1-3 あいつの背中にうんちって書いた紙貼っ付けてくるから見てろ

 翌日。その日は、昨日のやりとりなんて無かったかのように、三佳島は他人だった。授業中にちょっかいをかけてくることも、休み時間に話し掛けてくることもない。私にとっても、それが普通の学校生活だ。

 なんとなく物足りない気持ちになるのは、昨日の昼に変なものを見てしまったからだと思う。あれと比べると今日の時間には彩りが無いというか。退屈とは言わないけど、時間はそっけなく過ぎていった。


 今日は隣のクラスでグループのみんなが集まって食事をしているらしい。グループなんて言うと仲間意識が強いというか、それ以外の子を排他しているみたいだけど、別にそんなつもりはない。

 ただ、仲良くする子達を他になんて呼べばいいのか分からないから、私はあまり適切ではないと分かっていながらもその言葉を遣っている。実態は大した約束もしていないのに、なんとなくいつも一緒にいる友達だ。私もそろそろ合流したい。


 鞄から鏡を取り出して前髪を整える。眉の上と言って切り揃えてもらった茶色い毛先が、目の上まで伸びている。数日中に美容室に行きたいなんて思うけど、お母さんはきっと、先月も行ったでしょって怒る。月一くらいで行きたいんだよ、私は。

 お母さんは長いから分からないかもしれないけど、ショートボブの私にとっての一ヶ月と、肩甲骨を余裕で通り過ぎるロングのお母さんの一ヶ月とじゃ比率が違う。かと言って伸ばして中学の頃に逆戻りしたくない。これは高校生の私の象徴だから。

 高校がバイト禁止じゃなければなぁ……。あとピアスも禁止しないで欲しいな。行きたいところに透明の壁を設置されてるのを感じる度に、子供だって言われてるみたいでなんだか悔しい。


 そんなことを考えていると、いつの間にかムスッとした顔で鏡を覗き込んでいた。それに気付いて表情をそっと戻すと同時に、左側から声を掛けられる。昨日、初めて私に向けられたばかりの声を、聞き間違える筈がない。


「佐久」

「なに? 三佳島」

「昨日のこと、私は反省した」

「え……?」


 昨日のことというのは、言わずもがなあの程度の低いイタズラのことだろう。私は……見ててハラハラしたけど、結構楽しかった。自分が傍観者であることが条件だけど。あの大人しくてクールだと散々言われている三佳島の悪ふざけは、もう理由も忘れてしまったささやかな鬱屈とした気持ちを吹き飛ばしてくれたのだ。

 とはいえ、やっちゃいけないことであることに代わりは無い。私はどこか寂しく感じながらも、彼女が口にした反省という言葉を受け入れようとしていた。


「人に迷惑をかけるのはいけないこと」

「まぁ。うん」

「自分にやるべきだった、と。そう反省している」

「流れ変わったな」


 大丈夫かって聞きたいけど、絶対大丈夫じゃないって分かってるから止めた。大丈夫なワケないじゃん、こんなこと言う奴。寂しく思った私の感傷を返せよ。

 葬儀の司会が務まりそうな厳かな表情で、三佳島はA4の紙をぴらりと出した。机の中から取り出されたそれは、あらかじめ用意されていたらしい。おそらくは授業中に描かれたものだろう。

 覗き込んで見ると、健康的な男性が両手を上げて立っているイラストが描かれていた。両脇のスペースを利用して、こう書かれている。一粒3センチメートルと。ちなみに、イラストの男性が着ているタンクトップには「ブリコ」と書かれている。

 こいつ色んな意味で怒られても知らないからな。さらに、昨日と同じように、四隅にうんこのイラストをあしらうことも忘れない。細やかな気配りを感じるが、それはこういう頭の悪いイラストで発揮すべきものじゃない。


「……?」

「これを、私の背中に貼ってほしい」


 いやもう「何で??????」って感情しかないんだけど、三佳島の言いたいことは分かる。かろうじて。つまり、三佳島は普段の自分のキャラクターを利用したイタズラを目撃者全員に仕掛けようとしているのだろう。

 誰だって、三佳島みたいな奴が小学生が喜びそうな悪ふざけを背中に貼り付けて歩いていたら笑う。私だって、三佳島のことを知らずにいたら、きっと笑ってた。


 私が無言でイラストを見つめている間、三佳島はご丁寧にセロテープまで取り出している。私は彼女の背中にそれを張り付けるだけ。至れり尽くせりの悪ふざけだ。

 トドメとばかりに、三佳島は椅子に座ったまま、私に背を向けた。貼れということだろう。テープはそこにある。


 この変人がイタズラをしたがる理由については全く分からないが、ここまでされて乗ってやらないのも人が悪い。私はびーっとテープを伸ばし、それを切って紙にくっつけて持ちあげた。

 あとは三佳島の薄そうな、少し頼りない背中に貼ってやるだけ。そうして位置がズレたり、斜めになったりしないよう、彼女の肩に手を添えた瞬間、私は気が付いた。


「ダメ。やっぱ無し」

「え? ……どうして?」

「普段のキャラとかビジュアル的に、私がイジメてるって誤解されるヤツだから、これ」


 そう、極めて危険。自分で言うのもなんだけど、校則をかいくぐるような真似ばかりしてオシャレに命懸けてる女子が、大人しい女子の背中に【一粒3センチメートルbyブリコ】というメッセージの紙を貼っていると聞いたら?

 私なら絶対イジメだって思う。あとお前のうんこやや小さくね? って思う。だって大人しい女子が自分でそんなこと頼むなんて想像できないから。

 つまりそういうこと。事実がどうであったとしたって、私が悪者になる。しかし、三佳島は揺るぎない視線を私に向けて行った。


「私が頼んでるから大丈夫」

「問題はそれを誰にも信じてもらえないことなんだよ」


 だからその漲る意欲はなんなの。なんでそんなに自分の背中から謎のメッセージを発信したいの。彼女が直接自身の口で「私が頼んだから」って説明したって、「うわ……そういう方向でイジメるんだ……」という空気しか流れないんだって、いい加減納得して欲しい。


 渋い顔をして彼女の背中を見つめていると、三佳島はようやく振り返って私と視線を合わせた。こちらの表情を見ると、ちょっとやそっとの説得は通用しないと悟ったようだ。いつの間にか、私の机の上に置いていたイラストをそっと回収すると、セロテープが貼られた部分を綺麗に折って、そっと机に片付けた。ビリビリに破け。なに再利用を匂わせるような丁寧なしまい方してんだ。

 私はそれを指摘しようとしたけど、彼女がまた突飛な発言をするから、そっちに釣られてしまった。


「分かった。悪口じゃなければいい」

「どういうこと?」


 確かにね。悪口っていうのは他人に貼っていいものじゃないからね。人ではないけど、拾ってくださいとか、そういうのなら見かけるし。時と場合と内容によっては有りかも……?


「一瞬ありかも? って思った自分が怖い。三佳島、やめよう?」

「これを私の背中に貼って」

「1ミリでもお前が私の話を聞いたことってあったっけ」


 三佳島が渡してきた紙には、太いマジックで【美人】とだけ書かれていた。まぁ三佳島は美人だけどさ。もう趣旨が分からなくなってる。


「これでいじめだと思われない」

「いじめ回避して私にみじめな思いさせるのやめて」


 そりゃ三佳島は非の打ちどころがないくらい美人だよ。私みたいな凡人が努力してやっと立つステージに、生まれた時から存在していてそこであくびなんかしてる。こいつに美人って貼るのはわりと屈辱的って話。

 あと、若干ワクワクした表情で、さっきのブリコのイラストを取り出そうとするのやめろ。「こっちもあるけど……?」って顔するな。


「どっちもイヤだって!」

「そう……? まぁいい。背中に貼ることは叶わない。それだけ。私を見くびらない方がいい」

「は……?」


 何を言ってるのは分からなかった。すっごいシリアスな様子で得意げにしてるけど、実際はくだらない落書きを背中に貼りたがってるだけだよね。この内容でよくそこまで、真面目で勝ち気な含み笑い出来たね。

 あと別に見くびってなかったよ。さすがにもう少しまともだろうなと思ってただけだよ。それは間違いだったって、たった今いま確定したけど。


「なっ」

「じゃ。行ってくる。廊下で見ていて欲しい」


 三佳島は、胸のド真ん中にバーン! とブリコのイラストを貼って出て行った。廊下からは「え!?」という戸惑いの声が聞こえてくる。いやなんなら廊下に出る前から、クラスメートの当惑の声が聞こえていた。

 しかし、どんなに驚かれようと引かれようと、三佳島は動じなかった。三佳島の後を追うように廊下まで出ていくと、彼女とすれ違おうとしていた生徒達のギョッとした顔が大量生産されていた。あの鋼のメンタルって就活とかでアピールすべきポイントなのではって思ったけど、就活でこの一連の出来事を書くようなヤツが採用される訳がないと気付いて、私はじっと三佳島の背中を見つめ続けた。




「どうだった?」


 突き当たり、職員室の方まで行くと、三佳島は引き返した。そして、廊下でその奇行を見守っていた私のところへ辿り着くと、そう言って笑った。そこまで人懐っこい笑みをするような子じゃないけど、イメージ的には骨を拾ってきた犬みたいで、なんか変な気持ちになる。そして私は包み隠さずに言った。


「なんていうか、すごかった」


 本当にすごかった。誰に何を言われても、またはドン引きの視線を向けられて何も言われなくても、彼女は淡々と歩くペースを変えずに進み続けた。

 背中に付いているなら「何かされているよ」と指摘のしようもあるが、彼女は胸の上からそれをぶら下げているのだから。どう見ても自らの意思でやってる。

 三佳島がここまで変人扱いされるくらいなら、悪ふざけをした私がやらせたってことにしておいた方が良かったかもしれないなんて、なんだかよく分からない後悔をし始めている。私はどうすべきだったんだろう。


 お昼を食べることすら忘れて迎えた午後の授業。私が自分の背中の「昨日ポテチ四袋食べました」に気付いたのは帰りのホームルームの時だった。

 いつの間にやったんだ。っていうかいつから? 昼から? さすがに誰か何か言って。

 っていうか、そんなに食べてねーわ。三袋で自制したわ。


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