彼女が笑わなくなった原因は僕である

タヌキング

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 私の名前は杉山すぎやま 幸助こうすけ。しがない27歳のサラリーマンである。三年前に同い年の美空みそらと結婚して、一年前に愛娘の愛華あいかが生まれたばかりで、嫁と娘の為を想えば仕事にも精が出るというものだ。

 ある時、後輩の田崎たざきと居酒屋のカウンターで飲んでいると、酔った後輩がこんなことを言ってきた。


「先輩の奥さんって綺麗だけど笑わないですよね」


 他の社員なら愛する嫁を馬鹿にされたと怒るのだろうか?

 まぁ、私はそういうキャラじゃ無いので怒ったりもしないし、嫁が笑わなくなった原因が私にあるので分が悪い。


「田崎、そんなこと言ってる暇があったら、早く彼女でも見つけろよ」


「そうなんですよね……グスッ、何がいけないのかな?」


「おいおい泣くなよ」


 さてさて後輩を慰めながら、俺は昔のことを思い出していた。あれは私が十八歳の高校三年生の頃だ。

 季節は10月に入りすっかり受験モードで、ウチのクラスの笑顔をも20%減といったところだろうか。そんな中、彼女だけはいつもニコニコの笑顔を振りまいていた。

 彼女の名前は鈴村すずむら 美空みそら。顔も良くスポーツも出来て、勉強もそつなくこなす才女であった。

 それに比べて運動音痴で勉強そこそこ、顔がさえない私なんか相手にされるわけも無いのだが、私は淡い恋心を彼女に抱いており、何をしていても自然と彼女の顔を目で追って、彼女の笑顔に癒される。それだけでも私の心は晴れやかになり、厳しい受験戦争の癒しであった。

 そうして、ある日の授業の終わりの時、いつもの様に彼女の顔を目で追っていると、スッと彼女の顔から笑みが消えた瞬間を私は目撃してしまった。真顔で表情が無く何処か暗い目をしている。私以外のクラスメートは気づいている様子も無く、そのまま先生の挨拶と共に放課後になり、足早に教室を去ろうとする鈴村さん。

 私は何だか嫌な予感がして彼女の後を追った。

 するとどうだろう、彼女の行った先は立ち入り禁止の学校の屋上であり、なんと屋上の縁に立って下を覗き込んでいるのだ。誰がどう見ても危険な行為である。

 

「す、鈴村さん危ないよ‼」


 私が声を掛けると、鈴村さんは僕の方を向いてハッとした顔をした。まるで悪いことをして見つかった子供みたいだ。


「す、杉山君。どうしたの?ここは立ち入り禁止なんだよ?」


 気が動転しているのか自分もやっていることを私に注意して、引きつった笑顔を見せる鈴村さん。そこにはいつもの心を晴れやかにするような要素は一つも無かった。

 私は単刀直入に聞いてみることにした。


「もしかして自殺しようとしていたの?」


 私の言葉に笑顔を失くし、コクリと一回だけ頷く鈴村さん。こんな彼女は初めて見た。


「どうして自殺しようとしているの?自殺なんてしても良いこと無いよ」


 本当は良いこと無いなんて知らないが、自殺なんて考えるだけでも恐ろしい。私にとっては理解しがたい行為だった。

 案の定、私のいい加減な言葉に彼女は激昂してしまった。


「し、仕方ないじゃない‼パパもママも喧嘩ばかり‼受験と両親の板挟みで、もう限界なの‼死んだ方がマシよ‼」


 怒号の様な彼女の声。結構距離が離れているのに私の鼓膜をビリビリと彼女の声が揺らす。

 私の知らない事情が彼女を苦しめている。きっとそれは私の想像も出来ない苦しみなのだろう。私はどう励ませば良いのか分からなくなってしまった。


「もう嫌……私がいつも笑顔で居ればパパもママも笑顔になるかな?って思ったけど、もう疲れちゃったよ……もう私は笑えない」


 彼女の笑顔の裏にはそういう背景があったとは知らなかった。私は何も知らずに彼女の笑顔に癒しを得ていたんだから、救いようのないバカなのかもしれない。だが彼女の顔を目で追っていたら彼女の自殺を未然に防いだ、そこだけは私の人生最大のファインプレーだろう。

 私は無い頭をフル回転させて、彼女をもう一度奮起させる言葉を考えた。考えた結果こう言うことにした。


「む、無理して笑わないで良いんだよ」


「え?」


 何を言ってるんだコイツ?みたいな顔で見られたけど、私は自分の考えを彼女に伝えることにした。


「だって君がここまで追い込まれてるのに、無理して笑う必要なんて何処にも無い。辛いときは泣いて良いし、怒りたい時は怒れば良い、そして笑いたい時にだけ笑うと良いよ」


 感情が顔に出るのは、周りの人に自分の今の心境を分かってもらう為のものだろう。だから心と顔に違いが出れば、それは心身ともに疲れるのも当たり前なのだ。辛い時も悲しい時も笑顔を絶やさなかった彼女を想うだけで胸がギュッと締め付けられる。


「……無理しなくて良いの?私笑い時なんてそんなに無いよ。仏頂面になって不愛想な女の子になっちゃうけど……良いのかな?」


 今にも泣きだしそうな顔をして私の方を見つめる鈴村さん。こんな顔をしているのは私のせいだ。女の子を泣かせるなんて最低の男かもしれない。

 けど、彼女を助ける為なら、どんな汚名で受けようと思った。


「こんな僕でもさ、辛い時にそばにいることぐらい出来るから、僕が必要になったら声掛けてよ。話しぐらいなら聞けるからさ。だから死ぬのはやめようよ」


 死ぬのをやめろと強めに言う事は出来ない。だって彼女の辛さを私は全然知らなかったから、だからこれはお願いだった。


「……ぐすっ、うん分かった。何だか心がとても楽になったから死ぬのやめるね」


「良かった、それは本当によかった」


 薄っぺらい言葉を繋げただけの様な気もする。それでも鈴村さんが死ぬのを思いとどまってくれたから安堵した。正直、目の前でクラスメートに死なれるなんて僕にとっても一生物のトラウマだし、彼女の為にも、私の為にも、物事が良い方向に進んで幸いである。

 鈴村さんがコチラの方にテクテクと歩いて来る。疲れているのか?力の無い足取りだが、私の方に近づいて来てくれるというだけで、彼女が死から遠ざかる気がして、私の心も晴れやかになった。

 

「ぐすっ、私って、本当に笑わないからね?不愛想な女だから覚悟して」


 念押しなのか涙をポロポロ流しながら私にそんなことう言う鈴村さん。

 不愛想なの結構じゃないか。


「僕には君が本当に笑っているのか?嘘の笑いなのか判断できない。だから本当に笑いたい時だけ笑って」


 そう彼女の笑顔が完璧すぎて、見分けるなんて至難の業なのだ。今回はたまたま彼女の異変に気付けたが、私も全てを見通す目なんて持ってないのだから、嘘で笑わらってもらうと困るわけである。

 こうして鈴村さんと仲良くなり、事態は収束した。

 鈴村さんは全然笑わなくなり、周囲から人が変わったと言われ、彼女の両親から「お前のせいで娘がおかしくなった‼」とクレームが来るという事件があったが、そこは今回は割愛させて頂こう。

 ともかく色々あって数年後、私達は結婚することに相成ったのである。



「ただいまー」


 私が仕事が終わり家に帰ると、美空と愛華が玄関で出迎えてくれた。

 四歳児の愛華は愛くるしい笑顔で私に抱き着いてきたが、美空は仏頂面で「おかえり」とだけ口にした。

 夫婦仲は悪いわけじゃないんだ……多分。

 仏頂面過ぎて、たまに不安になる事もあるが、作り笑いで平気そうにされるより百倍マシである。常に笑顔の家庭が私にとっては不安で仕方ない。

 リビングに行くと、テーブルにハンバーグだのエビフライだの杏仁豆腐だの、私の好きな物が所狭しと並べられていた。


「凄いなこれは、今日は何かの記念日だったかな?」


「もうパパ忘れちゃったの?今日はパパの誕生日じゃない」


「あっ、そうか」


 誕生日なんてすっかり忘れていた。自分の娘から指摘されるとは何とも情けない。


「アナタこれ」


 美空が仏頂面で私に細長い箱を渡して来た。おそらく誕生日プレゼントだろう。箱を開けてみるとクローバーの柄が入ったネクタイだった。可愛い物好きな彼女らしい一品だ。


「ありがとう、とても嬉しいよ」


 私が心からの感謝の言葉を言うと、美空は久しぶりにニッコリ笑って「どういたしまして」と言葉を返してくれた。

 たまに本当に笑うから愛おしくて、また彼女を笑顔にしたくなる。

 笑いたい時に笑う、それが人間にとっての自然な生き方なのでは無いだろうか?







 

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