1-2 あいつの背中にうんちって書いた紙貼っ付けてくるから見てろ
昼休み、パンを片手に先ほど渡された小さな紙切れを開く。現国の授業中はもちろん、そのあとの数学の時間にも、何度も見た。そしてまた見てる。何度見ても飽きないくらい上手だけど、私がまた見たいと思ってるのは別のものなんじゃないかって気がしてる。
人間、秘密にされたり隠されたりすると気になるものだ。あいつの笑ったところを見たなんて誰かに言っても、また信じてもらえないのが関の山だ。それくらいレアなものを見せられたら、同性とはいえ、なんだか得した気分になる。
一人で黙々と総菜パンを齧っているから相当つまらなさそうに見えるだろうけど、内心では普段一緒にお昼を食べるメンツがみんな委員会やら部活の集まりだかで居ないことがチャラになっている。
空になった透明の袋をくしゃくしゃと丸めて立ち上がると、教室の入口に据え付けられているゴミ箱へと捨てに行く。席に戻ろうと踵を返した瞬間、背後から声をかけられた。
出入りする生徒からすればかなり邪魔になる位置に誰か立ってた気はするけど、姿は見えなかったし、私は教室から出るつもりは無かったからスルーしてた。
「佐久」
「……? え、三佳島さん?」
突然声を掛けられたことにも驚いたけど、それよりも私の苗字を呼び捨てにしていることに驚いた。私の勘違いじゃなければ、いま初めて会話するんだけど、私たち。
あとそこめっちゃ邪魔だから早く退いた方がいいよ。後ろで男子が中に入りたそうにうねうねしてるよ。
「これを見て欲しい」
「すごい、頭が悪そうな落書きをする才能に満ち溢れてるね」
私は三佳島に声を掛けられずにひたすらうねうねしている男子を無視して、彼女の差し出したA4のコピー用紙を覗き込んだ。
そこにはでかでかと「うんち!」と書かれており、四隅にうんこの絵が描いてある。しかも左下だけ一本糞でちょっとリアルタッチ。結構普通に嫌なイラストだ。
「これを、生活指導の佐々木の背中に貼る」
「絶対にやめろ」
佐々木と言えば、校内で一番口うるさい女性教員だ。語尾にザマスが付いてもおかしくないくらいのステレオタイプで、その指導内容は教師というよりも熱心な教育ママのようである。
言ってることは間違ってないし、やる気のある生徒にはとことん付き合ってくれるらしいから、案外嫌われたりはしていないけど、イタズラのターゲットにしていい人物ではない。絶対に。「誰の背中に貼ろう」って訊かれたら「佐々木以外」って答えるくらいアウト。
「私ならできる」
「できるできないじゃなくてやっちゃダメなんだよ」
そういえば三佳島って勉強できるのかな。結構頭良さそうって勝手に思ってたんだけど、もしかして馬鹿なのかな。
やっと会話を交わしてるというのに、初めての会話が先生の背中にうんちという文字とイラストが書かれた紙を貼るか否かなの、おかしいと思う。
三佳島の表情はいつもと変わらず淡々としている。長い前髪から覗く凛々しい目元で、廊下を見つめている。佐々木が通らないか確認してるだろ、やめろ。
「来た……!」
「来ちゃったよ」
颯爽と現れてしまった、スーツを着こなす赤い縁の眼鏡を掛けた長身の女性。見間違える筈もない、佐々木だ。私達二年の教室は真っ直ぐ突き当たりまで歩くとそのまま職員室なので、一年生や三年生のフロアよりも教師の往来が多い。
何が言いたいって、三佳島のようなイタズラをしようとする生徒にとっては、恰好の遊び場だということ。佐々木の奥にはジャージを着た教師が見えるし、たった今、階段から別のおじいちゃん先生が上がってきた。まぁお昼休みだしね。職員室に用事がある先生は多いよね。
「行ってくる」
「え!? ちょっ!」
三佳島は私が制止する前に行ってしまった。佐々木の背後には、階段を上がってきた別の教師が歩いているというのに。しかもあれ、私達は関わりがないから知らないけど、確かかなり厳しい数学の先生だった気が……。
万が一、佐々木に気付かれずにあの馬鹿みたいなうんこA4用紙を貼ることができても、現行犯で捕まるだろう。
後ろ姿しか見えないけど、三佳島は普段と変わらない様子で歩いている、と思う。あいつが歩く姿をわざわざ観察したことがないから想像だけど。腰に巻いたカーディガンが、歩調に合わせてひらひらと揺れている。
私は自分の腰を見た。そこには三佳島と同じように、ベージュのカーディガンが巻かれていた。今日はたまたま色が被っただけだけど、小学生っぽいイタズラをしようとしてる奴とペアルックみたいで、ちょっと恥ずかしいな。
とにかく、背中を見守っていて違和感は感じない。うんこが書いてあることを悟られないよう、紙を丸めて持っているところくらい。走ってって奪い取ってビリビリに破いてやりたいけど、強い意志を持ってこのアホ行為に臨んでいるようなので、とりあえずは見届けることとする。
三佳島は数学教師をスタスタと追い越し、佐々木の背後に迫る。が、あと一歩というところで、彼女は失速した。それどこか、懐から携帯電話を取り出して立ち止まる。
「何やってんの……?」
うっかり独り言が漏れてしまうくらい、三佳島の動きは不自然だった。もしや、いま犯行に及んだらマズいって、やっと気付いたのか……?
私の予感は的中したようだ。彼女はそれ以上、佐々木の後を追うことはなかった。踵を返し、私の元へと戻ってくる。振り返りざまに目が合った。三佳島は力強く頷く。生還したよって顔してるけど、お前先生の背中にうんこの紙貼ろうとしてただけだからな。
いいから早く戻って来い。そう念じて、私が苛立った表情で手招きをした、次の瞬間。三佳島は数学教師とすれ違う時に……異様なほど静かに、彼の背中に触れた。そう、セロハンテープで。
「っっっ!?」
三佳島はうんこが書かれた紙を繋いだそれを、彼の背に貼り付けたのだ。つまり彼女は、イタズラを諦めたのではなく、土壇場でターゲットを切り替えた、ということになる。っていうか、その静かに背中に触れるテクニックなんだよ。先生微塵も気付いてないじゃんか。
今にも笑い出しそうな私を見ると、三佳島はしーっと、人差し指を口元に当てている。こらこらって嗜めるような表情をしてるけど、お前の奇行のせいだからな。
「……どうだった?」
「まぁ正気を疑ったよね」
「ありがとう」
「褒めてないんだよな」
私に正気を疑われた三佳島はとても嬉しそうにお礼を言う。そしてそんな彼女の奥でぴらぴらしてる紙。少し視線を動かしてピントを合わせると、厳しいと評判のおじいちゃん先生の背中は、高らかに「うんち!」と宣言していた。面白いから写真撮っとこう。ここからならシャッター音も聞こえないだろうし。
私はスマホを取り出して彼のその姿を激写する。同じように、生徒達が笑いを堪えて携帯端末を構えたが、終わりは早々に訪れた。彼の背中に気付いて爆笑した女子が、事情を説明することとなったのだ。イタズラされて歩いた距離はおよそ十五メートル。できればあのまま職員室まで行ってみてもらいたかったな。
先生は「誰だ!」なんて怒鳴っているけど、まさか犯人がこの無気力クールな女子だとは思わないだろう。イメージだけで言うと一番遠い存在とも言える。視線の先では先生が怒って犯人を探しているというのに、当の本人はいつもと変わらない声色で、つまらなさそうに呟いた。
「あーあ。結構すぐバレるね」
「そりゃ、あんなの見たらみんな黙ってられないでしょ」
「私がパンツにスカートの後ろをしまって歩いてるときは誰も言ってくれなかったのに」
「可哀想だけどそれは尻の違和感で気付けよ」
結局、先生はぷんぷんしたまま職員室へと向かっていった。犯人は見つからなかったようだ。まぁ私の隣で、「幼稚なイタズラをする奴もいたものだな」って顔で一部始終眺めてる女が犯人だからね。
そして、私はふとあることに気付いて、三佳島を見た。
「……ねぇ」
「なに?」
「三佳島が背中にあの紙を貼ったのを見たのって、もしかして私だけ?」
「さぁ。でも、佐久以外は、いなかった、かも?」
なんということだ。私は密かに期待していた。三佳島の奇行が誰か他の人に目撃されることを。
些細なことと言えば些細なことだけど、三佳島の話をしたときに私の作り話だと思われるのは、どちらかと言うと嫌だ。単純に嘘つき扱いされるのも、周囲からの三佳島のイメージがいかに完璧かを思い知らされるのも。だから、先ほどの光景を誰かが見ていてくれたらって、思ったのに……。
「私がやったのに。最初は先生に指摘してあげた子が怒られていたね」
「そうだね。お前がやったのにね」
「このイタズラはよくない。全く、考えものだ」
「やる前に気付けなかった三佳島の頭が考えものだよ」
私に怒られているというのに、三佳島はまた、普通だったら気付かないくらい、ほんのちょっとだけ微笑んだ。
なに? ドMなの? 怖いんだけど。
「三佳島さん、じゃ、なくなった」
「……あ、そういえば」
かなり自然にさん付けが取れていたことに、指摘されてから気付く。だけど、三佳島だって私を呼び捨てにしてるし、別にいいよね。っていうか、いいに決まってるのか。嬉しそうにしてるんだから。
予鈴が校内に響く。変な昼休みを過ごしてしまった。私がこの時間のことを振り返っていると、三佳島の、ちょっと慌てた声が響いた。
「うんち描いてたらお昼食べるの忘れてた」
「バカなの???」
それから三佳島は、急いで席に着いて弁当を開いた。そして箸を手に持つと、急ぐ気ある? って聞きたくなるくらいのんびりなペースで咀嚼している。あと一口が小さい。食事の時だけスローロリスにでもなるのか、こいつは。
このままだと確実に次の授業に間に合わないけど、もしかするとそこまでお腹が減っていなかったのかもしれない。人の食事のペースにまで口出ししたくなかった私は、そのゆったりとした食事を眺めて次の授業までの五分間を過ごした。
しばらくして先生が入ってくると、三佳島は間に合わなかったという苦悶の表情を浮かべた。いやそんな顔するならもっと急げただろ。なんだこいつ。
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