから」

「どこから作ったんだよ」


 まさか、裏山の木から……? いや、そんな部分を追求しても仕方がない。

 とりあえずこのベンチを作ったのは三佳島らしい、という事実だけ受け止めて、周囲に気を配った。


 誰も来ない。視線を空に移し、茜色に染まる雲を見つめた。

 こんな風にぼーっとするの、いつぶりだろう。公園は近所にもある。なんなら通学路にだって点在している。だけど、わざわざそこに足を向けたことなんて、ない。

 黙って見ていると、雲は想像していたよりも速いスピードで移動していく。あれって時速何キロくらいなんだろう。


 雲が形を変え始めたあたりで、土を踏む音が聞こえてきた。息を殺して、ゆっくりと背後を振り返る。そこには女子がいた。一人だけで。


「あーーーーーー呼び出したはいいけどどうしようどうしよう。死のうかな」


 なんでだよ。私はやけに後ろ向きな女子の背中を見つめて、静かに呆れていた。

 三佳島はなんかちょっとワクワクした表情をしている。死神か何かか、お前。


「はぁ……でも、言うしか……ない、よね……」


 女子は拳をぐっと握って、弱々しい決意を口にした。いま気付いたけど、あのリボン、同級生だ。声でピンと来ないから、おそらくは知らない子だけど。

 私は私の周りの子にしか興味が向かないけど、それ以外の子も普通に恋をして、頑張ってそれを実らせようとしているんだなんて、当たり前のことを突きつけられた気分だ。

 それに比べて私は、ママと喧嘩して凹んだり、翌日に引きずったりしてる。恋どころじゃない。みんな、すごいな。


 また足音が近付いてきて、目を凝らした。私が見ている子はずっと同じ場所に立っている。

 つまり……。


「こんなところに呼び出して、どうしたの?」


 現れたのは、落ち着いた声の、女子だった。思わず声をあげそうになったけど、慌てて口を押さえて事なきを得る。

 これには三佳島も驚いている。普段は切れ長な目を丸くして、まばたきをしていた。女の子が女の子を呼び出すのは、完全に予想外だったようだ。


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