君が面白くなさそうな顔をしてるから私はその手を引いて地雷原を突っ走った
nns
1-1 あいつの背中にうんちって書いた紙貼っ付けてくるから見てろ
チョークが黒板を叩く音。たまに響く誰かの咳払い。開け放たれた窓から風が吹き込んで、緩やかにはためくカーテン。私はそれらをバックに自身の指先を見つめていた。
手の甲を自分に向けて、それはそれはじっと恨めしそうに見つめていた。昨日、綺麗に磨いたつもりだったのに。他の爪はピカピカしてるのに、小指だけ処理が甘い。というか何もされていない。お母さんが手伝ってって言うから、洗い物をやって。それっきり忘れてた。お母さんが悪いなんて言うつもりはない。私は単純に自分の鳥頭に呆れていて、少し苛立っているのだ。
板書はしていない。ほとんど教科書の書き写しのようなノートは、勉強してる気になれるだけで好きじゃないから。要点のみを短くまとめる方が好みなので、現国の授業については適当に抜粋してノートを取っている。
だから、退屈そうに自分の指先を眺めていても、サボっているワケではない、と思う。
この程度のことを長く引きずっていても仕方がないと、使う用事もないのにシャーペンを持とうとした私の視界に、白い何かが差し込まれる。
ルーズリーフの切れ端。隣の席からやってきた。私にそれを届けるためだけに差し出された手は、役目を終えてすぐに引っ込む。
三十分置きに高級ハンドクリームでも塗ってるのかと聞きたくなるその手の持ち主は、こう言っちゃなんだけどかなり不釣り合いな見た目をしていた。
長い前髪と襟足。ところどころ梳いてあって、トップが少し短くなってる。ウルフカットの典型だ。切れ長な目元も手伝って、手と顔が結び付かないという珍事が発生している。
きっかけは分からない。それまで、ほとんど喋ったことも無かった無口な女子に構われることに戸惑いはあったけど、特に嫌悪はなかったので適当にしているのが現状だ。
私がルーズリーフの切れ端を開くかどうか、気になるだろうに。彼女はポーカーフェイスのお手本のような表情で凛としている。目を伏せて手元に視線を落とし、たまに黒板を見る。
私の机の真ん中にある紙切れが幻に見えるような、それを受け取ったことが夢に思えるような、そんな所作がどこか白々しくて面白い。本当によく分からない奴。
切れ端を開くと、そこには謎の生き物の落書きがあった。多分、四足歩行で、人は襲わない感じの。なんか可愛いものを描こうとしたんだろうなっていう片鱗が見える生き物。きっと生き物。
「……」
マジで意味が分からない。これを見てどうして欲しいんだろう。こんな感じで、私はいつも謎のメッセージやらイラストやらを受け取っている。
だけど、三佳島が他の人にこんなことをしてるのを私は見た事がなくて、というか他の子に話しても作り話をするなと怒られる始末だ。何かしら理由があったり特別な扱いを受けたりしているんだろうか、なんて考えると無下にも出来ない。
休み時間になると、三佳島はどこかに行ってしまう。こういうちょっかいをかけた後は特に。だから、いつも「あれはなんだったの」と訊くことすらできずに、私は頭の中に浮かんだ疑問符を放置することになる。
これまで、一度だって話題にしたことはなかった。三佳島の方も何も言ってこないから、もしかしたら触れて欲しくないのかもしれないという気もする。こんな謎しかないメモを渡しておいて触れないで欲しいっていうのも変な話だけど。
だけど今日の私は違った。いい加減はっきりさせたいって思ってたから、勇気を出してみることにした。イラストの下の余白に「へたくそ」と書いて、チョークが黒板を叩く隙を見て、三佳島の机にルーズリーフを返す。私は彼女のように、知らんぷりなんてしない。初めてもらう返事をどんな顔で見るのか、見逃したくなかった。
「……」
ゆっくりと紙を開く三佳島は、何食わぬ表情でいた。まるで必要な筆記用具を筆箱から出すみたいに、なんてことはないって顔で、へたくそと書かれた紙切れに視線を落としていた。
そして筆箱からあらかじめ作っておいたらしい切れ端を出すと、一心不乱に筆を滑らせる。何をしてるんだ、こいつ。というか、あの紙ってわざわざ作り置きしてたんだ……確かに、破った感じじゃなくて、ハサミか何かで綺麗に切った風になってたけど……まさか私に謎のメッセージを送りつける為に、そこまで準備をしているとは思わなかった。
正面を見ると、珍しく先生が教科書に書いていない要点のようなものを書き記していたので、さすがに板書を取る。しばらくその作業に集中していると、忘れた頃に綺麗な手が私の視界にカットインする。
書き始めた時の様子から、先ほどのような落書きではなさそうだ。しゃかしゃかと懸命にシャーペンが動いていたから。それで先ほどのクオリティのイラストが描かれてたら、私は多分、何も信じられなくなる。
何が書かれているのか、全く予想が付かない。「あのイラストにはこういう意図があり、さらに中世のなんとかニズムという流れを汲んだ、つまり現代アートとトラディショナルなアートのミックスとも言うべき挑戦的な作品である」なんて長々と書かれてたら、三佳島のことちょっと嫌いになるけど。大丈夫かな。
「……っ!」
意を決して紙切れを開くと、私は必死に声を堪えた。そこには、「え? 写真?」と言いたくなるほど、精巧な狐のイラストが描かれていたのだ。こういうのズルいから。
どうせまた自分は関係ありませんって顔で真面目に授業受けてるんだろうなと思って彼女の方を見ると、驚くことに頬杖を付いて私を見ていた。目が合うと口元だけでニカッと笑って、こちらの反応を楽しんでいる。こいつ、笑ったりするんだ。
三佳島は、声は出さずに口だけを動かす。その口は「どう?」と言っているように見えた。笑った顔がニヒルなのにどこかあどけなくて、しばらく頭から離れなかった。
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